続いてもう一つ乳がんサバイバーの授乳についてウインク

片乳での授乳が実際どうなのかネットで検索したけど有益な情報は得られず…。

乳がん、授乳とかで検索しても授乳してたら乳がんなりにくいみたい記事ばっかりであせる

 

産前に乳腺外科の先生に母乳だけでいけるものなのか聞いてみたところ、先生が知っている十数人のサバイバーさんで出産した人の中で完母の人は一人だけかなぁとおっしゃっていました。

実は母乳に関しては自信があったというか、1人目の時は母乳に関しての悩みはほぼないような感じでうまくいっていたので、片方だけでもほぼ母乳でいけるかなぁと思っていました。1人目は母乳はうまくいっていたけど哺乳瓶拒否で大変だったので、母乳中心の夜だけミルクみたいな混合が理想だなと思っていました。

 

今実際どうしているかというと母乳とミルク半々くらいの混合になっています。

母乳の量はよく分からないけど、ミルクは1日分の半分くらい足しています。

 

1か月検診まではミルクを1日2,3回120~180ml程度で1日量の3分の1程度足していました。

それでもっと欲しがる様子もなかったので足りてるかなぁと思っていましたが、1か月検診で少し体重の増えが少ないと指摘されてしまってガーン

1か月検診で1㎏位の増加が理想のところ、700g弱しか増えていませんでした。

残すくらい多めにミルク作って欲しがるだけあげてくださいと言われてしまいました。

そこから、基本的に母乳後にミルクを足すようにしています。深夜の授乳はミルク作るのが面倒で泣いて泣き止まない時以外は母乳しかあげていません笑。

がつがつ飲むときもあれば、あまり飲まないこともあるけど1日トータルでミルク缶の目安量の半分くらいはミルクも飲んでいます。

今生後1か月半ですが、背も体重もぐんぐん大きくなっている気がします。

急に大きくなると次は飲ませすぎかも…って心配も出てきたり、混合栄養は難しいです~あせる

 

1人目と2人目と違う産院で産んだのですが、1人目の産院は今思えばかなりスパルタ母乳推進病院だったようです。

ひたすら母乳をあげるよう指導され、産後すぐはどの程度母乳は出ていたか分からないけどミルクを足すことはしませんでした。

2人目を産んだ産院は基本的に3時間ごとの授乳で毎回ミルクの追加。ミルク会社からのお土産も潤沢だし、産院の哺乳瓶やらなんやら色んなものに某メーカーの名前が入っていました笑

産後すぐから頻回授乳をしていればもっと母乳メインでいけたのかなぁって気もするけど、片方のおっぱいで1日の半分くらいはまかなえてそうなので十分と考えるべきかなぁ。

 

ミルク飲むと夜もよく寝るし、パパに預けられるしメリットも多い!

母乳はおっぱい飲んでる姿を上から見れるのはママだけの特権だしなんとも言えない可愛さがあるドキドキ

 

久しぶりに書きます。

産後落ち着いたら書き残しておきたいなと思いつつ1か月半も経っていました。

 

9月末予定日の3日前に無事2916gの女の子を出産しました。

私も娘も元気に過ごしています。

2人目のお産は速いとはよく聞いていましたがほんとにはやかった!

13時に入院して16時前には産まれていました。

早くても楽ではなかったけど。

 

自分の記録までに出産のことを書いていきたいと思いますニコニコ

 

1人目は37Wで産まれたため医師からも2人目はもっと早い時期に生まれるかもと言われ続けていたので、私の中でも遅くても38Wごろには産まれてるだろうなぁと思って過ごしていました。

入院準備も心の準備も万端だったけどなかなか産まれる気配もなく…39W入ったころから頻繁に前駆陣痛がありました。1人目の時は突然陣痛→出産で前駆陣痛を経験しなかったけど、意外にお腹痛いししんどかったチーン

