こんばんは。
記事としてアップしようかどうしようか、かなり悩んだのですが、昨日ひと段落し、今日一日休んで少し落ち着きましたので、気持ちの整理も兼ねて、ここに書こうと思います。
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3月20日に施設から救急搬送された父が先週の12日に亡くなり、昨日が告別式でした。
「コロナが収束したら、去年7月に生まれた曽孫に会って抱っこしたい」と、ずっと言い続けていた父でしたが、残念ながらそれは叶わず。
でも、ある方法で対面は果たせたのです。
話は4月の下旬に戻ります。
救急搬送された病院は、救急病院でコロナ患者も対応していて、長くは居させてもらえません。
ましてや東京都は3回目の緊急事態宣言が出され、コロナ体制を強化したいとの事でしたので、入院してから1ヶ月以上経ってしまった父の転院を拒むこともできませんでした。
もう看取りの段階に入っていた父でしたが、転院をする事になったのです。
はじめは、コロナのせいでなんて酷い話。と思いました。
でも、コロナで苦しんでいる方を優先してもらわなければ。
そんな風に自分を納得させている途中に
ふと閃きました!
「でも待てよ。転院すると言うことは、外に出て介護タクシーで移動するという事。と言うことは、曽孫を転院先の病院に連れてくれば、外で会わせることができる!」
病院内には入れさせてはくれないかもしれないけれど、外でならそれは可能だ。
そう、面会は18歳以上で、それも危篤の時のみ。と言われていましたから、その日を逃してはもう父の願いを叶えてあげることができません。
そこで曽孫との初対面の計画を立てたのです。
抱っこはできなくても、頭を撫で撫ですることくらいはできるかもしれない。
すぐに転院先の病院へ電話を入れ、事情を話すと快諾してくれました。
4月28日のその日が来て、父をストレッチャーごと介護タクシーで転院先の病院へ。
駐車場には、娘夫婦が到着していて、孫はベビーカーに乗って、ひいじいちゃんを待っていました。
意識も朦朧としていた父ですが、私が父の手をとって、ひ孫の頭を撫で撫でさせてあげました。
孫は何が何だかわからない感じで、はじめはキョトンとしていましたが、だんだん顔が引き攣り、、予想通り大泣きしてしまいましたが、そのふわふわの髪の感触は父もわかったと思います。
私達大人も、もうその日が最後の面会となり、その後は病院へは入れてもらえないと言うことでした。
仕事が休みのゴールデンウィーク中も面会に行けない。
毎日悶々とする日々でした。
と、先週の10日に病院に電話を入れた弟から連絡が入りました。
「入院時よりも意識もあり、少し良くなった」と。
本人の希望から延命措置は施していません。
水分のみの点滴で、凄いなあ。
曽孫と対面できたから少し元気になったかな?
と、少し安心し、まだ暫くは大丈夫かもしれないと思っていました。
が、2日後の朝に病院から「呼吸が急に浅くなった」との連絡が入りました。
電車とタクシー(一番早く到着する手段)で、私が病院へ到着した時は、残念ならもう既に間に合わなかったのですが、とても穏やかに眠っている様な父の顔でした。
「大丈夫だよ」って言ってくれているようなそんな優しい顔でした。
転院前の病院では、命は今日か明日か、、と言う時期もありました。
家族が呼ばれて特別面会が許可され、その時にたくさんのありがとうを伝えてきたので、父もその時に私達の気持ちを受け取ってくれていたのかもしれません。
葬儀までの2日間はあれよあれよと過ぎ、最期に何かしてあげられないかな?
と、考えた時に、最期のお別れの花入の時に、祭壇の花だけでなく、実家と我が家の花も入れられたら父も喜んでくれるかな、と思い斎場に聞いたところ
「もちろん良いですよ」
と言ってもらえたので、家族葬当日は少し早起きして、庭の花で家族分のブーケを「今までありがとう」の気持ちを込めて作りました。
そして、お別れの花入の時に父の顔周りにこのブーケを。
曽孫も小さなブーケを入れることができました。
今度は泣きませんでしたよ。
家族葬でしたので、父を囲んでの思い出話もできました。
父も苦笑いしながら聞いていてくれたと思います。
レッスンお休みをいただいた生徒さん方にはご迷惑おかけしましたが、振替はお伝えした通りにいたします。
プライベート記事の長文を、お読みいただきありがとうございました。
父を送り出すことができ、今は少しほっとしている私です。