ふとした拍子に昔の事を思い出していたたまれないような気分になることがある。
そんな、思い出すだけで心拍数が上がって顔が赤面するような「自分的に恥ずかしい体験」。

まあ、ひとによっていろいろあるんだろうけれど、

最近頻繁に思い出すことは、大学時代の事かな。

正直ガッコ時代の友達とか先輩とかに謝りたいなと思うことがある。

あたしは若くてバカで何も知らなかったし、
心を傷つけたりいろいろしてしまったから。


今だったらあんなとしないんだけれどなあ・・・。

けど、今はもう誰の連絡先も分からない。
だから謝ることはできないけれど、
気持ちは「謝りたいな」と思っているよ。

そしてそれを一生引きずるのが良いことだと思っている。

人って、赦されると気持ちが軽くなってしまってそこで終わってしまうからね。
でも、終わっちゃダメなんだよ。
したら同じ事繰り返してしまうかも知れないから。

あたしは賢くなったし、もう二度としないとは思っているけれどね。
戒めってものが必要なんだよ。


あたしの心の中の重たいしこりが錨(いかり)となって、
どんなに荒れた海にも流されることがないように。
軽くなっちゃいけない。


そもそも連絡つかないなんて嘘だ。

多分、時間をかけて調べれば分かること。
友達の友達とかそのまた友達なんかを辿っていけば、
きっとどっかでいきつけるはず。

けど、やりたくないだけなんだろうな。

ホントの所。

謝って赦されないとは思っていない。
赦してくれちゃうだろう。
・・・ていうか、もしかしたらもう今更忘れているかも知れない。
或いは年月の風化で、私のことなんかすらも忘れているかもしれない。

でも、「赦してくれてありがとう」なんて言っちゃいけないんだ。
それで自分を解放しちゃいけないんだ。

よく見に行っているブログで

宗教とモラルについて書いてあったのを読んでちょっと考えて見た。


モラルっていうのは、人々の倫理観だからねえ。

「今の社会のモラルを遵守する人々」に関してなんだけれど、
もしもモラルが真逆の世界に生きていたとしたら、
精神病として逆に病院に閉じこめられたりするという意見には懐疑的です。
彼らは、世界が違っても、
やはり同じようにその世界のモラルを遵守するような気がしてならない。

ヒットラーが世界を煽っていた頃、熱狂的にはまっていた人っていうのは
カレを「正しい」と信じていたからなんじゃないだろうか?

世界がぶれたとして、それでもまっすぐ立っているというのは、
なかなか普通の人には出来ることじゃあないような気がします。

残酷な慣習を持つプリミティブな部族があったとしたら、
そこの部族に生まれた人たちはみんなその慣習を守っていくわけじゃない?
「他の生物は実際共食いもあるし」というけれど、
カニバリズムを持つ文化って人間でも散見されるよ☆。

まあ、いずれにせよ、モラルというのは難しいね。

宗教というのは、そういう意味では非常に便利な存在かもしれません。

例えば平気で殺人をするような人たちがいたとして。
「殺人をすると地獄に堕ちて永遠に焼かれるぞ」と言うのは効果的ですね。
だって、誰も死後の世界なんてみたことないんだから。
(この場合、臨死体験したような「半死人」は除きます。)
あるいは、「自分の殺人を悔いて、以後優しい人になった」ような人に、
阿弥陀様とか天使様とかが現れて、なんか良いことをしてくれたり、
天国にいけちゃったりする、という話も効果的です。

「なんで人を殺しちゃいけないの?」
という問いに関して、あたしたちはあまりにも無力だからです。

「ダメだからダメ」だと説得力にかけるし。
「あなたが殺されたら痛いでしょ?」って言っても、
ちょっとそういう話とも違う気がするし。

こんなに各宗教・各国の法律がこぞって「殺人はダメ」といっても、
それでもなくならないってことは、
なんか必然性があるんじゃないかとか、
人というモノは、殺人をしないと論理矛盾になる存在なのかもしれないとか、
そんなことまで考えてしまう程です。

「殺してはダメ」って言っても、
「殺した方がよりよい世界が作れるから」という大義名分だとか、
「神さまの為の聖なる戦いなのだ」という思いこみだとか、
「敵討ち」だとか「プライドの問題」だとか、
まあ、いろんな理由で、なくならないものなのですよ。
抑止力があってすらこうなのですからね。
なかったらどうなんでしょ。こわいもんです。

