ロックダウンがようやく緩和しつつあるベトナム、ホーチミン市
まだ制限はあるものの、飲食店も再開され、ようやくこれから!という時に、大切な友人の訃報が届きました。
ベトナム人オーナーのお寿司屋さんの経営をお手伝いしていた時に、力になってくれた副料理長が脳卒中で突然に亡くなりました。
Baoちゃん。まだ28歳でした。
大晦日の営業が終わって、帰宅しようと思ったらタクシーが全く捕まらず。
バイクで送ってくれた時の思い出の写真。
転職して、高級なレストランの料理長に就任して、今年の初めに、お店のリニューアルオープンでマグロの解体ショーをするからと、招待してくれた時の姿。
彼の訃報は、写真の右、着物を着て司会をする日本の水産品の輸入を幅広く手伝っているLanhくんから届きました。
綺麗な奥さんと結婚して、可愛い息子さんが産まれて、仕事も順調で。
幸せ太りでだいぶ太っていたけど、とても元気で。
また日本に行って、今度はフグの調理を勉強したいといつも夢を語っていたそうです。
毎日たくさんお酒を飲むので、Lanhくんは彼の身体を気遣って注意をしていたそうですが、聞き入れてくれなかったと…とても、悲しんでいました。
訃報を受けてしばらくは、全く現実味がなく、ただただ状況を聞いていましたが、しばらくしてからどんどん悲しみが増してきて、涙が止まらなくなりました。
Baoちゃんの料理の味付けはいつも完璧で、盛り付けも美しく、新しいメニューのアイディアもいろいろと協力してくれた。
魚の仲介の仕事もしてたから、いつも新鮮なローカルの魚を持ってきて、「麗子さん、これはすごく珍しいから食べてみて!」と、食べさせてくれていました。
まだまだこれから人生をもっと楽しめる筈だったのに、命がなくなっては元も子もないです。
彼自身もでしょうが、残されたご家族はもっと辛いですよね。
こんな時に、いつも自分の父を思い出します。
43歳でくも膜下出血で倒れた父
搬送先の病院で、覚悟をしてくださいと言われました。
当時、私はすでに社会人でしたが、年の離れた妹と弟がいて、しかも弟はまだ小学生でした。
私が家族のために働くんだと、付き合っていた彼氏とも別れて、覚悟を決めたりもしました。
奇跡に奇跡が重なって命を取り留め、しばらくは私たちのことも思い出せないくらいでしたが、母の献身的な看病の甲斐もあり、1年のリハビリを経て、社会復帰をすることができました。
でも、もう第一線で働くことはできませんでした。
父も毎日お酒を飲んでは午前様で
すぐにカッとして怒鳴る性格でもあったし
たぶん血圧は高かったと思います。
でもね。
脳卒中や心筋梗塞になる人
みんながみんな、分かりやすくリスクがある人ばかりじゃない。
Baoちゃんみたいに若い人もいるし
まさか!?というくらい、健康そうだったのに、ある日突然、朝起きたら亡くなってたなんてこともある。
コロナ禍の中で、リスクがみんな高くなってて
毎月のように、誰かの大切な人の訃報を聞いている。
血管は自覚症状がないから。
だから、誰がそうなるか分からない。
ロシアンルーレットみたいに。
こんなことがある度に、父が倒れた時の気持ちを思い出し、私は自分の子どもに同じ想いをさせたくないと強く思う。
なので、今の私の仕事は、神様が天職に巡り合わせてくれたんだと思っている。
薬機法という法律の中で、言いたいこと伝えたいことにたくさん制限があって、いつももどかしい思いをしているけれど、大切な人が亡くなる悲しみや、
重度な後遺障害が残って、ずっと不自由な人生を送る苦しみを、自分が動くことによって無くせるなら、無くしてしまいたい!って強く強く思うから。
法律に立ち向かうことも考える。
老化とは、細胞の減少と細胞の機能低下
それによって損傷した組織が修復できなくなる。
動脈硬化は、エラスチンの減少で起きる病気で、全ての人が動脈硬化を引き起こしていく。
そして、そこから起きる疾患は、命を奪うものになる。
若くても、絶対に大丈夫なんてことはない。
セミナーで詳しくお話ししています。
このブログの読者の皆さんは、受講料を無料でご招待いたしますので、「大切な人が亡くなる悲しみ」を読みましたと、紹介者の欄にご記載ください。
あなたと、あなたの大切な方のために、
ご活用いただけたら幸いです。