私はニュースを聞いていて、リポーターの人が京都の裁判所から生放送で結果を伝えていることに愕然とした。
なんと被告の弁護側が無罪を主張したと言うのです。
理由は写真の通りです。
皆さん驚かれたんではないでしょうか?
32人もの人が被告による勝手な行動により命を落としているのです。これが現実です。これが事実です。
しかしながら論点は、心身喪失かどうかだそうです。
いつもこのような大きな事件が起きるたびに私は不思議に思います。法律って何なんだろう何のためにあるのか?
ここからは私の1個人の単なる意見です。
心神喪失かどうか?、、、
32人の人が死んでいるのです。
被告の訴えは、自分の作品がパクられた。
はっきり言ってよくある話。
悔しいのはわかります。
いきさつがどうであれ、32人の罪のない人が殺され、命を落としている。
心神喪失だったから、仮に無罪になったとしましょう。
皆さんはどう思われますか?
残された遺族はどう思いますか?
心神喪失だったら、罪を問わないと言うのは私はおかしいと思います。
なぜ被告人の心身状態を優先しなければいけないのか?
32人の失われた命より、なぜ被告人のメンタル面の方が優先されるのか?
最近よく思うのです。
1人殺したんだったら死刑になるべき。
3人殺さないと死刑にならないと言うことを知っていてする人間もいるほどです。
スピリチュアルな視点を外して考えてもおかしいと思います。
1人殺しても、その被告人が死んで詫びても許される事はありません。そしてその事実は消えません。
今のこの世の中で大きな事件を起こす人が多くなってきました。
はっきり言って、そのような人間のメンタルがまともではないです。
まともでないから、言うならば、心身喪失状態であるから、そういうことをするわけです。
そしたらですよ!そういうことする人間全てが許されると言うことになりますよね。
まともな精神状態だったらできないわけです。
まともな精神状況でないから、そのような大きな事件を起こすのです。
そんなこと言っていたら、すべての事件が無罪になります。
なぜ法律はもっとシンプルに捌けないのか?
法によって裁かれることの意味って何?
と思うのでした。
法によって裁かれた結果ではなく、みんな自分の魂と向き合うべきだ。
自分のメンタルの辛い弱い矛先を他人に向けるのではなく、自分に向けるんです。1番きついけど。
そのためにみんな生まれてきた。