クズについて書くのが大好きな

 

クズ霊能者幸川玲巳ですニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ

 

そもそもね、まっとうな生き方ってなんだ?

 

って思うわけですよ。まっとうなという意味が

 

いわゆる社会的に認知されている

 

会社にお勤めすること

 

しっかり家族のために尽くすこと

 

だったとしたら

 

たぶんこの世の中の7割は

 

反まっとう道に

進むんじゃないか?

と思います。

 

だって、会社勤めが出来ない人も

 

今の世の中たくさんいると思うし

 

家族関係が複雑で家族に尽くすなんて

 

出来ない人も死ぬほどいますよ。

 

 

それを少しでも「まっとう」とされてるものに

 

近づけようとするから

 

悲劇が起こるんじゃないかな。

 

 

だって、その「まっとう」は

 

「まっとうが好きな人が作った理想」だから。

 

あ、今、思いついたダジャレですけど

 

「まっとう」を「納豆」に変えて読んだら

 

意味わかってもらえるかも!!!!

 

 

納豆が好きな人は納豆を

 

食べないなんて人間じゃないと

 

思うんですね。

 

なので自分の家族にも納豆を

 

食べさせたり好きでいて欲しいんです。

 

しかし、同じ家族とはいえ

 

納豆がどうしても食べれない人はいます。

 

納豆嫌いだと泣き喚いてるのに

 

納豆無理やり食べさせようとするから

 

さまざまな悲劇が起こるんですよ真顔

 

 

だじゃれの喩えに疲れたので

 

元に戻します。

 

自分がまっとうだと思ってる人は

 

「まっとう」な生き方を人にも強要します。

 

でもそれがいかに横暴かわかっていないし

 

まっとうな生き方が自分に合ってるか

 

どうかも本当にはわかってない。

 

なので最初から「まっとう」を拒否する人のほうが

 

自分に正直なんですよ。

 

 

わたしは小さい頃からうすうす

 

自分のことを「普通でない」と感じていました。

 

変なものが視えたり聞こえたりするたびに

 

母に泣かれ、叱られ、ぶたれ

 

幼稚園から中学生にかけて10年以上も

 

いじめに遭ってたので

 

「登校拒否」という言葉が定着する以前から

 

小学校1年生から2年生の3学期まで

 

そして中学校2年の1年間はほとんど学校に

 

行けませんでした。

 

 

 

うちの場合、母親は

 

「まっとう」な人だったと思います。

 

なのでわたしのことで

 

ものすごく苦しんでたようで

 

母が記していた日記には毎日のように

 

わたしが学校に行かない、また変なものが

 

みえると嘘をついた、体が弱い、

 

学校では一言もしゃべらない

 

といった愚痴が書いてありました。

 

一方でクズ父はわたしに学校に行けとは

 

いいませんでした。

 

むしろ休んでいる間、家のことを手伝えと

 

料理を教えてくれたりして

 

母から叱られることを叱ることが

 

ありませんでした。

 

霊能力についても父の場合

 

自分もその能力で苦しんでいたのでしょう。

 

それを口外すると叱られましたが

 

今振り返ると第一チャクラを鍛えることを

 

やらせてくれていたので

 

わたしはなんとか育ったのだと思います。

 

このようにうちの場合は

 

「まっとう」「クズ」両極端な立場の

 

両親がいたおかげで

 

いつも父と母、どちらの意見を

 

聞いたら良いのかわからないことが

 

いっぱいありました。

 

 

しかし、わたしの本質はどちらかというと

 

クズ寄りだったため

 

父よりも母のほうと衝突が多かったです。

 

母はそんなわたしを責めるというより

 

「親の私が悪い」

 

「この子は素行は悪いけど

 

いいところも見つけてあげなくては」

 

と周囲に言い廻ってましたから

 

本当に根っからのいい人だったのだとおもいます。

 

 

わたしの長年のコンプレックスは

 

母のように善良な人になれないことでした。

 

しかし、なぜか

 

母のように善良な人になろうとすればするほど

 

わたし自身が不幸になっていきました。

 

 

3度目の離婚をして気づいたのは

 

なれもしない母のマネをして

 

「善良なわたし」を演じてきたから

 

こういう結果になったのだと理解しました。

 

 

なぜならそこからわたしは

 

「性格の悪い自分を表に出そう」

 

と決めて、言いたいことははっきり言うようになり

 

占いプロデューサーN先生と出会い

 

毒舌辛口のわたしを占い師として

 

売り出してくれて今に至るからです。

 

まっとうな生き方が合わないからといって

 

社会不適合者でいる必要はないのです。

 

仮に社会不適合者でも

 

きちんと自分と向き合うということを

 

続けていけばその人なりに

 

幸せで豊かな人生を歩むことだって可能です。

 

まっとうであるということを

 

基準に人をジャッジし続けていくと

 

自分で自分の首をしめることにも

 

つながります。

 

まっとうな生き方以外にも

 

素晴らしい生き方、自由な生き方は

 

たくさんあるのです。

 

今自分が幸せでない人は

 

もしかしたら「まっとう」

 

を追いかけすぎているのかも

 

しれませんね。

 

 

それではどなたさまも素敵な夜を

 

お過ごしください。