14歳の頃、
いつも通りみんなと帰ろうとしたら、親友や友だちたち全員の姿がなかった。
数人が隠れるように移動しているのが見えて、避けられてるんじゃないかって心がざわついた。
それから毎日、ずっと避けられて1人だった。
今日も避けられるんだろうって思いながら過ごした。
数日後、事情を知っている人が教えてくれた。
やっぱりみんなで俺を避けていた。
当時は親友たちの間でチャリパクが流行っていた。
俺はそれを見て、
『チャリパクは相手が本当に困ってしまう悪戯やけんやめたら?せめて最後は元の場所に返してあげたら?』
と言った。
たった1回だったが、それがダメだったらしい。
『あいつがおったら止められるけん、今度から避けようぜ!』
親友が提案したとのことだった。
それから俺は、自分の意見を極力抑えるようになった。
また避けられるのが怖くて、人に合わせるようになった。
元々、幼少期の影響で人の顔色を伺う性格だったので、自分の考えをすごく抑えるようになった。
また、親友に裏切られたのは3回目だったから、余計にショックだった。
そのトラウマが心に深く根付いてることに今ごろ気が付いた。
俺が誘われていない集まりや食事、飲み会とか、喫煙所のコミュニティとか、そういうのが苦しくなる。
仲の良い人や大切な人が参加してると、もっと苦しくなる。
仲間外れにされている感覚に陥ってしまう。
だから、極力参加していた。
二次会や三次会でも、仲の良い人や大切な人が参加するなら、終電を捨ててでも参加していた。
でも、そんな気持ちになる原因が今まで分からなかった。
束縛はしたくないのに、行ってほしくないと思うことがあった。
その対象が男友達だったりすることもあったから、意味が分からなかった。
男にも焼きもちを焼いているのかと思った。
それ以外でも、返信がないだけで動揺していた時期もある。
さすがにそれは克服した。
LINEとかそんなものだし、既読スルーに慣れなきゃやってられなかった。
ほんと、20代前半は特に酷かったと思う。
そして、17年経って、漸く分かった。
『また大切な人たちがいなくなるんじゃないか』
『また避けられるんじゃないか』
『また1人になるんじゃないか』
そう感じて、すごく苦しくなってたんだって。
やきもちや心配性ではなくて、
失いたくない、捨てられたくない、1人になりたくないって怖くなる。
また同じ目に合うのかと、怖くなる。
幼少期のトラウマ、心配性がブーストをかけてきて、余計に激しく辛くなってしまう。
冷静な判断より先に、心が暴走する。
頭で分かっていても、抑えられなくなることがある。
ここ6年くらいはなかったつもりだけど、まだキズは残っていたらしい。
子供時代の些細なことだけど、今この文章を打ってるだけで、胸が苦しくて、息が止まりそうで、涙がにじむ。
だけど、原因が分かったなら、向き合えるはず。
克服しなきゃみっともない。
トラウマは乗り越えるもの。
キズとか言って甘えて良いものじゃない。
きっかけをもらったんだ。
感謝して進まなきゃ。
1人で乗り越えなきゃ。
これからが大切だ。