ババジ大師は、弟子のラヒリ・マハサヤに
『クリヤのかぎは、それを授ける資格のある弟子にのみ授けなさい』
ババジ大師は、言われた
『神の探求のためにあらゆる犠牲をいとわぬことを誓う者だけが、この瞑想の科学によって人生究極の謎を解くことができるのだ』
ラヒリ・マハサヤ大師は言います
『弟子になる資格をいま少し緩和していただくことによって、その恵みをいっそう多くの人々に分け与えてはいただけませんでしょうか』
『お願いですから、初めは完全に内的脱俗の決心がつかない者たちにも、どうかクリヤを授けることをお許しください。 三重の苦しみにたえず悩まされている世の男女には、特別の励ましが必要でございます。 彼らは、クリヤの導きなしには、永遠に解脱への道を試みようとはしないでしょう』
『では、そうすることにしよう。神は、お前を通してそのご意志を表されたのだから』
ババジ大師は慈愛に満ちたまなざしでこう言われると、何千年来のクリヤ公開の禁令を解かれた
『謙虚な心でお前に救いを求める者には、だれにでも差別なくクリヤを授けなさい』
ババジ大師はしばらく沈黙されたあと、さらにこう言われた
『バガヴァッド・ギーターの言葉を借りて、わたしはここに厳粛な約束をしよう。【少しでもこの行法を実行する者は、大いなる恐怖・輪廻の生涯に付き物の深刻な生死の苦悩から救われるであろう】この言葉をわたしの約束として、クリヤを授けるお前の弟子たちに伝えなさい』
もともと本来のクリヤヨガは、『神の探求のためにあらゆる犠牲を払うことができる』ことがクリヤヨガを授けられる資格であり、実行していく資格だったのですが
最初のクリヤヨガの伝授の資格を、『謙虚な心でお前に救いを求める者には、だれにでも差別なくクリヤヨガを授けなさい』に変更されたました。
元々は、『神の探求のためにあらゆる犠牲を払うことができる人』のためのものなので、テンポラリーに週にクリヤを2~3回して効果を得れるものではないし
それに最低限の条件が『謙虚な心で救いを求める者』なのですが
どうして謙虚でなければいけないかというと、ババジ大師からラヒリ・マハサヤ大師に伝えられ、そこからユクテスワ大師、そしてヨガナンダ大師、ハリハラナンダ大師、ラーガバナンダ大師、そしてアラビンダ・グルジ、私クリヤナンダと流れているエネルギーが謙虚でないとそのエネルギーが流れないからです。
エゴの強い、自分勝手する人間にはそのエネルギーは決して流れないのです。
それにこのババジ大師から代々伝わるエネルギーが無いとクリヤのテクニックだけではクリヤの真奥に達することはできません。
なので、クリヤや伝授的なヨガは本を読んだり現在ならYoutube等で知って実践しても、大切な伝統的なエネルギーが流れないので、クリヤヨガではずっと昔からの伝授法であるクリヤを伝授する資格のある者からの伝授を受けなければなりません。
話しは変わりますが
先日、小学生の息子を座らせようと思って近くのお寺の参禅会に行ったのですが
座禅後にお茶と茶菓子がふるまわれるというので、お菓子食べれるよとお菓子で子供を釣って行ったのですが
名古屋の中心地なのに、本格的に修行されている場のようで雲水さんたちは、完全菜食で朝3時~夜9時まで座禅中心に修行していてお風呂と剃髪も4の日(4日、14日、24日)と9の日(9日、19日、29日)だけで
そういうところなので、誰でも参加していい参禅会もいきなり2時間の座禅でした。
私は、2時間くらいだとすごく気持ち良かったのですが小学生の息子は『二度と行かない』と言っていました。
日本のお坊さんでも、現在それだけの修行されている方もいるのだと知れて私は嬉しかったです。
もちろん殆どの人が家庭を持ち仕事をして生活しているのでそのお坊さんたちの半分も時間取れなくて当たり前ですが、やはり最低1時間、本当に運命や病気等を治そうと思ったら最低3時間はしないとそんなに変わらないです。
もし、私が現代医学では治らない病気に罹ったら寝る以外の時間全てを使うと思います。
今の私のところの生徒さんは、熱心な人で週1~2回、後は2週間に1回、1ヶ月に1回の人もいます。
私は、今のインドのグルジとのレッスンを週3回でもうすぐ4年で、私がインドのヒマラヤ等に修行で行った以外で日本に居てでは一度も休んだことがないです。
家族との旅行でも、そのレッスンの時間は必ず何処にいようと受けています。
風邪を引いても熱が出ても、酷い腰痛でまともに座れない状態でも一度も休んだことはないです。
『神の探求のためにあらゆる犠牲をいとわぬことを誓う者だけが、この瞑想の科学によって人生究極の謎を解くことができるのだ』
私は、このババジ大師の言われる上記の状態を常に維持しています。
本来のクリヤヨガや霊性修行は、こういう人のためのものです。
時間とお金をそのことの目的に最も使える人のためのものです。
少し話し変わりますが
修行者は、基本人に感情を向けてはいけません。
①人のせいにしても何も解決しないし、自分で今まで決断して生きて来ているので人のせいにする人は霊性修行のスタートにも立てていません。人のせいにしなく自分の責任として捉えるので改善していけるのです。人は変えれないですが自分は変えられるからです。
②自分の不運や運命を人のせいにして感情を出しても、そのバイブレーションは向けられた人を傷つけるし良くは思われません。誰しも攻撃されて喜ぶ人はいません。また、他者を攻撃した自分にもそのバイブレーションは残り余計に苦しめ乗り越えるのが難しくなります。
6月中旬からヒマラヤに一人で修行に行くことにしたのでクリヤヨガの新しい伝授は今月5月いっぱいで締め切ります。