私の起業STORY~その17からの続き


捨てる神あれば拾う神あり、
ひとりになったと思っても、すぐに助けてくれる誰かが現れるのも、わたしの特徴。

大名サロンで「うんこ!」などの絵本でおなじみ作家のサトシンさんがいらして新聞に取材された時のスクリーンショット

事務所出てすぐなので、
ほら、めっちゃショートカットでしょ(≧∇≦)

この取材記事に写ってるのは、サトシンさんとまちかちゃん、そして、エコマム初の企業協賛お料理教室を実現してくれた、元HITACHIのIHクッキングヒーターのプロモーターだったナルミさん。

ナルミさんは、お料理研究家の古川先生のお教室を九電のキッチンステージでも実現してくれたりと、めっちゃチカラになってくれました。



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前の年に、おてて絵本のサトシンさんを紹介してくれた、キナックスさんと合同であちこちイベントしてまわった時の写真。

複雑に絡み合う、人と人との相関図と年表をほんとまとめたくなってきた。



その頃のママフェスタは引き続き、国際交流のべるちゃん


マサイ族の第二夫人、永松真紀さんをお迎えした大きなフェスタになりました。


この時のママフェスタは、今のFIKAと同じように、それぞれのエリアリーダーさんが自由に独立採算で運営をしていくスタイル。
本部に上納金を収めるなどの必要もなく、企業協賛が取れた時には、ブース出展を本部から要請し企業出展料をエリアに支払うという仕組み。


なので、リーダーさんのやりたいように、自由に企画していくので、それぞれの個性溢れるイベントスタイルになるんですよね!


ここで、
私の起業STORY~13話目の話が出てきます。
レンタルサロンの運営から徐々に現れてきた、スピリチュアルな人たち。


わたし、このころかなり傾倒していて、
以前から知ってた社長さんたちに
「清水帰ってこれるのか?」と心配されていたようでした。

株式サロンにいた頃、とにかくいろんな人達が出入りしていて、宇宙語しゃべる小さいおばさんが一番影響力ありました。
凝り性なんですよね、わたし。
最速でやり込んじゃうので、ある程度まで来ると、「こんなもんか」と思って身を引く。

なので、宇宙語もしゃべれるし、エネルギーワークなんかもできるし、チャネリングもできるけど、仕事になんかはしないもんね!

あと、そんな仕事をしてる人たちに、私より幸せそうな人をほとんど見ない。


なので、スピリチュアルスクールも開講したけれど、やっぱり本業はマーケティングなので、その時手伝ってくれていたスタッフの皆さんとは、必然的に離れ離れになって行くのでした。


来るもの拒まず、去る者追わず、
ボランティア時代と違って、僅かだけど給料も払ってたし、会社の方針に合わないのであれば、一緒にやる必要ないし、
立ち上げたビジネスはどうぞ持って出て行ってください!

この頃のわたしは、人間不信もあってか、
かなり非情な感じでした。
憧れの経営者は、ユニクロの柳井さんと言えば察する人もいるかと思います。
かなりのブラック企業ですよ、ほんと。
まあ、お互いさまやと思いますけどね…

↑やさぐれすぎでしょ?



でも、そんな中でもいい出会いもたくさんあり、
出会いには尽きない、本当にありがたい人生。

辛いこともたくさんあるけど、それよりも、もっと楽しいことがたくさんでした。




続く