タムロリエ Official Blog

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奈良県出身NY在住シンガーソングライター
音楽、アメリカでの日常、自転車の話を主に書いてます
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ニューヨークで活動中のシンガーソングライターです! 英語が全く出来ないのにアメリカに来てしまった!!が、しかし!!いろんな人に支えられ、成長していく様をブログに描きます!
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出産までも大変だったけど、次の試練は1ヶ月間。

 

そんな1ヶ月を振り返り。備忘録。

 

まず1週間の入院生活を終えて(前のブログにレポした)

 

義実家にて過ごす日々。家族がいてくれるだけで本当に心強い

 

まず2週間は何故かがんばってしまって、やらなくていいことまでやってましたw

 

「母親になったのだから、自分が全部やらなくては」という風に

 

ちょっとずつ自分を追い詰めていました

 

それでも、お義母さんが優しくて、栄養たっぷりなご飯もつくってくれて

 

息子のお世話も率先してやってくれていたので入院中より断然楽でした

 

素直に寝かせてもらえば良かったのに何故か頑張ってた私

 

3週目に入った頃、お義母さんがコロナ陽性になり、私達にうつさないため

 

ホテルに隔離になった。翌日私発熱。コロナ陽性でした

 

息子の世話もしなきゃいけないしで急なワンオペにテンパリました

 

夫にお世話を任せて休むも、、こんなことになるなら、

 

最初からある程度休んで免疫をつけておけばよかった。。

 

と深く反省しました。まさかこんなことになるとは。

 

その次の日に今度は夫が発熱。彼はアレルギーで薬が飲めないので私よりしんどい

 

ということでまだ全然治っていないけど誰にも頼れずワンオペ育児が続く、、

 

なかなか辛い10日間でした。

 

お義母さんが帰ってきてくれた日は本当にほっとした。。

 

そこからはみんなゆっくりと回復していって、1ヶ月が経ちました。

 

ちなみに息子も鼻詰まりしんどそうだったので多分コロナにかかってたんだろうな

 

熱とかは出なかったけど。

 

いやー、怒涛の日々だった。きつかった。

 

でもこれが最初の壁だったのか、と。乗り越えられたということは大丈夫だと

 

自信に変えることにしました!

 

そして無事に1ヶ月検診を終えて(生まれてから1kg以上増えてた!)

 

お宮参りには両親が奈良から来てくれて、夫の弟夫婦も来てくれて

 

みんなでお祝いが出来ました!

 

うちの両親が、私の指示した新幹線の時間をフル無視で

 

お宮参りに遅刻しそうになったのは、また別の話。笑

 

1ヶ月を終えて、Zwiftも再開し始めました

 

しんどい!のが楽しい!です!

 

パワーはだいぶ落ちているけど、ここからまた持ち直せたらいいな

 

たのしんでいくぞーう!!

 

先日出産レポを書いたのでその続き。入院生活レポ

 

うちの病院は母子同室メインだったので、それに従ったのですが、これがとてもきつかった。

 

出産してくたくたな状態で運ばれた病室。産んで2時間後にはお部屋に行きました

 

車椅子で運ばれたような状況で、1時間くらいは一人でゆっくり。

 

その間赤ちゃんは多分検査とかそんな感じで

 

部屋は4人部屋でしたが初日は私ともう一人の2人しかいませんでした

 

そして1時間後、連れて来られた我が子。かわいい。

 

そこからずーーーっと母子同室!!!

 

正直初めて新生児に触れるし、赤ちゃんの抱き方も何もわからん状態で

 

え、これから私が全部オムツ替えたりあやしたりするの?!え?!ってパニック

 

一応助産師さんが定期的に見に来てくれるのだけども

 

どうあやしていいのかわからん。。し、、なんせ眠い!!!!!!疲れたよ!!!!

 

寝ーかーせーてーくーれー!!!!!!!って感じでした

 

部屋に入ったのが深夜1時前で、なんやかんやわが子と向き合って、

 

朝方にはくたくたの限界が来て、7時頃見かねた助産師さんが我が子を預かってくれました

 

うちの子は2364gと低体重で生まれたので、毎日朝9時半に検査があって

 

それまでの時間、やっと初めて眠れました。その時間約3時間ないくらい。

 

毎日我が子と向き合って、2日目の夜が本当に全然寝てくれなくて

 

抱っこしてないと大泣き!!って感じだったのでほぼ20時間くらい抱っこしてました

 

ご飯食べるときも何をするにも抱っこ。病院食の味なんて覚えていない

 

ただ、冷たいってことだけ覚えてますw

 

