わたしの大好きな番組に「カリスマドッグトレーナー」(「Dog Whisperer」)というのが
ある。
ドッグトレーナーのシーザー・ミランが問題のある犬の行動のリハビリをするだけ
でなく飼い主を訓練する。
犬に問題があるのは、飼い主の方に問題があるからだ。と。
犬は群で生きる動物なので、飼い主にもリーダーになって、群を率いて、自分を
導いて守ってくれることを求める。
でも、飼い主がたとえば愛情を与えるばかりで、規律を与えなかったり、散歩を
しなかったり、信頼関係を築けていなかったり、尊敬に値しないと犬に思われたり
すると、犬は自分がこの群(家族)のリーダーになるしかない。と考え、支配的な
行動をとるようになる。
それが問題行動と呼ばれるものになっていく。
シーザーは、飼い主がちゃんとリーダーになってください。と言う。
犬はリーダーにしっかりと支配されることで安心や平和を感じ、落ち着いた心で
幸せに生きることができる。
犬の心理に基づいたシーザーの指導で、犬も飼い主もどんどん変化していく。
これがめちゃくちゃおもしろい。
飼い主はリーダーになり、犬は群の一員となることで安定した心を取り戻していく。
そしてどちらも、もっともっと幸せで、喜びにあふれていく。
番組を見ていて、リーダーに支配されたい、というのは犬の性質に基づいたもので、
人間はそうじゃないよなあ~。と思っていた。
だって、自分の人生の主人公はわたしだもん♪と。
でも、コースを学び始めてしばらくして番組を見ていると、
いや、人間も同じかもしれない。
と思った。
聖霊(ハイアーセルフ)が先にたって、自分を守り、導き、指示し、面倒を見てくれる。
そっちのほうが幸せじゃないか!と。
人間がたった一人で生きようとするとき、それはエゴと共に生きることになってしまう。
だから、支配的になったり、攻撃的になったり、なにかに執着したり、おびえたり、
恐怖に捉われたりする。
これって犬の問題行動とまったく同じじゃない!?
そうかー、わたしたちもほんとうは内なるリーダー、内なる教師に主導権を明け
渡してしまったほうがリーダーを戴いた群の犬のように安定して平和になるのだな。
聖霊がリーダーということはなんて心強いことだろう。
聖霊をリーダーと仰ぐというのは、エゴの支配ではなく、聖霊の支配を受け入れると
いうことだ。
エゴとしての自分が聖霊に降参し、服従して、人生を聖霊を通して生きることを
選ぶということだ。
どっちの主人のもとにいるほうがより幸せかは、比べるまでもない。
犬と人間、実は同じだったのか~・・・。
そんなことを感じていた。
そして昨日、不死というあなたの現実」のトマスの福音書を読み返していたら、
こんなイエスの言葉があった。
[90] Jは言った。
「 わたしのもとへ来なさい。わたしのくびきは心地よく、
わたしの支配は優しいから。
そしてあなたがたは自らに安らぎを見出すだろう 」
数ヶ月前だったら怒り心頭で本を叩きつけていたかもしれないこのイエスの言葉が、
ほんとに快く感じられ、力みや緊張が緩んでいくのを感じた。
とろ~んと溶けていくような心地よさだ。
犬のようにお腹を見せて、イエスの前に転がってしまいたくなる。
自分がドMになった気もしたけど、心地いいからそれでもいいや。