ま、無駄話はともかくとして、
「こうしないと天罰がくだるぞー」というのは、
モラルの統一にはとても都合のいいものだろうと思われます。
「神さま」という形を借りた方が
モラルの統一がしやすいという点で評価しています☆。

文化がいろいろだから、「神さま」もいろいろになってしまうんだろうけれどね

全ての病気の中で、精神病って一番難しくて複雑な領域だと思う。

一昔前だったら鬱も無かった世界。
だって人々は生きるのに必死だったから。
きっと鬱だのひっきーだのになっている余裕なんてなかったんだろうな。
どーしてもダメなら自殺する。

そういや今、一時期に比べて自殺が少ないような気がする。
まあ、社会人なんかが金策に困ってっていうのは不景気だからあるんだろうけれど、
経済も、あまり実感がないものの、一応回復しているようだし、
悲惨な自殺の話は聞かなくなったなあ。
かわりにヒッキーやヲタクや精神病ばかりが目に付く気もするけれど。
ということは、人々は自殺する気力もなくなって、
ゆるーくたるーく生きているという事なんだろうか。

これって結構実感ともなって分かるような気がする。

だって、最近の人たちって、ホントなに考えているかわかんないぐらい、
やる気はないし、めちゃくちゃだし、その日暮らしだし。

ま、逆を言えば、そんな時代だからこそ、
きっと「頑張れば報われる」世界になるのかもしれないと、
ポジティブにあたしなんかは考えているんだけれどね。

でも、いずれにせよ、
みんな、おそろしいぐらいなに考えているかわかんない。
楽しいことが好きなのは分かるけれど、
その「楽しさ」が共有出来なかったりするし、
何よりも気力のなさ、がんばることが出来ないトコに危機感を感じる。
こんなんで、将来、この社会をこの人達に渡してしまっていいんだろうか。

多分、ほどほどを知ってしまっているからなんだろうな。
上に行くにはがんばらなきゃ。
そしてがんばることは、正直しんどい。
(そこらへんが甘いと思ってしまうのだけれど)
上に行っても、ホリエモンみたいに逮捕されて終わってしまうかも知れない。
そして、下へゆるく転がり落ちていってもたかが知れている。

きっと、そんな中で、ニートやらヒッキーやらが増えていくんだろう。

睡眠薬や安定剤を飲んでいる人も増えている。

周囲が甘やかすから、或いは病名がついてしまうから
精神病って言うのは病気として確立されてしまうのではないんだろうか。
これがちょっと切り口が変わると、「精神病を作れる」という状態になるのでしょう。

「おかしい」人はこの世界にはたくさんいるんだけれど、
その「おかしい」ってのも随分幅があって。

何が正しいのか、何が正常なのかっていうのは或る意味哲学的な気もする。

はみ出す幅、はみ出す方向。
そういうものがいろんな特質を作っているような気がする。
「天才」と呼ばれる人たちも、「規格外」。
占いや予言なんかの方向にはみ出している人だっているだろう。

全ての人間がマイナス方向に飛び出しているわけじゃない。
そして、一見マイナス方向に飛び出している人だって、
才能の生かし方によってはプラスに転化することだってできる。
例えば殺人の天才だったら、それ自体はマイナス要因かも知れないけれど、
戦争地帯で傭兵になれば、きっとそれはプラスになるはず。

何が精神病なのか。

そこらへんの基準は果てしなく曖昧。


久しぶりに友人とお話しました。


恋愛相談したら、あきちゃんって

どうしていつも強烈に追いかけられるんだろうねって話になった。



優子ちゃんが、

あきちゃんって守ってあげたくなるよね

実はシッカリしていたりするのを知ってはいるけど、

視覚的に儚くて消えちゃいそうなイメージが先にくるんだよね。

あきちゃんの妹さんも男の子より自立していそうなのに

やっぱり、外見が、儚くて華奢で守ってあげたいって人に感じさせるよね

これはもう、モテルDNAなんじゃん

あきちゃんずるい・・・・・・・・・。

ゆっくりしゃべるし、おっとりしているし


社長もあきちゃんが、

心配で心配で仕方ないのが見ていてわかるもん

結婚してあげないよ、優しいし良い人だよ

あきちゃんずるいよ・・・・・。

男の子とかも言っていたよ、あの子って心配になるって

結婚したいって☆





理香さんは、

理香の友達にもそういう子がいるんだよね。
あんまりにもいい子なんで、ホント理香が迷惑かけっぱなしで、
いつも「申し訳ないなあ」と逆に思って、彼女を気遣ってしまう。
不思議とそういう心理になってしまう。

