新稀少堂日記
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第9416回「中下咽頭癌 入院58日目、3時起床、着替えはせずにパソコンの前に」

 第9416回は、「中下咽頭癌 入院58日目、3時起床、着替えはせずにパソコンの前に」 です。


 午前3時目が覚め、3時半ごろ、看護師を通じで家族を起こしてもらいます。息が上っています。ふたりに、ラウンジに込んでもらいました。至福の時です。パソコンの前にいることは、時間を忘れ、安らぎの時を迎えれるから。冷たいお茶が喉を潤します・・・・。


 今朝がたの予定は、ブログを書けるだけ書いて、6時過ぎには簡単な清拭をする予定です。その時、裸体重も計測する予定です。一昨日は40キロ割れの39.2キロまで下がっていました。ところで、今晩は多数の取り留めのない夢を見ました。戦時下の軍事国家で、女性担当官が夢の取締を行っていたのです。


 私の夢も統制に引っかかります、近隣の住民が必死になってかばってくれるのですが、私はあきらめきっっています・・・・。「夢日記」にも書いていますが、夢について無理に書こうとする捜索になってしまいます。ここらでやめておきます。ただリアルだったのが、女性担当官の顔でした。


 ですが、パソコンに何か入力するだけでも、安らぎを得られるのも事実です。しばらく、時間を置いて、また何始めることにします。ほとんど錯乱状態です、申し訳ありません。

第9415回「中下咽頭癌 入院57日目、3日更新していなければ、ブログををかける状態になく・・」

 第9415回は、「中下咽頭癌 入院57日目、3日更新していなければ、ブログををかける状態になく・・・・」です。午前に引き続き、昨日の午後もブログを各予定だったのですが、書かずじまいで一日を終えています。次第に月日、曜日の感覚が消えつつあります。


 さらに、ブログへの執着も・・・・。ただ、ブログに関しましては、同種の病(咽頭ガン、食道ガン、一部の肺ガンなど)を患っている方とか、最終的にホスピスを選択なさる方にも参考になると思いますので、極力最後まで書きたいと思っています。


 そのためもあり、「3日更新していなければ」、パソコンの前に座れない状態にあるか、既に鬼籍に入っているかのいずかだとお考えください。経口からの食品は取れない状態にありますので、二日で一キロのペースで体重が減っていっています。


 昨日(7月12日)の体重が39.2キロでしたので、3日後(7月17日)の予測体重は37.2キロですが、はるかに体重は落ちているはずです・・・・。36キロ代になっているのではないでしょうか。入院前にデッドラインだと予測したのは、40キロでしたから、はるかに割り込んでいます。


 一方、精神面では、意外に澄んでいます。朝方には苦痛に苛まれるのですが、お昼からは極めて楽観的な心境に達します。


57日目、7月13日(月)・・・・ 2時過ぎに目覚めます。普通であれば、普段着に着替えるのですが、パジャマ姿でそのまま夜明けを迎えます。断続的にうつらうつらしています。その眠りも不愉快さを伴います。


 ところで、昼からはMSコンチンの服用方法は点滴に切り替えました。肩掛け式の点滴です。実際、口からの摂取は実に困難だったのですが・・・・。昼前から家族が交替で来ています。このブログもその折りを利用して書いているのですが、短い文章に2時間近くを要しています。


(追記) あとわずかになりましたが、ブログテーマ「ガン日記」に興味がありましたらアクセスしてください。

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第9414回「中下咽頭癌 入院56日目午前、体重40キロ割れ、即身成仏(ミイラ)の領域に」

 第9414回は、「中下咽頭癌、入院56日目午前、 体重40キロ割れ、即身成仏(ミイラ)の領域に」です。 即身成仏について、ウィキペディアから引用することにします。


 『 即身成仏は、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、 になることである。即身成仏の思想は、主に真言密教の教義であり、真言宗において説かれる。空海の「即身成仏義」により確立される。


 また、天台宗・日蓮宗においても「法華経」に基づき説かれる。即身仏(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになること)と混同されがちであるが、即身成仏とは全く別物である。 』


 歩き遍路の体験に見られますように、私自身、空海には大変な興味がありました。即身成仏についても・・・・。私に宗教への関心がありましたら、実に簡単な方法で即身成仏となることが可能だったはずです。ですが、そう考えること自体、思いあがりです・・・・。