片手で赤子、片手で食事、を産後2日目で強いられるのまじで鬼畜やって泣きそうになった

 

3日目に我が子の体重が2100g代になってしまったので他の子達より少し早めにミルクを導入

 

私の場合、母乳があまり出なくて飲みづらそうだったから余計に。

 

飲みたいのに飲めないーって顔してるの見るのが辛かった

 

ミルクを飲みだしてからはよーーく寝るようになって、3日目4日目は比較的穏やかに過ごせました

 

そして5日目、退院の予定の日。朝から赤ちゃんの検査があって、それがクリアなら退院ってとこで

 

検査の前に「少し黄疸ぽいから、血液検査大丈夫ならいいねー」って言われて私の精神崩壊。

 

これ以上入院が延びるのは精神的に耐えられなかった。泣きながら祈りに祈って。

 

お昼過ぎにやっと結果が出て、無事退院となりました!

 

ほんとよかった。これで延長だったら私は壊れていたと思います。

 

そのくらい余裕のない過酷な母子同室の入院生活でした。

 

アメリカでは出産後すぐに帰される、って聞いたけど、この時ばかりはそれが羨ましかった

 

でも、赤ちゃんとある意味ゆっくり過ごせたし、自分がやらないと誰もやってくれない状況下で

 

学べることもたくさんあったし、思い切って挑戦出来ることもあった。

 

なにか失敗したり、危ないことがあれば助産師さんたちがいるし、って安心がある中で

 

赤ちゃんと向き合えたことはとてもいい経験になりました。

 

ただやっぱり面会くらいはさせてほしかったな。自由にテレビ電話もできないし。

 

そういえば入院中一度も誰とも電話してないw余裕なかったなぁ

 

退院の時の喜びは今でも忘れない、まじで全身が舞い上がってましたw

 

すっげー緊張してる夫に迎えに来てもらって、お義父さんの車に乗る前に写真を撮って

 

緊張して我が子を抱く夫の姿を見て、すごく嬉しいのになんとなく見栄を張って澄ました顔をしてましたw

 

おうちに帰ったらお義母さんが迎えてくれて、おかえりって泣いて抱きしめてくれて

 

その時やっと心からほっとして泣けました。もうひとりじゃない、よかった、助かった、と思ったw

 

ここまでが入院生活の話かな。

 

ちなみに入院2日目から同室に2人新しい人が入って、夜間少しだけお話して

 

どうしてもお友達になりたくて、4日目に連絡先を書いたお手紙をすっとカーテンの下に忍ばせて

 

仲良くなった方と今もLINEで毎日連絡を取り合ってて、それが入院生活での一番のよかった出来事です!

 

家での晩ごはんが暖かくて、お風呂が暖かくて、どれもゆっくりさせてもらうことができて

 

それだけで本当に幸せで号泣でした。

 

しばらくは緊張が抜けなくて身体が異常にこわばったりすることがあったけど、

 

それはまた別の話、、

 

身体中痛くて、辛い、痛いってなってる私には目もくれず、息子にメロメロだった夫の話も別の話、、笑

 

久々のブログです。安定期に入ってからは完全に放置してましたw

 

つわりの時期は本当に何も食べられないくらい酷くて寝たきりの状態を過ごし

 

帰国してからはやらなきゃいけないことをこなしつつ、

 

子供がいないうちに楽しめることを楽しんでおりました!

 

そういう模様はインスタとかツイッターに載せてあるからいいとして

 

今日は出産のときのことを忘れないように書いておこうかなと思います。自分のために

 

 

ということで、予定日が3月3日だったのですが、

 

実際に生まれたのは2月19日21時59分

 

38週2日だったので、目標にしていた時期に生むことができました

 

予定日ギリギリになると大きくなりすぎて私への負担が大きかったみたい

 

2月13日におしるしが来て、お?これはいよいよ?と思いながら

 

ラーメン食べに行ってそこそこに動いて、

 

夜中になって陣痛?!って痛みがずんずん来ていて、病院に電話するも

 

んー、とりあえず待機でって感じでした。この時点でめっちゃ痛かった

 

そこから3日間、一日の中で何回も前駆陣痛が来ていて、

 

どんどん体力が削られていって、途中の検診で内診グリグリがあったので

 

それに触発されて痛みは強くなるのに、決め手がなく、自宅待機な日々

 

初めての出産だから、初めての痛みで、基準がわからなくて、

 

十分に痛いのになかなか本陣痛に進まず苦しい毎日でした

 

焼き肉とかカレーとかオロナミンCとか、陣クス的なものは全部試してみたけど

 

結局一番「効いたな」って思ったのは、雑巾がけでした!