才能だよね。

あきちゃんのは才能だと思うよ、人がほっとけなくなるもん


あきちゃんが

変なヤツに捕まったら、
そのなんでも受け入れてしまう性格から考えて、
利用されたりヒドイ目にあうんじゃないかと思うと、
別に頼まれてもいないのに「助けなきゃ!」と自然と思ってしまう。

だって、どんな事をしても、「いいよ~」って笑って赦してくれたら、
心のある人は、当然、ちゃんと「申し訳ない」と思っているだろうけれど、
心のない人は、「あっそうなんだ」って何とも思わないだろう。
いかんいかん。

そういえば、昔話で、日本でも中国でも、
釣りをやっているおじいちゃんが、実は高名な兵法家だった、とか、
畑を耕している農民っぽい人が、実は凄腕の剣豪だった、とか、
そういう話があるよね?
あきちゃんの場合はまさにそんなカンジかな。

いつもにこにこしていて、
怒ってもあんまり攻撃はしないし、

ストカーぽい人とかにも優しく丁寧に対応するじゃん

普通は毅然としゅちゃったりもっとキツクなったりしそうなのに、

本当に優しく話を聞いてあがるじゃん

そういうの見ると、うわぁ~なんて優しい子なんだって

心を打たれて助けてあげたくなるんだよね。


この類い希なる素質で、絶対不幸にならないと思う。
だって、世界には心ないひとたちばかりいるわけじゃないから。
そして、心のある人があきちゃんを見たら、手放さないだろうね。
そうしてあきちゃんは永遠に守られるだろうな。

大切に、大切に、ね。




ところで女王様は、常々、
「この世には、驚くほど
自分の言動に対する客観性の欠落した人間がいるものだが、
これは一体どうしてなんだろう?」
という疑問を抱いていた。

自分の言葉や行動が他人にどんな気持ちを与えるか、
そんな言動を取る自分は相手の目にどう映るか、という事に一切無頓着というか、
わざと無頓着に振る舞っているのならともかく、まったく分かってない人が、
この世には意外と多く存在しているものである。

そういう人たちは、べつに頭がおかしいわけでもはないので、
きわめて普通に社会生活を営んでいるのだが、
やはり「なんか変な人」とか「無神経なヤツ」という印象を与えてしまうため、
周囲からそれとなく嫌われたり敬遠されたりしやすい。

だが本人は、自分がなぜ嫌われるのか皆目見当もつかないだろうし、
嫌われていることにすら気付かないのだ。

いや、もしも気付いたとしても
(たとえば、はっきりと嫌悪感を表明するような相手に
ぶつかってしまった場合)、
「あの人は自分を誤解している」とか
「あの人は自分に嫉妬しているのではないか」などと
的はずれな想定をしてしまい、
ますます相手の地雷を踏むことになる。

その「物わかりの悪さ」みたいなものは、
本人のIQなどとは全然関係ないらしく、
学歴が高かったり、アカデミックな職業に就いていても

こういう独特の愚鈍さを発揮する人はいるのである。

こういう人々は、もしやミラーニューロンの働きに問題があるのではないか、
と、女王様は考える。
「病気じゃないけど変な人」の謎は、
今後、脳の研究で解明されていくかもしれない。

(さすらいの女王385 中村うさぎ)

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久し振りに「週刊新潮」を読んでいたら、
先日購入したばかりでまだ目を通してもいない
「クオリア入門」(茂木健一郎)について中村うさぎさんが書いていたので
思わず読んでしまった。

まだクオリアについては語れないのだけれど、
ただ、この中村さんの解釈でいくと、少し恐ろしいような気がしてくるんだよね。

「物わかりの悪い人間」っていうのは確かにいるよ。
「どーしてこんな簡単なこともわかんないんだろう?
しかもその年になって!」みたいなね。
「人に嫌なことを言ったら嫌われる」というような
どこをどう叩いても間違えようもなく子供でも理解出来るようなことを、
なぜか理解していない人。
「理解していても言ってしまう」というわけでもなさそうで、
どうも理解出来ないらしい人。
こんな人が、確かに存在する。