56日目、7月12日(日)午前・・・・ 4時ごろ覚醒。6時ごろ、看護師の手を借りて清拭。その際、裸体重を計測、ついに40キロ割れの39.2キロを記録しました。2日後(7月14日)には、間違いなく38キロ割れにはなっているずです。一方、体温も37.9度でしたので解熱剤を服用することにします。


 ただ、精神的に意識混濁など、精神的な影響は顕在化していません。いずれ、精神面にも影響を与えるはずなのですが・・・・。今回はとりあえず午前までということでブログを終えることにします。


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第9413回「中下咽頭癌 余命宣告から1年1カ月余、やはり来るべきものが来た」

 第9413回は、「中下咽頭癌 余命宣告から1年1カ月余、やはり来るべきものが来た」です。先ず謝すべきは、病気がらみで多数のコメントをいただきながら、返信をして来なかったことです。あらためてお詫び申し上げます。


 私が近日中の死を確信することには、死に至る衰弱の数々の兆候があるからです。因果関係的には、

「その4、食欲不振」 →


「その2、体重の減少」 → 食欲不振が続けば、当然、体重が減るのは必然です。昨日、40.8キロ、本日は40キロを割っていると思います。さらに明日には・・・・ →


「その3、散歩に見られる体力低下」 → 今回の散歩騒動です、数百メートルの距離を何度も、うずくまりながら帰ってきました。 → 


 そして、何度も不意に襲ってくる「その1、眠気」、衰弱の兆候で最も観測されている結果です。以上の原因結果系で、最も死に直結しているのが、「体重の低下」です。体重的には、「即身仏」の領域に達しています。あとわずかです・・・・。あらためて御礼申しあげます。「ありがとうございます」


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第9412回「中下咽頭癌 入院54、55日目、最後の兆候は、散歩に見る体力の低下だった」

 第9412回は、「中下咽頭癌 入院54、55日目、最後の兆候は、散歩に見る体力の低下だった」です。


54日目、7月10日(金)・・・・ 午前中に、点滴を実施しています。栄養補給とステロイド剤の投与が主目的です・・・・。午後の入浴時、体重を量りますと、40.8キロまで低下していました。


 このところの傾向として、午前は体調は最悪ですが、午後は不思議なほど回復しているのです。そのため、午前の散歩は歩行器頼り、午後は機器などを使わず普通の散歩に切り替えましたし、何ら支障は感じられませでした。


 翌日、姪と姪の孫たちと一緒に映画「バケモノの子」を観に行く約束をしていましたので、外出許可を取ることにしました・・・・。これが最後の外出許可になるとの想いからの外出でした。ただ、緊急時には"私"ひとりでタクシーで帰ることを明記しました。


55日目、7月11日(土)・・・・ 第1回目の散歩は、喫煙のためです。2本ほど吸いますと、そのまま病室に戻ります。ここから時間経過感の覚がなくなります。2回目の散歩の時に、出来事は起きました。400メートルほどの距離が一挙に進めないのです。50メートルほど進むと、うずくまります・・・・。


 やっちゃいけないことなのですが、たまらず児童公園のベンチに寝ころびました。歩行器はなし、形態電話は部屋に・・・・。最低、最悪の状態で病院に戻って来た時には、ほとんど這っていたような状況でした。散歩に出かける際に、看護師に声をかけていましたので、心配していたようです。即座に、ラウンジのソファで横になります・・・・。


 この状態から、さらなる時間間隔の麻痺が生じます。担当医と看護師の判断により、家族に連絡が取られます。姪には朦朧とした意識の中から、連絡したようです。見舞いに駆け付けてきます。もちろん、映画は中止です。子どもたちには悪い結果となりましので、「進撃の巨人(既刊16冊)」を姪に託すしました。


 本日は、先日から始めた点滴を実施することにしましたが、明日からは不要だという意思表示をを看護師を通じて担当医に申し入れています。本日の体重は40キロを割りこんでいると思えるからです。昼前にその他の家族たちもやってきました。


 今回の記事はここまでにします。わずかな文章を打つ間に、何度もうつらうつらしています。続きは回を改めて書くことにします。私は、この最後となる散歩が、死に至る衰弱、最大の兆候だと考えています。もちろん、体重の異常減少も重要な傍証のひとつになりますが・・・・。


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第9411回「朝松健編 神秘界 その14、土神の贄(にえ) 村田基著 ※未完記事」

