ここ数日、3年ぶりに
あまのじゃくダイエット復活しておりますが
毎日、毎日気づきだらけ!!!
ただフツーにごはん減らして運動増やして
みたいなダイエットではなく
いわば
脂肪をつくる源となっている
価値観や考え方、
心のくせをみつける=
脂肪との会話ダイエット
なので、もう、そりゃ出てくる出てくる
克服したつもりでいたネガティブな思いや
自分らしく生きるのを阻んでいる悪習慣!!!
でね、わたしでも、って言い方はおこがましいですが
自分ケアの著書まで書いた人間のくせに
まだまだ我慢してることがいっぱいありました。
たとえば誰かと一緒に食事をするとき。
特に自分以外の人がお料理をつくってくださったときや
おごってくださるときなど
食べたくないものまで全部食べないと
作ってくれた人をがっかりさせるんじゃないかと
思うので、
笑顔で完食するほうがラク
という価値観でいました。
しかし、それはわたしにとっては
特に食べたいと思わないものまで
食べるという我慢のうえに成り立つこと
・・・なのに
「誰かをがっかりさせるよりは・・・」
「空気読んでないと思われるよりは・・・」
って、ラクをとりながら、我慢してたんですよね。
話はまたもや小さいころにさかのぼるのですが
うちの父親は非常に子供っぽいわがままな男だったため
母の手料理にしょっちゅう文句を言ってたんです。
はっきり覚えてるのは
わたしが5歳のとき。
忙しい母がばたばたと用意した
餃子が、ちょっと焦げてたんですね。
すると父が「こんな黒焦げたもん、食わすなや!」
といって母からフライパンを取り上げて
中身を捨ててしまったんです。
父の性格上、
たぶん、ただの八つ当たりだと思いますが
母はすごくつらそうでした。
わたしが5歳ぐらいの頃といえば
父が事業を起こし
あまりうまくいってないことが多かった時期だと思います。
あの頃は夕食時に父がおとなしく機嫌よくしている日なんて
数えるほどしかなかったので父が仕事で遅くなる日など
母と妹と3人でご飯を食べるときは
心からほっとしたものです。
年子の弟たちが生まれてからは
父のご機嫌が多少悪くても
2人の弟たちが
小さい子ども特有の
やんちゃぶりを発揮していたので
食事もにぎやかな楽しい場に変わりましたが
わたしは悲しそうな母の姿が忘れられず
食が細かったわたしが
母が用意したご飯は文句言わず残さず
食べるようになっていました。
わたしがおデブちゃんと
言われるようになったのは
そのころからです。
・・・で、わたし、今49歳でございます。
齢50を迎えてなお5歳の頃からの
我慢習慣を固く握りしめているのは
おかしな話ですよね。
前回のあまのじゃくダイエットのとき
我慢するほうがラクなんだ!とは
気づいてなかったんですよ。
我慢するほうがラクだなんて
おかしな話ですからね。
でも、わたしにとってわたしが我慢する方が
母が傷つかなくてラク。
ずっとこの考え方でいたのには驚きました。
多くの人が
「いえいえわたしは母嫌いでした!」
「母とはしょっちゅう揉めてましたから
母に対して何の思いもありません」
とおっしゃいます。
でも、捨てきれない癖、つい選んでしまう癖の
多くは母親に嫌われたくない一心で
身に着けたものではないかと思います。
食べることは生きることにつながりますが
そこになんらかの思い癖を絡ませていると
健康を損ねてしまう食べ方しか
できないのではないかとおもいます。
まぁ、わたしの思い癖の話なんて
興味ない方もいらっしゃるかもしれませんが
あまのじゃくダイエット期間はしばらく
こういうブログ続くと思います
おイヤでない方はまた読んでくださいませ💛
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