ただ、私みたいに文系の人だと、
「何らかの原因があるんだろう」って考えるのね。
「育ってくる時のご家庭の環境」だとか「つきあっていた友達の種類」だとか、
なんらかの要因があって、
「考えてこなかったんだろう」って考えるの。

だから、要するに、人は全て同じで、
問題は「その人の関心がどこに何パーセントの割合で向いているか」
或いは、関心自体の量がどのぐらいなのか、
という事の違いだと思っている。

車に関心のある人もいれば、お洒落全般に関心のあるひともいる。
アニメなど特定分野にめちゃくちゃ飛びつく人もいれば、
金儲けだとかに関心があってイコール、ビジネスで成功する人もいる。
「いろんな事に広く関心を持つ人」もいれば、
逆に「ある特定分野以外の事には、殆ど何にも関心を払わない」学者タイプもいる。
そして、関心がある事に対して、人は一生懸命になるし敏感になるけれど、
関心のないことって、結構どーでもよかったりする。

だから、そういうものの違いなんじゃないの?
そう受け取るんだよね。

けど、これが、「脳の問題」になってしまうと、ちょっと怖くない?
だって、そしたら、「改善しようがない」んだもの。
いや、勿論、病気なら病気って分かった方がいいんだけれど。
したら「治療」出来るかも知れないし。
でも、逆に「病気」って納得されちゃって収まるところに収まっちゃってもねえ。

「生活環境の違い」とか「関心の置き場の違い」とか、
そういうことによって「分かってない」んだったら、簡単だよ。
「わからせてあげればいい」んだから。

今まで「人と波風たてたくないから言いたくない。」
「別に嫌われている人に『あんた嫌いよ』って言ってもしょうがないし」
「あの人を直してあげる必要はない。自分は去るのみ」
などとみなさんが思っているんだけれど、
そうするとますます意固地になるでしょ?
だから、誰かが分からせてあげて、矯正してあげればいいんだと思うの。

周りの反応を見たりとか、
親切に言ってくれる人の話を素直に聞いたりとかしていると、
「なるほど、こういう所が受け入れられないのか」って理解して、
今はとてもまともになったと自分では思っている。
大分普通になじんできたと思うの。

「物わかりの悪い人」「なんか嫌われている人」っていうのは、ちょっとかわいそう。
明確で分かりやすい
「理由」があるわけじゃないから
助けの手をさしのべようとする人も少ないだろうな。
子供とかならともかく、

「もうその年になったら自分の責任だろ」って思われるだろうし。
だから、チャンスがなかったりするんだよね。

けど、絶対、教えれば分かると思うんだ。

だって、そういう人には、得てして「普通の人よりは賢そう?な」人が多いし。
(だから尚更「どうして?」って不思議に思う)
というか、多分本人は自分の事を「他人よりも頭がいい」と思いこんでるんだろうな。
しばしばそういう言動も見られるし。
まあ、実際どうなのかはさておき。

脳みその問題で、独特の愚鈍さを発揮しているんだったら、
悪いけれど、専門家以外打つ手ないじゃん?
まあ、たまに、あんまりにも改善が見られなかったりすると、
「やっぱ、無理だわ」って思うことがあるから、
そういう考えに逃げ込めたら一番らくちんなんだけれどな。



捨て猫を拾って来たけど病気で、怪我をしていて、

片目が見えないんだっていわれて本当に可愛そうだった

その子猫を病院に連れて行って手術しているっていっていた、

誰か飼ってくれる人がいないか探しているって、



だから私がだいちゃんに聞いたら

イイよ♪と即答だった、


「弱い小さい生き物を助けてあげるのは大切なこと、

あきちゃんは、本当に本当に心が綺麗で良い子だね

だいちょは、感動しちゃったって」


イイヤどう考えても優しいのは私じゃなくて、

拾って来て病院に連れて行った彼と

イイよって即答してくれただいちゃんじゃん

チクリと胸がいたんだ



でもね、でもね、病気なの、目が見えないのって言ったら

治るのって心配そうに言うから

私はてっきり見た目のことを言ったのかと思った

だから多分ね、治らないみたいボコっってしちゃうの、

目が飛び出ちゃっているのと言ったら

そうしたら、違うよ、そうじゃないよ


見た目のことじゃないよ

だってずっとイタイ!イタイ!だったら猫ちゃん可哀想でしょう

病院に通院したりするんだったら動物病院を家の近くで探さなくちゃだし


ズキ・ズキ・ズキン・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっとでもだいちゃんのことそんな風に考えた私は最悪だ