 第9411回は、「朝松健編 神秘界 その14、土神の贄(にえ) 村田基著 ストーリー、ネタバレ」です。アトピー、有機栽培、そして、環境問題・・・・。現代的な課題を前にして、神代の神が現出します・・・・。30ページほどの短編です。


「その14、土神の贄(にえ)」村田基著

 井沢勝則は、妻の加奈子がアトピーに悩まされているために都心まで2時間かかる西奥多摩駅の近くに引っ越してきました。確かに空気はきれいです、ですが都心まで遠いのも事実です。


(書き始めたばかりですが、以下、後刻書きます)


(以下、翌日の7月11日に書き加えています)


 この記事につきましては、最後まで書けないことになりました。ブログテーマ「ガン日記」に取り上げていますように、最後の衰弱の兆候が現れたからです。そのようなことを予見して書きかけ記事となったのかもしれません。「書き始めたばかりですが・・・・」、申し訳ありません。


 なお、その間の経緯につきましは、回を改めまして取り上げることにします。

第9410回「大奥 第十二巻 家斉編②家斉と一橋治済の確執、赤面疱瘡絶滅 ストーリー、ネタバレ」





 第9410回は、「大奥 第十二巻 家斉編② 家斉と一橋治済の確執、赤面疱瘡絶滅 ストーリー、ネタバレ」です。本巻において、種痘が天然痘を駆逐したように、熊痘(ゆうとう)がついに赤面疱瘡を駆逐します。その完遂を全面的にバックアップしたのが第十一代将軍・家斉(男性)でした・・・・。


 いまだ、家斉と実母・母親の治済(はるさだ)との確執との決着はついていません。


「第十一巻 家斉編① 一橋治済の実権支配とかつての蘭学者たち」(抜粋)

 『 男子将軍に対しては、時代が確定した今となっては根強い不信がありました。そのことを最大限に利用したのが、母親の治済(はるさだ)でした。政(まつりごと)の実権を完全に掌握したのです。それを後押ししたのが、多くの女性の支持でした。・・・・


 その頃、在野で療養所を経営していたのが、青沼と平賀源内から後事を託された黒木良順と青海伊兵衛のふたりでした。細々と・・・・。彼らを支援していたのが、商家に婿入りした僖助でした。3人の胸には青沼と平賀源内の遺志が脈々と打ち続けています。かつて大奥にいた男たちは、わずかな人数で中奥勤務になっていました。


 大奥では、治済の横暴が続いていました。気に入らない側室だけでなく、家斉の正室が生んだ子どもまで謀殺したのです。「治済さまは、大奥で間引きをしているのです」、正室は家斉にそう話します。ついに、家斉は僖助を通じて黒木に面会します。赤面疱瘡の研究をしてほしいと・・・・。「頼む、黒木」、将軍は頭を下げます。 』(以上抜粋)


「第十二巻 家斉編②前半 天文方翻訳局の創設」

 家斉に頭を下げられましたが、家斉には危うさがあります。母親・治済(はるさだ)の存在です。一方、黒木良順には青史郎という息子がいました。「この子のためにも、今は亡き青沼と平賀源内のためにも・・・・」、是非とも赤面疱瘡絶滅を誓います。


 その頃、大奥では正室(御台所)と志賀(現在は大奥総取締役の滝沢)が相争っていました。ただ、御台所の一方的な誹謗中傷に終始しているのですが・・・・。家斉は意外にも狂気に駆られている御台所に同情を禁じえません。


 そんな状況の中、家斉は再度黒木を訪れます。赤面疱瘡対策の進行を見守るために、母親には秘密裏に江戸城に部局をこしらえようとしていたのです。それが、小説・映画「天地明察」の書舞台ともなっている天文方、そこに翻訳局を作ろうと・・・・。


 一方、母親には若い男たちをあてがいます、疑念を抱きながらも見抜くことは出ませんでした。そして、黒木に協力を申し入れたのが、療養所の連中でした。黒木は正装し初登庁します。彼を熱く迎えたのが、高橋景保です。メガネを掛けた陽気な天文方の女性でした、数学の必要性を熱く説きます。そのためにも西洋の数学の知識が欠かせないと・・・・。


 ところで、青沼は責任を取らされ斬首された際、多数の蘭学書を後輩の為に遺していました(治済には「吉原細見」だと偽っています)。いまやそれが、翻訳局の人々の目に触れます・・・・。そして、公儀隠密の力を動員し、弱毒性の赤面疱瘡を探させます。


