・可哀想という同情心

 

 

前回の記事で

「自分を傷つける人は自分以外にいない」

と、お伝えしました。

 

まだ見てない方は、こちらをご覧ください。

 

参考記事:あなたを傷つけたのは誰?

 


今日はその周りにいる人について。


傷ついた(と思ってる)人を見て、

 

またはそういう人から相談された時、

 

同情心から、

 


「かわいそう」と思うことはありませんか?

 

 

セッションに来る人にも多いのですが

 

そんな親がかわいそう、

 

苦しんでるパートナーがかわいそう、

 

虐められてる同僚がかわいそう・・など

 

感じてしまう人は沢山います。

 

そしてその人の愚痴に参加する。

 


誰だって1度や2度は経験あるでしょう。

 


その同情心、一見大切な人を思う心・・

 

・・・のように見えますが、全く違います。

 

 

傷ついたと思ってる人というのは

 

まだ「傷ついた状態でいたい人」。

 

だからそこから抜けようとはしてない。

 


そこにあなたの「かわいそう」というジャッジが入ると

 

その人は「そうでしょ!わたしかわいそうでしょ!」と

 

そのループから更に抜け出せなくなるの。

 

 

あなたが、その大切な人を

 

負のループに落としているんです。

 

 

同情やかわいそうと思う位置づけをすることで。

 

 

それ本当に『大切に思ってる』ってことでしょうか。

 

 

大日如来の化身に不動明王がいます。

お不動さんと呼ばれ古くから親しまれてる仏像ですね。

 

この不動明王、仏なのに

 

憤怒の形相なのは何故か知っていますか?

 


不動明王は究極の慈悲の心で、

 

わたし達を煩悩から救い出すために

 

憤怒の形相をして見守っているのです。

 


煩悩を持つものがその恐ろしさに震える時、

 

自分の煩悩に気づくことが出来るように。

 


優しい顔の大日如来だけでは、

 

人々が気づかないことを解って

 

わざと憤怒の形相を作っているの。

 

 

どれだけ人間が大切に思われているか解りますか。

 


時に優しさは甘えに替わり、

 

愛は厳しさに替わります。

 

 

あなたが同情しているその間ずっと、

 

傷ついた人はあなたのジャッジに甘えてしまう。

 


仲がいいから、大好きだから、

 

一緒に何かをやっているから・・

 

理由はどうあれ、仲よしこよしは足引っ張りなの。

 


傷ついた人を演じたい人は、

 

あなたがジャッジをやめるだけで

 

そこから抜け出せるようになる。

 


本当に大切に思う相手なら、

 

不動明王の慈悲の心を思い出して

 

「かわいそうな人」という位置づけをやめてあげて。

 


親もパートナーも同僚も

 

本当は「かわいそうな人」ではないのだから。

 


あなたも、そうやって互いを成長し合える関係へと

 

変化させてくださいね。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

あなたのハートに愛と光と祝福を。



無料メルマガ 制限を外して自由にはばたく!【変容錬金術】
※購読のお申し込みはこちら


携帯アドレスでは受信致しません。
必ずPCアドレス、Gmail、Yahooメールなどのアドレスで登録お願いします。



個人セッションやってます。
お申し込みはこちら⇒意識変革