語録108
Jは言った。「わたしの口から飲む者は誰でもわたしのようになる。わたし自身がその者となり、隠されたことがその者に明かされるだろう」
J said, “Whoever drinks from my mouth shall become like me. I myself shall become that person, and the hidden things will be revealed to that person.”
少なくとも一つの形として、これは、トマス福音書の冒頭の行(語録1*)にある、「言葉」の前に置かれた 「隠された」という語の用法を説明するものであり、私たちに何かを隠し、それを与えないことは、まったくイエスの意図ではないということをはっきりさせている。むしろ、それらの隠されたことが私たちに明かされうる前には、私たちは彼の条件通りに(on his terms) 彼にこたえ、彼の条件通りに彼から真実を受け取る必要がある。なぜなら、私たちから聖霊のヴィジョンを隠しているのは、自我の無知だからである。 私たちが自分たちの古い判断基準にしがみつくなら、これらの「隠された」ことは私たちに明かされることができない、なぜなら、私たちは自分自身にそれらを隠しているのであるから。最終的に、私たちは、これこそがまさに自我の思考体系の目的であること、つまり、イエスを取り除き、私たちを真のアイデンティティに気づかせないでおくことだと認識するだろう。
*これらは、生きているJが語った隠された言葉をデドモ・ユダ・トマスが記録したものである。
These are the hidden sayings that the living J spoke and Didymus Judas Thomas recorded.
(野口博和訳)