語録106 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録106

Jは言った。「あなたがたが二つを一つにするなら、あなたがたはアダムの子どもたちとなるだろう。そしてあなたがたが 『山よ、向こうへ行け!』 と言えば、山は動くだろう」

J said, “When you make the two into one, you will become children of Adam, and when you say, ‘Mountain, move from here!’ it will move.”


私たちが、神からの分離という考えと、その結果生じた人生における葛藤を手放したとき、この世界の最大の障害は奇跡に直面して消滅する。聖書にはアダムが眠りについたあと、目覚めたと語っているところはどこにもない、という事実にコースが鋭く触れているのに(T-2.Ⅰ.3:6)、パーサが「アダムの子どもたち」という表現を使っているのは興味深い。しかし、もちろん、分離の夢から目覚めることは、まさに『奇跡のコース』が、私たちを助けてそうさせようと意図されていることである。 アダムの子どもたちとして、私たちはみな分離を信じているが、しかし今や知覚の「別の方法」があることを知っている、そして、それは私たちの選択する力の中にある。(T-4.Ⅱ.4.10)
おそらく、彼女がここで、もちろん聖書の最初の人間であるアダムの名を使っているのは、始まりの地点やアルファや決断の地点へ戻ることについてのまた一つの象徴なのであろう。

 キリスト教では、信心を起こさせると考えられているのは物理的奇跡である。イエスの教えでは、奇跡、地獄から天国への心の転換、を呼び起こすのは、贖罪を受け入れるという私たちの選択である。言い換えれば、私たちはまず自分たちの心を変える必要があるのだが、新興のキリスト教の規範は、私たちが心を変えられないことを完全に保護しようとし、私たちはただの哀れな罪人であり、ある外からの救世主が、彼の意に適うときに、迎えに来てくれるのを待つしかない存在だと信じ込ませようとするのである。

(野口博和訳)