【29日のご報告】日教組壊滅・自由社・育鵬社教科書推進、周知活動 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

【29日(月)のご報告】

この日はテレビ局の取材もありました。

尊皇隊のいぶし銀、大江さん、西山さん、ミリーさん、Mさん、いつも参加くださるお兄さんも駆けつけてくださり、心より感謝申し上げます(‐^▽^‐)毎度ありがとうございます。

平日ということもあり、多勢に無勢な感がある私達の活動ですが、反対派の方々はいつも多くの動員ですが、きちんと働いているのでしょうか?ふつうまともに働いていたら、あのように百面相のように顔を歪めまくって下品に吠えまくったりする気力も果てていると思うのですが・・・

謎だらけの反対派です。

私達の活動が始まってから、街宣場所の市の所有物件などに“ヘイトスピーチ反対”のポスターが貼られるようになりました。

活動家の方々の働いている場所に電凸して居場所をなくさせようとしたり、大勢で押し掛け嫌がらせをしたり、大勢でいると集団心理が働いて粋がって自身を大きく見せようと必死な彼らですが、いよいよ来るべき7月9日に在日朝鮮人の通名廃止が実施されるようですので、断末魔の叫びと捉え、私達は粛々と良識ある日本人の地元民の方々に教科書問題を訴えかけていきたいと思います。

私は昨年、しばき隊と称される組織と偶然デモ後に、とある喫茶店で遭遇したことがあります。彼らは10人ほど先に席について楽しく会話をされていましたが、いざ私達が喫茶店内に足を踏み入れ、私達に気付くや否や楽しく談笑されていた顔付きが一変、下をうつむき急に沈黙になったのです(笑)

その姿を見た私は、他の活動家の方々に「ほらね、人前では威勢のいいこと言ってて結局は誰も見てないところではこんなものなのよ」と、むやみに挑発することをたしなめました。

その他にも彼らは1人では絶対に突っ込んでこない。殴りかかろうとする“フリ”や、挑発だけを得意とし、警察に見守られている場所、集団でしか声を荒げることができない弱い者いじめだけが取り柄の集団のように見えます。

もうやるやる脅迫詐欺はいいんです。

このような集団なので私がいちいち怒るだけ損なんで怒りません。子守唄を聴かせてあげるようなつもりで街宣しています。

サヨクは確か“非暴力の抵抗”を主張しているはずですが、私達の前に立ちはだかる反対派の方々は近所迷惑顧みず、私達の正当な形で許可を取っている活動を騒音で邪魔し(車で爆音を轟かせ、迷惑運転、運転手や助手席に乗っている者が「ヘイト反対」のプラカードを掲げる。明らかに道交法違反です。

シンバルを延々叩く、ハンドマイクを使っての妨害行為(本来、許可を得ている私達しか演説はできないのです。「おいブス!」などと絶叫している。

私は、その足でお仕事に行くのですが当分、耳鳴りが止みません、無許可でビラ配布、過激で、とても暴力的であり、彼らが安保法制反対や反戦平和を唱えていることに違和感を覚えます。

そこへ日教組も加わり、公務員法違反を堂々とやってのけている。

悪知恵を働かせ、ありとあらゆる違法行為を行い、こちらを迫害しようと汗を流してらっしゃいます。

そう、彼らは戦後こうして日本人を欺き、土地、財産などを奪い取ってきたわけです。

このような状況を見ていると、もしかすると、彼らは戦争を仕掛けたいのではないか?とさえ思いました。

実際に私は過去、JR大阪駅前での無許可で、反辺野古基地をアピールする極左暴力集団の一員に抗議をしたところ、「この国を中から変えたる」と呟いた、おそらく朝鮮人だと思われるおじさん(私が「あなた日本人?」と尋ねたところ無視されたので)がいらっしゃいました。

これが彼らの正体なんです。

彼らにとって、国歌斉唱、国旗掲揚、オスプレイ、辺野古基地、安保法制、集団的自衛権、従軍慰安婦、南京大虐殺など本音はどうでもいいと思ってるんです。

これらは彼らがこの国を一党独裁の共産主義革命を確立するためのこじつけであり、多くの学生を洗脳する彼らの真の目的は、日本政府、国家の破壊、民族浄化という恐ろしい思想です。

これらと対峙するには、私達も結束をより強固にし、足を引っ張り合うことを避けなければなりません。とくに学者気取りの頭のお堅い年配の方々は、仰っていることは理解できますが、もう少し頭を柔軟にしていただきたい。

私達が派閥を作ったり、分断工作に惑わされたり、そんなくだらないことで揉めているうちに、敵は着々と計画を進行しています。

私は今現在の日本は平和ではないと思っています。見せかけの平和です。

既に日本国内において見えない戦争が始まっています。

どうかこの事実を皆様がしっかりと受け止められ、良識ある日本人ならば、なんでも良いので、できることから行動に移してくださるよう重ね重ねお願い申し上げます。

私達の活動だけでは限界があります。毎日毎日クタクタです。ここへ来てAさん、Nさんのご苦労が身に染みてわかります。

そんな中でも、私達の主張を聴いてくださる地元住民の方々が現れ、応援してくださる方々、激励メッセージをくださる方々がいるということが日々の活力になっています。

この日は各メンバーも、とんでもない悪質極まりない妨害に負けず、力強い熱弁を奮ってくださいました。

MMさんカンパありがとうございました!心より感謝申し上げます。


こちらも頂いたカンパです。


この日は10,000円弱のカンパが集まりました。こちらは、真摯に活動に使わせていただきます。ご支援ありがとうございました!

