ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中
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皆さんこんばんは
いつも予約投稿ばかりでリアルタイムな話題がゼロな当ブログです
昨日は娘を寝かせてからその日のうちに記事を書こうと思っていて案の定寝かしつけ落ちをしてしまいました
当日でない、ほぼ被害を受けていない私が記事を書いていいものかと思う部分もありますが、更新いたします
文章を書くのが下手ですのです読みづらい部分もあるかと思いますがご了承ください
一応震災の日のお話になりますので苦手な方はブラウザバックでお願いします
昨日で震災からまる5年になりましたね
当時の私は結婚前で普通に仕事をしていました
仕事がら地震等があると機械の緊急停止があったりしてそれの対応に追われる社員のフォロー(といっても本社や客先からの電話で誰がどこに行ったか言うだけ)をしていました
直後は震度は大きかったもののそこまで酷いとは思っておらず、フォローが落ち着いたころに客先へと外出
さっきの地震凄かったねと話していると一斉に携帯が鳴って「緊急地震速報」の文字
初めて聞く緊急用携帯音にビックリしたのを覚えています
帰社後、社員がつけたテレビを見て初めて現地の惨状を目の当たりにしました
その時の思いや気持ちはかけませんが、ただただ驚きが隠せませんでした
会社の本社や相方の実家が関東にあり当日の帰宅困難になった事や周りの状況を聞きました(結婚直前でしたので相方実家とも交流がありました)
その後はテレビの放送規制や買い占め、原発の影響による風評被害等が遠く離れた東海地方にもやってきて震災の余波をはじめて受けました
機械にかかわっている仕事柄か業者から「震災関連で現地から仕事のオファーとかないんっすか」的な不謹慎な電話もかかってきたりして
被災地近辺に直接の知り合い等はいなかったのですが、ネットを通じて知り合った人がまさに現地の方で震災直後から連絡が取れず(しかも当日は学校の卒業式という晴れやかな時)
一週間後にやっと連絡が取れ、泣いてしまったのを覚えています
阪神淡路大震災の時はまだ学生で、東日本大震災の時は独り身でした
つぎは南海トラフが来るだろうと予想される昨今
まさにその現地(どちらにぶれてもど真ん中)に暮らし、娘という命に代えても守りたい物の出来た今、日々の暮らしとともに”もしも”の時を考えて暮らしていかねばと思っています
まずは引っ越ししたい!
湾内とはいえ海沿いの家、娘も生まれて狭くなってきました
相方が地元の人ではない為家を建てるという選択肢を選べないのが残念でなりません
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