旦那の仕事の都合的にも、私や娘の予定的にも遅くても予定日までには産まれてほしくてにやり(もちろん健康に産まれてきさえすれば十分なのですが)

 

待ちくたびれた39W入ってからの検診の日に、先生にもうなるべく早く産みたいと訴えて刺激をしてもらい、めっちゃ痛かった笑い泣き

その日のNSTで前駆陣痛か15分おきに痛みが来てたけど医師からはもっと痛みがすごく強くなったら連絡してーと普通に帰される。

今までの前駆陣痛の中では1番痛いけどこの程度では陣痛にならないのね…と思いながらだんだん痛みが強くなったような気がしながら必死に運転して帰宅DASH!

帰宅しても痛みは引くどころか間隔が短くなっているような気がして時間を計ったら5分間隔だったので病院に連絡して再度受診。

在宅時間1時間くらいあせるそのまま病院にいたかった笑

 

13時に入院して、助産師さんに痛み余裕そうだね~ってことで階段の昇り降りしたらどうかな?と言われひたすら院内の階段を上って、降りて、、、時々お腹痛すぎて汗だくで叫び

実は39W入っても産まれないからこの頃マンションの階段を15階まで3往復とかしていて足が筋肉痛でふらふらで。これが後に後悔することになるんだけど。

 

痛みも強くなってきたからLDRに戻って、LDRでDVD再生できるって聞いてたので持参したポルノの台湾ライブのDVDを流してもらう。

痛い時はゆっくり映像みる余裕はないけど好きな曲が流れてるだけで大分気持ちが落ち着いたラブラブ

気づいたら子宮口も全開で、助産師さんも増えて、次の痛みからいきもうって。娘と旦那はまだ到着してなくて産まれるまで間に合わないねーなんて言われた。

その頃から陣痛が少し弱まってきていきんでって言われても足も筋肉痛でふらふらだし力が入らなくてショック

1人目の時は最後いきんだらすぐ産まれたような気がするんだけど…何回も必死にいきんでも頭が出てこなくてもうほんとに産めないもう無理…産まれる前に頭の血管切れるんじゃないかと思った笑い泣き

最後はベテラン助産師に励まされるというか半分怒られながら、死ぬ気でなんとか絞り出した感じだった。

間に合わないって言われた娘たちもとっくに到着して無事立ち合いできたので結果的に良かったけど、その時はもう早く終わってとしか思えなかったゲッソリ

 

なんとか絞り出した次女は長女にそっくりな赤ちゃんでしたラブラブラブラブ

産まれた瞬間産声あげてくれて、元気なかわいい赤ちゃんですラブ

 

産後は腰に力が入らず、全身バキバキで3日くらいはベッドから起き上がるのも一苦労だったガーン

なぜか3日ほど38度の熱が出たり下がったりしたけど、びびってた後陣痛もそんなに痛くなく、会陰の傷もそこまで痛くなく安産で産後の回復も順調で良かった。

 

出産の記録は以上です。

 

 

こんにちは。

2年半以上ぶりに更新しますキョロキョロ

自分のブログを見たのも2年半以上ぶり。。。あせる

 

同時期に闘病されていた方はもうすっかり日常に戻って乳がんのことなど考える時間も減ってるのかなーと思います。

私も幸いなことに元気に毎日過ごしています。

 

昨年末の乳腺クリニックの診察では先生から『術後4年以上経ちましたね。HER2タイプは3年を越えると再発率が下がるので大分安心できますね』と言ってもらえました。

不安をあおることを言うような先生ではないけど、安易に大丈夫とは言ってくれるような先生ではないので(他の先生もそうだと思いますが)、先生からの言葉嬉しかったですラブ

 

もう術後4年半経つような、まだ4年半しか経ってような、でも2歳だった娘が6歳になったのだからそれなりの時間が経ったんですねラブラブ

 

 

