私の母は今も入院生活を送っています。
12月の7日に再度、別の病院へ入院となりました。
11月の末に前の病院を無理やり退院させてしまい、やっぱり早かったんだと家族みんなが思いましたが・・・。
前の病院へ入院させたままで、果たして良くなったのか・・・。
私はそうは思えず今回の病院を探し、なんとか母を連れて行ったのですが、初めて主治医と面談して、「この先生なら・・・!」と希望を持てました。
父も弟も同じ気持でした。
こうして母の2度目の入院生活が始まったのですが、当の本人は不本意な入院の為、納得いかず大変でした。
母の病名は_____
双極性障害Ⅰ形。いわゆる躁鬱病です。
母の場合はⅠ形特有の躁状態だけが強い症状です。
初夏に熱中症が原因だったのか、持病の目眩を起こし、ひどく衰弱してしまった母でしたが、その後元気に回復した辺りから様子がおかしくなりました。
多弁、衝動買い、早朝から動き回る、怒りっぽいなど、今から思うと躁病の他なにものでもない症状ばかりでしたが、家族でも双極性障害という病名に結びつけるまでは、何ヶ月とかかりました。
ひとつひとつの言っていることは理解できることばかりだったから・・・。でも他の話とはつじつまが合わない。そして、私達誰もが双極性障害の本当の症状など全く知らなかったから。
だから母を病院に連れて行けたのは、色々と事件があってからになりました。
躁鬱病の患者が自分の病気を理解するはずもなく、母も例外ではありません。
今もなお、自分が躁病などとは全く理解していなく、どうしたら退院できるかばかりの言動をしています。
前の病院では、面会や通信を自由にできた為に、母の訴えに家族が混乱して治療を断念するという形になってしまったので、今回は面会もしばらくしないで、通信制限もしてもらっています。
(でも、母が看護師さんの目を盗んで病棟の公衆電話からあちこちに電話かけまくっていますが・・・)
私もどんなに辛いか。
必要だったとは言え、母を保護入院という形で閉鎖病棟に入れなければならなかったこと・・・。
母の涙の訴えに耳を聞かずに、無視しないといけないこと。
とにかく色々な文献を読んで、双極性障害のことを調べまくりましたが、今は母だとは思ってはいけない・・・。
そう思って病院での治療を受けさせるしか、回復の方法はないのです。
しかもこの病気は、完治することが難しいという。
いかに本人が自分の病気を理解し、向き合って、症状が悪くなったら薬で落ち着かせていくか。。。
退院できたとしても、そんな予防と治療方法で一生付き合っていかなければならない不安はとてつもなく、私は先週その不安に押しつぶされました。
でも、父が私を励ましてくれて助けてくれました。
私が折れてしまったら、母だけでなく、父もつぶれてしまう。
そんなプレッシャーもありますが、この病気を支える家族は、同じ思いで助け合わないといけない。
大切な母の為、
大切な父の為、
私がへこたれるわけにはいかないから。
1歳4ヶ月の子供を抱えながらの闘病生活は本当に大変ですが、りのちんぐがいてくれるから頑張れると思うこともある。
りのちんぐを愛しいと思う時、昔の母と私の姿が重なることがある。
こんな気持ちで私を愛おしんで育ててくれたと思うと、絶対私が治してあげたいと強く思います。
でも今はどんな説明も話も聞き入れてくれない母。
こちらも何度も感情的になってしまった。
今の主治医は、そんな私のことをすごく心配してくれています。
先日の家族面談の時に、最後に言われたことば。
「家族が自分の気持をしっかり持って、のみこまれないようにして下さい。ご自分は病気になってはお母さんも救えませんよ。」
本当にその通りです。
頼みの綱で見つけた病院でこんなに素晴らしい先生にお会いできるなんて・・・!
しばらく病院では先生にお任せして、私達はお互い家族で励まし合おうと思いました。
ママ。
必ず治るからね。
ママが病気を引きおこしたのではないよ。
いつも行っていた内科で軽はずみに処方させれていた、
パキシルとデパス
が引き起こした病気です。
そんな危険な薬を処方していた先生にも腹が立つけど、そんな薬を飲まないといけなかったママのストレスや体の不調を知っておきながら何もできなかった自分に一番腹が立ちます。
まだ始まったばかりの母と私達家族の闘病生活。
いつか大変な育児の中でも、家族がひとつになって頑張れたと思えるように、綴れればと思います。
(母が回復して、全員に公開できるまではアメンバー限定公開として、綴ります。)