語録110 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録110

Jは言った。「世界を見出し、豊かになった者に、この世界を捨てさせなさい」

J said, “Let one who has found the world, and has become wealthy, renounce the world.”


この言葉は、私たちを引き止めているのはこの世界における自分たちの執着である、という考えのさらに別な表現である。また私たちは、これが文字通り取られるべきでないもう一つの言葉であることに注意すべきである。それは、イエスの真意を握りつぶす(kill Jesus’s meaning)ために、この世界が絶えず行ってきたことである。すべての良い弁護士は、法を文字通りに取ることによって、その目的をそこなう(kill the intent of the law)ことができると知っている。
言い換えれば、これは、いくつかの黙示録的教義が私たちに信じさせようとするように、ハルマゲドンを引き起こし、世界を破壊することを奨励するものではない。また、これは、この世界の何かを放棄することについてでもない、しかし、それはただ、この世界のものごとへの我々の執着を放棄することについてなのである。

 成長し、「責任ある大人」になるにつれ、私たちはこの世界の方法を学び(23章2節にある様な「混沌の法則“Laws of Chaos”」)、ただ自分たちがファウストの契約*を結んだことを知る、そして、分離という「縁の鋭い子供のおもちゃ“sharp-edged children’s toys”」(W-pⅡ.4.5:2)の点で 「豊か」になる。だからこの点で、私たちは霊的な子供である。それゆえ、「別の道」を選ぶことによって、私たちは霊的成長の道に乗り出すことができ、そのなかで、ただ自分たちを傷つけるだけのおもちゃを手放すのである。

本質的に、この世界のすべてのものは、その勝ち負けの性質という単純な事実により、そのような鋭いおもちゃである。だから、何であれ私が持つものは、あなたは持っておらず、このことがあなたから私を隔てており、その逆もまた然りである。それゆえ、こうしたこの世に属するものは、抽象的であれ、物質的であれ、相違と分離の証として利用され、そこにそれらの鋭い刃が横たわっている。いったんこのことが分かれば、それが古いことわざのように、最も多くのおもちゃを持つ者が勝利する(he who has the most toys wins)のではなく、むしろ、この世界の全てのおもちゃの無価値性を認める者こそそうなのだと、私たちは気づくに違いない。

*ファウストの契約・・・〔ファウストは悪魔メフィストと出会い、あの世での魂の服従を交換条件に、現世であらゆる人生の快楽・悲哀を体験させるという約束をする。〕(Wikipedia)

(野口博和訳)