 

18日の昼間に体が重いながらも部屋とか廊下とか階段とか

 

ひたすらに雑巾がけをして、その日は主人のお父さんの誕生日だったのでみんなでお祝いをして

 

お風呂に入って、あれ?なんかすっげえ痛いんだけど???ってなったのが22時頃

 

1時まで様子を見て明らかに今までより痛いので病院に電話

 

とりあえず来ましょうかってなって行って見てもらうものの

 

んー、まだまだですね、どうします?一回帰ります?ってなって絶望したww

 

でも家で過ごす自信がなかったのでそのまま入院することに。

 

その後も5分間隔から全然縮まらなくて、痛すぎて気絶、起きて激痛を繰り返して

 

痛いです。。って助産師さんに嘆くと「ここからあと3段階は痛くなるよ」って言われて

 

腰が砕ける、、もうだめだ、、無理だ、、ってなりましたw

 

正直痛みには強い自信があったから、ナメてたんですよね。。

 

体力もあると思ってたし、なんだかんだ楽勝で産めちゃうんじゃない?って考えてた自分を

 

まじで蹴り飛ばしてやりたいと思ったww

 

10時半に4.5cm、13時に5cm、16時前に赤ちゃんどんどん下がってきてるよ!と励まされ

 

17時には7〜8cm←この段階で最初の段階アップ。限界や!って思った瞬間が何度もきた

 

18時に9cm もう泣きそうなくらい痛くて、いきんじゃいけないのにいきんじゃって

 

便秘だったから赤ちゃん詰まってるとか言われて、そんな事言われても、、、ってなって

 

20時に苦しむ私を見かねて、ドクターと助産師さんがグリグリしてくれて破水

 

その後一気に赤ちゃんが下がってきて、20時45分に分娩室

 

全ての体液を垂れ流した気がする。溜まってた便も全部出た。

 

ちょっと助産師さんとか笑ってたよね、でももうそんなことどうでもよかった

 

21時には子宮口全開になって、いきもう!今日中には産めるよ!ってなって

 

その前にたんまり出した便の感覚でめちゃくちゃにいきんだら、

 

助産師さんにすごく褒められた。笑

 

ああ、この感覚かぁ、となんとなくコツを掴んで、

 

息を止めて何度も何度もいきんで、なんだろ、ここまで来るといきむのが気持ちいいんですよね

 

陣痛は痛いんだけど、痛い!ってなってから息を止めて一気に踏ん張る!と

 

なんとなく痛いのもごまかせるような気がして、

 

早く出したい!早く出したい!って気持ちになって

 

21時59分に無事、産み落とせました

 

59分、ギリギリ1時間以内で生まれてくるところが、私の子だなぁって思った

 

生まれてきた子はちいっちゃくて、最初に出た言葉も「ちっちゃい」でしたが

 

それは心配の声ではなく、可愛いという意味のちいちゃいで、

 

2364gという、実際にも小さめさんだったんですが、体とかは全然しっかりしてて

 

未熟児、って感じじゃなくて、不思議な子だなと思った

 

生まれた瞬間に泣いてくれたし、生まれてすぐから目を開けて色々見てて

 

胸に抱いたときは暖かくてふにゃふにゃで、

 

でもすごく元気でどんどん上に上がってきて、新生児とか触ったことないから

 

どうやって下げていいのかすごく戸惑った

 

来る助産師さん全員に「えー、おめめくりくり!しっかり開いてるねー!」って驚かれた

 

その後胎盤が出てきたり、会陰を縫ったりの後処理をして

 

「電話とかしてもいいですよ」とのことだったので、主人に電話

 

テレビ電話で我が子を見せたら号泣してた

 

お義母さんにも見せてもらって、泣いてくれて、頑張ったねって言ってもらえて

 

その後母にも電話をして、「え、もう生まれたの?!」ってびっくりしてたw

 

そういえば陣痛が来て入院してから一度も連絡しなかったから、そりゃ驚くよなとw

 

出てきた胎盤見せてもらったり、ひたすら我が子の写真を撮ってもらったりして

 

ほんの少しだけゆっくりして、そのまま病室へ。

 

もう本当に頑張った、3段階くる、と言われてから5段階はきた

 

産んでる最中は、これが鼻からスイカか、なんとなくわかるな、なんて思ったりしていて

 

人生で一番痛い出来事で、人生で一番頑張ったと思った瞬間でした

 

でも、我が子は、本当に本当に可愛くて、産めてよかったと、心から思った。

 

そしてここから地獄の母子同室生活が始まるのですが、

 

それはまた次の話、、、