さらに

☆俺がそのぶんいっぱい・いっぱい可愛がってあげるからそしたら早く元気になるよ☆


ビックリした

彼の純粋さは学生の時から全く変わって居なかった

優しいんだね、ホロリときちゃった

本当に真っ直ぐ。

両親から目一杯の愛情を注がれてスクスクと育って来たって感じる



あきちゃんが美人で綺麗!なことよりも

弱い生き物を助けてあげられる優しい所は

もっともっと良いところ、

だいちょは自慢したいよ

あきちゃんは素晴らしい子だって誇りに思うよって・・・・・。


なんだかこの言葉って父親が娘に言っているみたい(笑)

誇りに思うって?????

自慢って???誰に???何のために???



だいちゃんが、あんまり感動しちゃっているし私のことを誇りに思うとまで言われて

さすがに良心が痛んだから本当のこと言った


「本当は私じゃなくて私の彼が拾ったんだ・・・。」



でも、あきちゃんは優しいよ、

だって可哀想って思って小さい生き物に親切にしてあげる優しい気持ちがあるもん。

イイ子!イイ子!に育って良かったぁ~って

オーイ

だから、私は娘じじゃ無いってばぁ(爆)



「あきちゃんは、俺のコンタクトレンズ、無いと目が見えなくなっちゃう」

プスッと吹きだしてしまいそうなことを言っていた(笑)

例えがなんかおかしいし、微妙だし、でもなんかウケル・・・。


どこで飼うか迷ったんだけど、ロフトで飼うよ~♪






ちっちゃいことって大きいことだと思うんです。人は一人では生きていけないってみんなわかっていて、だからなんとかお互い顔色を見て、傷つけあわずに生きていこうとするのだけど、ちっちゃいことって本音だから、隠せないし本音だから出てきちゃううし、見つけちゃう、そうなると指先のささくれ見たいに真面目に痛くなったりする。痛いと不機嫌になる、基本形としての不機嫌。

例えば皆さんに、そういう経験があるかわからないけど、何か鉢植えの観葉植物を枯らしちゃったとする。もらいものだからそれほど心が痛まない。でもそのまま放っておいたら何だかよくわからない雑草がニョキニョキ生えてきて、そっちの葉っぱの方が好きになっちゃう。名前も知らない草なのに白いつぼみまで付け始めた。そのたくましさ奔放さが気に入ったし、誰にも大事にされない所や、頼まれても居ないのに出てきちゃった所が愛おしい。それで、その鉢を捨てられなくなって、時々水をかけてその雑草に言葉まで掛けるようになった時、家の人が全部むしっちゃったりする。だらしないからかたずけて置いたよって。こういうことがきっかけになって口をきかなくなったり。きっと他人が聞けばワガママだって逆に叱られちゃうようなことなんだろうけど、いやいや、実に人間はこういったちっちゃなことが噛み合うかどうかが相性というやつで、これがなかなか難しい。家族なら合うのかというと、ほとんど無理だし、どうしてあの親からこの私が(向こうは、どうして私からこの子が)といったケースばかり。


従って人の普通の姿はまぁ化粧をせずに生きていこうとすれば、不機嫌に貫かれることになるねね。

だから不機嫌は正しいのです。

機嫌のいい絵描き・機嫌のいい詩人・そんな人がいないのと一緒で、ちっちゃいことを大切にしようとする人は普通は機嫌が悪い。


だけど、人は一人じゃ生きていけないから、何とか堪えてニコニコ笑おうとしたりする。

好きなものを頭に描いて、好きな自分にかわろうとして。


ある人から言われた言葉、

「人はやりたくないことはやらなくていい」

「自分がやりたいことをやりなさい」

これはちっちゃくて大事なものを台無しにされてきた人の言葉。

発言した人の心の痛みと、辛さを感じて悲しくなった


たくさんのささくれのなかを歩いてきたからその言葉を与えられる人なんだと思う。

ものがわかっている人の方が実はとても辛かったりすることもある。


メルヘンって言葉はドイツ語で、メルがお話という意味。ヘンはちっちゃいという意味の接尾語。

つまり小さな話、短い話というのが本来の意味だけど、私は、小さいことを大切にする話だと勝手に思っている。


ちっちゃいものは、胸の中でずっと呼吸を続けている。

可愛がってあげてね。


ジェイコム男の言行録(アバウトです)


