超超ご無沙汰してます!氷咲梨奈です。生きてます。

チムニー無双コラボのブログからずっと空いていたのですね…すみません。

ちなみに、コラボイベントの成果はこちらです。



曹丕/元姫/司馬昭/司馬懿/司馬師/半兵衛/陸遜/孫堅/孫権/孫策/周瑜/尚香/元就/信長/曹操/夏侯惇/夏侯淵/大喬/小喬/妲己/妲己プレミア/三成プレミア/ねね/秀吉/家康/慶次/政宗/王異/かぐや/ナタ/張遼/信玄/くのいち/趙雲



勢力など順不同。もちろん、私一人でこんなに食べたわけではございません、ほとんど貰い物です(笑)

私ももちろん3回くらいは行ったのですが、長宗我部元親のたたきサラダがほんっと美味しくて…あの塩ダレはどうやって作ってるんでしょう?胡麻油と塩と胡椒?

レギュラーメニュー化を切に望みます。チムニーグループの偉い方、ご覧になってますかー!?笑


さて本題。

この間、私が何をしてたかっていうと、主に恋愛についての記事執筆をするwebライターの仕事と、音楽の歌詞を書く仕事&趣味をしていました。

最近気付いたこと。私は三国時代の文学の考察をするのも好きだけれど、既存のものを眺めるよりも自分が言葉を書くことが何より好きなんだなってことです。

書くだけじゃなく、喋るのも好きだし絵もたまに描くし、とにかくアウトプットが生き甲斐と言ってもいいかも。

ちなみに、webライターは在宅の副業みたいなもんなので安いですが、作詞はそこそこギャラ出ます、税金も水商売同様に高いですが(爆)。私は初稿を仕上げるまでの時間は短いので、その後の修正の量によっては普通にバイトとかするより良いです…笑

趣味としても、感覚が鈍らないように無償でやってます。ニコニコ動画に投稿してるボカロPさんにご依頼いただいたり、たまに自分から歌詞募集に応募したり。

今後はもっと仕事としての案件を増やしたいと思っていて、近々、某音楽事務所に売り込みをかけにいきます。てか、もうデモ渡しちゃった…蹴られたらこっそり凹みます。


さて、ライティング関係の仕事は、ネット上の募集を見ていてもジャンルが多岐に渡っていますが、その中で「恋愛記事」と「作詞」を選んだのにも理由がありまして。

もちろん、得意分野でないと時間ばっかり食って仕事にならないので、それもありますが、一番は少しでも三国時代の文学に通じるものを感じられないかな…という希望的観測です(笑)

動機なんて自分が好きなように決めればいいんです。

どんな音楽だったかはよく分かりませんが、当時の漢詩もいわゆる歌詞だったわけですしね。

限られた文字数とルールの制約の中に、どれだけ感情を詰め込むか。そういう作業は通じる気がします。

恋愛記事については、恋愛系の詩が一番好きだからです。いつの時代も人を好きになる感情だけは大差がないと思うから。相手の気持ちだけは立場や権力だけではどうにもならなかったりしますし。


そんな感じで、主に歌詞を作っていて感じたこと大きく二つに分けて書いてみます。

まず、「必ずしも自分のことを書くわけではない」ということ。

これは重要な気付きでした。

私は、本人が書いた文章が残ってるから本人のことが分かると思い続けて、それを武将の中でも文に造詣のある人を贔屓する理由にしていましたが、残っている文章イコール本人ではないかもしれないんです。

小説を書くような感覚で、いろんな人物、いろんな立場、いろんな感情になりきって書く。

曹丕の燕歌行みたいに女性になりきった詩はまさにその最たるものだと思います。(もちろん、元々曹丕が実は女性だったなんて思っていませんが)上留田行とかもそうですよね、平民になりきっているわけで。

私は自分の実体験を書くことはまず無いくらいです。あ、うーん、1、2個はあるかな?まぁいいや(笑)

ただし、やっぱりどんなに文体を変えても作風を変えても、根底にある概念は基本的に揺るがないと思います。

フィクションは書けるけど嘘は書けない。

その人のカラーっていうのは、どうやっても滲み出てしまうんです。

三曹にしても、親兄弟であんなにも作風が違うじゃないですか。

既存のものを読み解く上で大事なのは、表面上の言葉の表現じゃなくて、一つの作品の意味でもなくて、複数の作品に共通した作者の深層心理なんじゃないかな、と思いました。


次に、「痛みや葛藤のような強い原動力から書く」ということ。

全部が全部ではないですが。

こちらの過去記事(http://ameblo.jp/rinapiblog/entry-10714924409.html )でも触れていますが、コンプレックスとかマイナスをバネにして書くということです。

上の記事では三国時代は乱世だからみたいになってますが、根本的には現代だって変わらないです。

窓の外で直接ドンパチやっているわけではないですが、人が生命を維持するのっていつだって凄く難しいこと。

三国時代には無かった車や電車に轢かれる危険もあれば、最近じゃ大地震がどうとか放射能がどうとか世界の終わりみたいに絶望的な報道ばかり目につく。

なので、乱世と完璧に差別化して考えられるものではないと感じています。

私自身も体が丈夫なほうではないし、怖いから、残したい。更にカタルシス的な意味でその場の発散をしたい。一番最初の原動力はそこでした。

そして、趣味にとどまらず仕事を取っていきたいと考え及んだのも、書いたからには多くの人の目に触れたいからです。

CDとしてリリースされてしまえば、都合が悪くなったからと言って逃げることはできない。つまり、上の記事でいう「社会に責任を持った者の文学」にも近づくわけです。魏帝とかと比べるのはさすがにおかしいので、"近づく"と言っておきますが。(既にボカロPさんがupしているものは例え趣味でも自分の意思で消せないので、既に責任持って寄稿してますけどね)

古傷を引っ張り出すこともあれば、全く新しいことを創造して書くこともある。願望を込めることもある。イライラをぶつけて風刺をすることもある。

どれにしても、大きな原動力がなければノリだけで一つの良い作品を作るなんて無理です。

皇帝になってすぐに、「蓋文章経国之大業、不朽之盛事。年寿有時而尽、栄楽止乎其身」と書き残した曹丕は1800年も前に分かっていたんだと思います。ひとつも間違いのないこの箇所に改めて嘆息。

「好きで好きで仕方ない!」というプラスの感情からハッピーなラブソングを書く人もいると思うし、それはそれで良いと思うのですが、どういうわけか私の歌詞にはそういうの無いなぁ…。それなりに良いことも恵まれてると思うこともあるんだけど、多分、そういうプラスは発散しなくても自分の内で噛みしめていたいんだと思います(他人事)


長々と書いてしまいましたが…個人的には、前よりも少しは気持ちを分かった上で建安文学その他、昔の文書を読めるようになったのではないかと感じています。

そして、やっぱり曹丕という人に惹かれるのでした。改めて『典論』「論文」に目を通して、もしかしたら気が合うのかも知れないと思ってしまったがゆえに。