「第十二巻 家斉編②後半 大奥の暗闘と、赤面疱瘡の絶滅」

 女性の忍びを各地に放ちます。ひとつのグループが、弱毒性の赤面疱瘡に感染している少年を見つけ出しました。ですが、膿からとは採れず、瘡蓋(かさぶた)から取ったものだったのです。その頃、江戸はまさしく大流行期に差し掛かっていました。青史郎も感染します。


 一方、源内たちが指導した「熊痘(ゆうとう)牧場」も発見されていました。次々と男性に感染させていけば、いくらでも熊痘ワクチンの開発は可能です。黒木は、遅れて到着する熊痘ワクチンに代え、まずは瘡蓋から作ったワクチンでわが子に試してみます・・・・(後刻、瘡蓋でも有効だと判明します)。


 その頃、江戸城大奥でクーデターが勃発していました。これまで何度となく毒殺を実行してきた治済(はるさだ)を逆に御台所と大奥総取締役の滝沢が、治済に毒を選択させたのです・・・・。それでも、家斉は忍びないと、母親のために薬師を呼びます。以降、治済は寝たきりとなり、政治の表舞台から消え去りました。


 一方、瓦版による宣伝戦略を採った黒木の計画は想像以上に効果をあげていました。江戸市中の若者たちに次々と摂種されていきます。それを強制的に実行させたのが、家斉でした。江戸から赤面疱瘡を駆逐させると、全国へと展開させていきます。


 家斉の強引な手法は良くも悪くも、日本国から赤面疱瘡を完全に駆逐させることに成功したのですが・・・・、以降の家斉は女色におぼれたと言われています。そして自らは将軍職を譲り大納言と称しました。ですが、第十二代将軍に指名したのは、相変らず女性の家定でした。そして、黒船が来航します・・・・。


「第十三巻 予告」(2016年初夏頃販売予定)

 『 赤面疱瘡克服により、世の中は大きく変わった。十一代将軍・家斉によって、男子に家督を譲るよう号令が出されると、女たちの時代は過去のものに・・・・。しかし、代々徳川家に仕えてきた阿部家は女子である正弘がが家督を継ぐこととなり・・・・。


 日本に大きな変化がもた去れる時代へ! 外憂に立ち向かう者たちとは――!?』


(追記) 漫画版「大奥」について、過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですが、ブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に、"大奥"と御入力ください。

第9409回「中下咽頭癌 入院53日目、衰弱の兆候、その3、散歩に見る体力の低下」

 第9409回は、「中下咽頭癌 入院53日目(7月9日)、衰弱の兆候、その3、散歩に見る体力の低下」です。衰弱の兆候として、「眠気」、「体重の減少」と取り上げてきましたが、この体力の低下も、当たり前と言えば当たり前の兆候です。ですが、体力の低下は、QOL(生活の質)の低下に即直結する問題です。


 入院後の習慣として、6時30分頃、病院から300メートルほどに位置するKの木神社に参拝することを慣わしとしてきました。別に宗教的な儀式としてではなく、願い事があってのことではないのですが、二拝二拍一拝をすることによって、一日の心構えと言うべき姿勢になれるからです。


 ところが、本日、極めて短い距離でありながら、ほとんど足が前に出ないのです。この数日間、ほとんど回数も距離も伸ばせない散歩が続いていましたが、今日は異常でした。その一因は、39度の高熱でした。起床時には、体感的に発熱を感じていなかったのですが、既に発熱していたようです・・・・。


 1時間後、再度測り直しましたが、38.4度までしか下がりませんでした。微熱レベルに戻ったのは、結果的に昼過ぎのことでした・・・・。一方、散歩を妨げるもう一つの要因が、末端(指先)での酸素供給量の不足でした。午前中墓ってもらいますと、67前後の数値を示していました。


 こまでの節を屈し、仕方なく、病室内だけでも酸素吸入をすることにしました。確かに、かなり改善されました。午後には、体温が下がり、酸素供給量も76まで改善しましたので、酸素吸入は実施していません。


 ところで、この数日間に顕在化している散歩のしづらさについては、ある看護師に相談していたという経緯があります。いろいろな提案をなさったくださったのですが、とりあえず、歩行器を使ってみようということになりました。歩行器があれば、十分ひとりでも散歩は可能です。