今日5000万(?)損切りしたことについて

→「実感を持たないようにしている。実感を持つと取引が臆病になる。」


昼食はカップラーメン

→「腹一杯食べると、午後の取引で頭が鈍る。」


さらに自分のことを株中毒といい、

「大損しないとやめられないのかなあ…」と物憂げに語っていました。


ただ、それだと残念ながら、彼はやめられないのでは!?

彼の冷静な取引で大損することは、ふつうありえないから。


彼は自分のことを「ただのニート」と言ってました。

自分でただのニートですって言えちゃうのは、

自分のやっていることに、自信があるからだって感じました。


外見から120億も動かしている人には見えない・・・

ニートの特集で拝見したらニートにも見える・・・

でも、株で120億も儲けれることは才能だと思う。


ジェイコム男は、

尋常じゃない勉強量&食も頭が鈍らないように制限していて、

生活が株一色、株に全力投球、物凄い集中力

凡人には真似出来ないんじゃないかな?

きっとその生活を出来る事が才能なのだと思う。

能力もあるんだろうけどやはり、一番は

行動が違うから結果も凡人と違うんだと思う!!

同じことが出来る人がどれだけいるんだろう?

それで、そこまで、真剣にやっている人はやっぱり個人差はあっても

結果は出ていると思います。


私は、彼の物事に取り組む姿勢に心を打たれました

尊敬しました。




無知は至福、という英語の諺がある。
何も知らないと言うことは、素晴らしいこと。

どんなに深い考えも、
バカとか若さの前では全く無力。
どんな細やかな思いやりも、
おそらく記憶にすら残っていないのだろう。

ホテルマンなんかだと「こちらの気遣いに気付かれない」というのが、
一番良いもてなしだとか、

素晴らしい気遣いだとかいうのかもしれないけれど、
あいにくこちらはそれが商売でもないので、

ぶっちゃけ、多少は気付いて欲しいなと思ってしまう。

「どうせこいつには通じないだろうなー」
なんて思いながらやっていた事なんかも、
「あー、やっぱり通じなかった」と思ってしまう。

ふー。やれやれ、だ。

逆に何も知らないのは強いよ。
なんでも言えるし、なんでも出来るからね。
それに、その若さに押されて、或いはバカのタワゴトを信じて、
周囲が一歩譲ることによって、成功してしまうこともある。
これこそ瓢箪から駒なのだろうか。
嘘から出た誠なのだろうか。

周囲の思惑に鈍感というのはいいよね。
相手がだめ押ししようとすると、曖昧な方法だと分からないジャン?
ずばっと言わなきゃならないから、
そこでしっぽを掴むことが出来る。

太公望のフリをして、実は剣の達人・・・みたいな昔の人。
すごい兵法学者なのにバカを装う人。
こういう賢人の気持ちが分かる気がする。

才気走って、いろんなことを口にするのは、小人。
自分を賢く見せたいのは、子供。

本当に賢い人は、難しい内容を平易な言葉で書くというけれど、
バカな顔を平気ですることが出来るのが
もしかしたら最強なのかも知れない。

人はいつになったら、
エゴや独善のくびきから逃れることが出来るんだろう。

思ってないわけじゃないの。
考えてないわけじゃないの。
ただ、とっさに然るべきタイミングで然るべき言葉が出てこないの。

あなたが嫌いなんじゃない。
ただ、溢れる情報の洪水の中で、かかわずらっていられないということ。

いや、いられないんじゃない。

この慌ただしい世界のうずまきの中で、
些細なことにこだわる喜びを知らないわけじゃない。
また、「優雅な人」たりえるために、
こだわりたいという欲望すら持ち合わせている。

ああ、だのに、なぜ自分は見落としてしまうのか。

それは気づかないうちに発散されるエゴ。
鼻持ちならない空気。
こんな私を慕ってくれる心達を傷つけている。

あたしはまだ煩悩から解放されない。