語録97 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録97

Jは言った。「神の聖なる支配は、食べ物で満たされた壺を運ぶ女性のようだ。彼女が遠い道を歩いているうちに、壺の持ち手が壊れ、食べ物が彼女の歩くあとにこぼれた。彼女はそれを知らなかった。彼女は問題に気づかなかった。家に着いたとき、彼女は壺を下ろし、それが空であることに気づいた」

J said, “God's Divine Rule is like a woman who was carrying a jar full of meal. While she was walking along a distant road, the handle of the jar broke, and the meal spilled behind her along the road. She didn't know it; she hadn't noticed a problem. When she reached her house, she put the jar down and discovered that it was empty.”


この語録は、内容と形の問題に関する一つの劇であり、また別の点では、あの、「何よりもまず、神の国を求めなさい。“Seek first the Kingdom.”」という新約の言葉の、興味深い帰結である。もし、私たちが形に囚われるならば、私たちは内容を見失い、しかもそれを知りもしないだろうが、私たちの旅のすべては無駄になるだろう。それが、自我のやり方につぎ込むことから来る、典型的な失望である。私たちが外側をまず第一に考えるなら、内側を見失う。

壺の持ち手が壊れたということも、この描写の重要な一部である。なぜなら、それは、この時間と空間の世界のすべては、永遠ではないし、壊れ、朽ちることを運命付けられている、ということの隠喩だからである。自我の業績とは、常に「犠牲が多くて引き合わない勝利」(pyrrhic victory) である。
 
 トマス福音書のほかの語録では、この同じテーマが別の形で演じられている。

(野口博和訳)