これは、常に忘れないように、自分に言い聞かせるためにも書いておきたいこと。


先日、気の合う友人たちとも話していたのですが、本人は意識しているのかどうか?わからないけど、自分の利益になるか、得になるか、を基準に人付き合いしている人っているよね!って。

そういう人って、お金のにおいとか、権力のにおい、とかにものすごく敏感。
それを持っている人と、繋がっていることで、自分の価値を高めようとしてるのか…

それを、批判したいわけではなくて、そういう人を目の当たりにして、自分がどう思うのか?どう行動するのか?ってこと。

そして、ありがちなのが、すでにたくさん与えられてるのに、それを自覚出来ない人。
与えられていることに、気付かないということは、それが当たり前と思っていて、感謝が出来ないってこと。
傍から見てると、恵まれてるな~と思うのに、無いものばかり見ていて、不満を口にしてる。
だから、もしもその不満が満たされたとしても、また与えられた自覚が無いから、別の不満が出て来て、いつまでたっても満たされない。
そういう人って、与えられたものの価値がわからないから、それに対する対価を払ってなかったりするのね。
人の価値を認めて、対価を払えないということは、自分の価値も認められないから、対価をもらえないことになる。
対価とは、単純にお金ってことだけじゃなくて、自分が出来ることをする、とか、精一杯感謝を表す、とかそういうことでも良いと思うの。
だって、人に与える喜びって、相手に喜んでもらうことだから。

それが、ちゃんと出来ないってことは、循環がおきないから、いつまで経っても満たされない「くれくれ星人」になっちゃう。

そして、反対にちょっとやっかいなのが、自分はものすごく人に与えてるって思ってる人ね。
そういう人は、一般的にみると、聖人のようにすご~く良い人に見えるから。
実は、人に与えることで、自分を認めてもらいたい、自分の存在価値を高めたい、ということだったりする。
まぁ、そういう人が好きで、まわりに集まる人も、その人から何かを得ようとする人たちだから、それはそれで良いのかな。

こんなこと書いていると、「何様だ!」って感じだけど、これはあくまで私が個人で感じてることであって、自分自身に、「今、自分はどうなの?」って常に問いかけたいことなの。

自分のやっていることが、楽しく、幸せであって、それをすることによって、結果誰かが喜んでくれる、そんな風に出来れば良いな、と思ってる。
それは、万人に受け入れられなくても構わなくて、好きって言ってくれる人もいれば、嫌いっていう人もいると思う。
それが、個性だと思うし、たとえ共感してくれる人が少なかったとしても、その世界が、私の心地の良い世界なんだよね。

自分は、人に、世界に、宇宙に、何が与えられるのか?を常に問いかけていきたい。
自己犠牲ではなく、自分自身が一番喜ぶことで、ね。