誕生日を迎えました。



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社会人になって早6年。
なんも成長出来てないのに
周りの環境はどんどん変わっていって

知らぬ間に「母親」になっていた。






考えられる?
来年の自分が親になってるかなんて。

お腹に10カ月間守り抜いて
初めて「親」になる実感が沸くの。

それまでなんて
幼い自分となんら変わらない・・・















18歳。

私は念願のウエディングプランナーに
なりました。

突然の内定で
こころが舞い上がった。

いろんなことを経験した。
社会という怖さを知ったの。

でも、楽しくって
毎日が学びの連続だった。


そんなとき、
東京で「旦那」と出会いました。

そして東京に行きたい気持ちが募って
憲孝のことを知れば知るほど
「一緒にいたい」と思ったの。



まだ幼かった。
何も考えてなかった。

必死に貯めたお金で
東京へ引っ越した。


そして、あの夏。2009年8月。

「この子」を授かったことを知った。







19歳。

大人になる前に親になる。

正直怖かった。


憲孝の親はふたりとも公務員で
いわゆる「エリート」
・・・だったんだよね。

初めて会った日、
孫が出来て嬉しい半面
突然のことに
少しショックを受けていた様子で

それでも仕方ないからと
出産を許してくれた。



・・・泣いていた。

その日の夜、
憲孝はお母さんに泣かれる夢を
見たという。

あなたもあなたなりに、
苦しんだんだよね。






わたしは憲孝の子供が欲しかった。

今だから言えるよ、
本当はいつでも受け入れる覚悟は
出来ていたんだ。

わたしとあなたは13歳も離れてた。

だから
あなたの家族を
作ってあげたかったんだ。


でも、わたしは子供すぎて
ちゃんと分かっていなかった。



子供を授かることが
嬉しいことばかりじゃないってこと、
ちゃんと理解せず

戸惑いの中で
大切な人達のこころを
傷つけたことも。












義理の親と一緒に暮らした数ヶ月。

色々あったけど
たくさん勉強になった。

憲孝と母親は63歳だった。
わたしのおばあちゃんの年だよね。

優しくしてくれたこと
厳しくしてくれたこと

「働きながら子育てしたい」と
打ち明けたとき
喜んで賛成してくれたこと

わたしは今でも感謝しているんです。





2010年3月19日。

「梨愛」が産まれた。

誰も間に合わなくて
たった一人で6時間の陣痛と
戦い抜いた。

苦しかった。
背中をさすってほしかった。



16時16分、産声があがる。

わたしはその時はじめて
自分が「母」になると感じた。








20歳。


引っ越しをした。

少しの距離感が
時には家族のきずなを深めると
わたしは知っていたから。

実家の近くに部屋を借りて
「3人暮らし」が始まった。


わたしは梨愛の存在が
日に日に大きくなっていくのを
感じてた。

元々遊びが嫌いだったわたしは
自分の時間がなくなったことを
苦しむことは無かったけれど

それよりも
働く時間がほしくてたまらなかった。




母親ってなんだろう。

その頃よく、考えてたの。


何が正しいか分からなかった。

テレビで見かけるドキュメンタリーで
感情移入して泣くことも多くなり
社会が決めつける「理想の母親像」に
近づけない自分がもどかしかった。



それでも、子供は育っていく。

わたしは幸い母乳がよくでた。
母も姉もまったく出なかったから。

わたしは完全母乳で育てた。



3カ月の時、
月8万もかかる認可外保育園が決まり
ブライダル就職先も決まった。

何が一番辛かったって?


泣きわめく娘を預けることと
胸が3時間ごとに腫れ上がって
絞らないとまともに立っていられなかったこと。

今思うと、わたし、よくやってたよ。

搾乳器片手に仕事してた。
笑っちゃうよね。


母乳育児は大変だったけど
本当に大きくて丈夫に育つ。

風邪もほとんどひかなかった。
一度も保育園から
呼び出されなかったことが奇跡でしょ。



仕事に慣れたころ
もう一度ウエディングプランナーに
なれるチャンスがやってきた。

こんなわたしでも
受け入れてくれる会社があったのだ。




たくさん悩んだわ。

子供抱えてフルタイムだなんて。
誰が考えても無理たった。

でも、わたしはこう考えた。

好きでも無い仕事をして
仕事中、8割子供のこと考えて過ごし
惜しみ苦しむくらいなら

8割仕事のこと考えて
時々娘を思い出すくらい
夢中になれる仕事の方が
やる意味あるんじゃないかって。

1年間やってみよう。

出来なかったら
それはそれで諦められるから。






20歳の6月。
神楽坂ラリアンスへ入社した。








21歳。


ウエディングプランナーとしての
生活は楽しかった。

でも、社会人として
あまりに分かっていないことが
多すぎて苦しんだ。

それでも、自分の理想の
「ワーキングマザー」になる為に
毎日夢中になれたんです。



でも、良いことばかりは
そうは続かないんだよね。

そういうもんです。


育児うつに苦しみました。
家庭との両立が出来なくて。

そんな時期に
夫婦喧嘩、親の反対、娘の入院
仕事でのクレーム。

津波の様に一気にやってくる。


壊れかけた。




でも、やっぱりそんな時
救ってくれるのは
一生懸命志しを持って頑張っていた
「過去の自分」だった。

セラピーに通った。

恥ずかしくって
誰にも言えなかったけど
もう家族には迷惑かけなくなかった。

自分だけの力で
立ち上がれなかったら
もうあの頃の自分には戻れない。


嘘も見栄も全部脱ぎ捨てて
はだかになる勇気。




やってやろうじゃん。

誰がなんて言おうと。








そして、自分の中で答えが出た。


諦めよう。
休む時間を自分にあげよう。

呆れられたっていいじゃないか。
誰も責めたりなんてしない。

何を言われてもいいじゃないか。

逃げてるって
自分でもわかってるんだから。




一番の夢だったプランナーは
わたしの環境では出来ないってこと
ちゃんと納得できたこと。



それが一番得られたこと。









転職をした。
もう一つの夢だった美容の仕事。


セラピーに通うことで
見つかった新しい道。

同じ悩みに苦しむ人を助けたい。
育児と仕事と家庭を両立する女性に
エールを贈りたい。

自分の「女」の一面を捨てて
身を尽くす人に
女の子として楽しみを
思い出して欲しい。

自分を磨くことは
いくつになっても楽しいんだと。




子供がいたって
家庭があったって
いつからだって始められる。

転職だって、そう。
やろうと思ったときに踏み出せば
世界が変わるかもしれない。



オーガニックセラピストとして
自分磨きのお手伝いをする。

それと同時に
自分の汚れたこころの中を
掃除したいのです。

ガツガツした仕事スタイルは捨てて
嘘をつくのも
言い訳するのも
自分を見栄えだけ飾るのも止めて

もっと本当の自分に戻りたい。


素直に
「ありがとう」と言える自分に。












今年の一年間は
こころのお掃除をしながら
セラピストとしての技術を学び
どんどん向上していきたい。

資格もたくさんとりたい。
勉強がしたい。

時間の余裕があるうちに
家族との失った時間を取り戻したい。




いつか独立して
働く女性の為になれる
オーガニックサロンを作る夢を
抱けたこと。

本当にこの会社に感謝をしています。



暖かい皆さんのこころが
わたしを癒してくれる。

出会いの数だけ「愛」が生まれる。


いつかわたしが
誰かを癒し、愛してあげたいと思う。