まだまだ日本を取り戻す活動、負けるわけにはいきません。日本人の底力を見せてやるつもりで日々、奮闘していますので応援のほど宜しくお願い致しますヾ(@^▽^@)ノ

・・・というか、教科書のことを延々、語っているだけなんで、なぜこうも騒ぎにするのか理解に苦しみます(笑)


https://www.youtube.com/embed/Uf8TEMhL2Ro


https://www.youtube.com/embed/HXCK_KYktzE


★東大阪市の自由社、育鵬社教科書採択を妨害する日教組、反日朝鮮人を追放運動(演説、チラシ配布)★

【日時】
平成27年7月2日、3日の17時~19時まで。

【場所】
近鉄、布施駅前

【主催】
現代撫子倶楽部

【お問い合わせ】
kennyzoneboy@gmail.com
中谷まで

【ご注意】
●憂さ晴らし、意図的な妨害の挑発に乗せられる方、参加不可。
●雨天50%以上の降水確率の予報が出た場合、中止とさせていただきます。



【吉田松陰のことば】

●実際に自分で行動しないとわからないものだ。行動しない人は人とはいえない。

『要路役人に与ふ』


松陰は、行動する人だった。

松陰が起こした行動のなかでも、顕著なものが、ペリー軍艦密航事件である。

松陰は、ペリーの黒船に乗って海外渡航をしようと考えた。つかまえた漁師に酒を飲ませ、法外な金を払って、黒船まで漕ぎ着けるように依頼した。

しかし、漁師は国禁を破ることを恐れて実行寸前に尻込みして失敗した。別の漁師も波が荒いからと、舟を出してもらえず失敗に終わった。

それでもあきらめきれない松陰は、弟子の金子重之助(重輔)とともに、漁船を盗んだ。櫓(ろ)がなかったので、櫂(かい)にふんどしを縛りつけてこぎだし、途中で切れたため、今度は帯で縛りつけて、やっとのことで黒船に着いた。

「学問がしたいのでアメリカに連れて行ってほしい」

こう頼み込んだ松陰と重之助は、結局は追い返されてしまったが、黒船側の航海日誌にもこの事件が記されていたことが近年になって分かっている。

それによると、2人は1854年(安政1)3月28日の午前2時45分~約45分間、乗艦していたと記されている。

事件後、自白して江戸に護送された松陰は、こんな詩を詠んでいる。

「かくすれば、かくなるものとしりながら、やむにやまれぬ大和魂」

過酷な運命が待っていると知っていても、こころざしを貫くためには行動を起こさなければならない。この行動することが、「やむにやまれぬ大和魂」ということだ。

現代は、さまざまな知識があふれていて、それを知ることでわかった気になってしまいがちだが、実際に行動してみて気づくことは多い。

知性を磨くには行動することが大事である。

●自分を強くする努力をしないで、相手が衰え、弱くなることを願う。これが今の人たちの考え方である。なんと悲しいことか。

『講孟箚記』


ペリーの恫喝外交を契機に日米和親条約が結ばれ(1854年)日本はアメリカに対して下田と函館を開港し、鎖国体制は終わった。

イギリス、ロシア、オランダとも次々と同様の条約が結ばれ、いくつもの港が開港されていく。

さらには、アメリカ、イギリス、ロシア、オランダとの間で安政5ヵ国条約が結ばれる(1858年)領事裁判権を認め、関税自主権を喪失するという、欧米有利の不平等条約である。

幕府はされるがままであるが、自分たちが努力しなければ、この力関係はいつまでも変わらない。

相手が弱くなることを願っているようでもいけない。相手はこちらの思うようにはならないのだから。

そんな思いを述べたのが、松陰のこの言葉である。

では、どうすればいいのか?

松陰は、「自分の努力すべきことを努力することが肝要」と教える。

自分が強くなれば、相手の強さを恐れる必要はなくなる。

とかく人間は相手と比較して一喜一憂しがちだが、そうではなくて、自分を磨くことを基本とすべきなのだ。いまの私達の心にも響く言葉である。

●やめるのは死んだあとでいい。

『福原清介に復す』


松陰は言う。

「心をつくし、能力をつくし、これまで蓄えた力をすべて発揮して、出し惜しむことのないようにしなさい」

いったんやるとなったら、できるまでやめない。

いったん目標が定まったら、あとは全身全霊やるだけである。

体力と精神力、もてる力をすべて出し尽くすだけである。

松陰をはじめとする幕末の志士たちは、これほど激しい情熱があった。国家の危機を乗り越えるため、命をも捧げる覚悟だった。

明倫館在職中の兵学門下生で友人だった、福原清介(周峰)への手紙(1857[安政4]年6月)には、檄文がそそり立つ。

「やめるのは死んだあとでいい」

いつの世にも、どんな人にも、人生をかけたミッションはあるはず。そのときは、この覚悟。