そして、最後のブログも不妊治療のことで終わっていますが、ずっと不妊治療続けてきました。

広島のクリニックに転院して同じところでずっと。

この度、ようやく不妊治療のクリニックをあと1回の受診で卒業できることになりました。

無事、心拍を確認でき現在7Wになります。

 

まだまだ無事に産まれてくるまで安心はできませんが、それは乳がんとは関係なく病気をしたことのない妊婦さんだってみんなが抱える不安です。秋ごろ無事に出産できますように♡

 

 

3年間不妊治療をして何となく感じたこと。

前半の2年間は数えきれないくらい卵胞が出現せず採卵できずにリセットになり、やっと採卵したのに空砲が続いていました。

今のクリニックでは何度採卵したか途中で数えるのもやめてしまいました。

私は卵巣機能が低下しているので、低刺激でずっとやってきたので毎周期毎周期休むことなく淡々と卵胞が出てきたら採卵を繰り返していました。

3年目に入ったころから成熟卵を採卵できるようになり(毎回1個しかできませんでしたが)、ちゃんと胚盤胞まで育つようになりました。

結果的に新鮮初期胚移植 陰性、新鮮胚盤胞移植(4AA!)かなり期待したけど陰性、凍結胚盤胞移植(4AB)で今回陽性を頂きました。

あと1つ胚盤胞を凍結してあります。

 

思い当たることは、

治療に行き詰まりすぎて大阪の超有名クリニックで血液検査をして必要なサプリメントを飲むようになったこと

ジャザサイズに週3回ほど通うようになったこと

これが1番大きいと思うのですが、抗がん剤から3年以上経って卵巣の力が回復してきたんじゃないかなと思います。

数値的にはAMHは0.02とかだし変わらないし卵巣機能は回復しないと言われいてるけど、自分の不妊治療の成果をみるとそんな気がします。

早く閉経してしまうからと焦って不妊治療をしてきたけど、そんなに焦って毎月毎月採卵を目指さなくてもよかったのかもしれない。

でもそれは結果論なので今も採卵を続けていたらあの時もっと頑張れば良かったと思っているはずです。

 

移植をしても妊娠できる気がせず、どこまでやって不妊治療を終えるかということばかりここ数か月考えていました。

昨年の夏ごろから採卵はしていなくて、いつでも移植にむけて準備できる状態ではあったんですが、海外旅行とか野外ライブとかカウントダウンライブとかを優先して移植を後回しにしていました。

娘も手がかからなくなり、娘も一緒にライブ参戦したり、ライブのために遠征するとかが楽しすぎて今の環境も悪くないなーと、自然と自分の中であきらめる準備をしていたように思います。(もちろんこれからもライブは行くし、遠征もするけど)

 

でもやっぱり妊娠できてすごく嬉しいですドキドキ諦めたころに妊娠するってほんとなの?って思いました笑

娘もたくさんお世話してくれるだろうしとっても楽しみです。

7年ぶりの出産、高齢出産に入ってしまうので色々と心配もありますが体に気を付けて無理せず過ごしたいです。

 

 

終わろうと思いましたが、一つ最近のニュースで気になったことを。

競泳の池江選手の白血病の公表について。

元競泳の立石諒さんが、みんな競泳選手として池江選手に頑張れっていうけど、18歳の女の子が病気になってしまったということを見てあげたいというような発言をされており、立石諒さん好きになりましたラブラブ

 

その通りだと思います。選手だからこそ応援してくれる人も多いし話題になるけど、18歳の子が病気と立ち向かうのってすごく怖いと思う。

もちろん私も強いなぁ立派だなぁと思うし選手として活躍してほしいと思うけど、思いがけない病気になった時って何も考えられずでもどうしようもないから治療をするしかなくて、自分が前向きでなくても前向きな言葉しか言うしかなかったりするようなぁとも思ったりします。

 

とりとめなく書いてしまいましたが、、、もしたまたまこのブログを見かけた闘病中の方や不妊治療中の方、みなさんの努力が報われますようにドキドキ