 これまでに散歩を通じて観察した体力は、次のとおりになります。なお。発症前を「100」と仮定しています。


① 発症前(~2014年4月)・・・・「100」  2008年に何回かに分けて、「四国88か所」を、歩き遍路(順打ち)しました。今年は、せめて「讃岐一国打ち」(逆打ち)でもと考えていた矢先に、発症し、中止したというのが実情です。


② 発症、余命宣告後、鎮痛剤の変更まで(2014年5月~2015年1月)・・・・「90」  大変な小康状態が続いた時期です。覚醒時と食事時を除けば、自分がガンを患っていることなど忘れている時間がほとんどでした。そのため、通常の散歩は当然できますし、発症前に企画していた「逆打ち」も、讃岐路だけでなく、伊予路も踏破できたのではないでしょうか。


 ですが、それはあくまで結果論だと考えています。ガン患者が関係者に迷惑をかける可能性を無視し、強行したとはとても思えないからです。それでも、生活を十分エンジョイできる期間持てましたし、友人に別れを告げる機会も設けることができました。さらに、身辺整理をできる時間的猶予もありました。


③ 痛みの顕在化による鎮痛剤の変更期(2015年2月~4月)・・・・「80」 体力の減衰を図るツールとして使っていたのが、散歩時の呼吸の変化でした。鎮痛剤の変更の一因になったのが、覚醒時、食事時意外でも、痛みを感じる時間帯が増え始めたことです。


 散歩をしていましても、息遣いの荒さが顕著になってきました。これまでのトラムセットに代え、オキシコンチンに切り替えます。日量20mgから始めたのですが、最終的に100mgまでに増量しています。20mgから40mgに増量した際には、副作用の威力をまざまざと体感しています。「船酔い」に似た辛さが延々と続くと考えればわかりやすいと思います。


④ 入院後(2015年5月18日~6月末まで)・・・・「70」→「40」・・・・  当初は入院前のペースで散歩できていたのですが・・・・、次第に体調の変化気付かされます。日々では気づかぬような緩やかな衰弱が始まっていたのです。そして、事態は一挙に変わります。


⑤ リンパ節の腫れ(7月2日~現在)・・・・「10」  すべてを変えたのは、リンパ節の異常な腫れでした。この腫れが、いろいろな「悪さ」を引き起こしています。散歩ももはやカタツムリ・ペースです。それでも散歩は欠かせないと考えていますので、歩行器を使用することにしました。


 歩行器は立ったままでも休憩が取れますし、なによりも転倒防止には最大の武器になります。それでも、これほど体力が低下しますと、正直、心の底から散歩を楽しめているか疑問です。


 やはり、散歩ひとつとっても、衰弱は確実に忍び寄っています。では、日記風の記述に移ります。


53日目、7月9日(木)・・・・ 6時30分、異様な苦しさの中での早朝散歩になりました。その間の事情につきましては、冒頭に記しています。その結果、酸素吸入の実施、歩行器の使用、・・・・など、これまで見合わせていた対応を次々と行うことにしました。


 本日の詳細については、前半部分で書き尽くしていますので、略させていただきます。意外だったのが、午後に入って呼吸が比較的に楽になったことです。


 次なる衰弱の兆候は、「食欲不振」です、次回以降に取り上げたいと思います。


(追記) 決して愉快な内容ではありませんが、ブログテーマ「ガン日記」に興味がありましたらアクセスしてください。

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第9408回「中下咽頭癌 入院52日目、衰弱の兆候、その2、食欲の減退による体重の減少」

 第9408回は、「中下咽頭癌 入院52日目、衰弱の兆候、その2、食欲の減退による体重の減少」です。「衰弱の兆候」の第1回については「眠気」を取り上げましたが、第2回は「体重の減少」です。体重の減少につきましては、患者ごとに様々な要因があると思います。


 体重の変動につきましては、「カン日記」でかならずと言っていいほど触れてきました。私の身長は161センチですのでチビに属しますが、53キロほどが適正体重ではないでしょうか。実際、この30年ほど、53.0キロ±2キロで推移してきました。これまでの推移を時系列で列挙すると、次のようになります。


① 発症以前(2014年4月)・・・・  この10年ほど53.0キロ±1キロでコンスタントに推移してきました。


② 発症後、初受診時(2014年5月)・・・・ 45.0キロまで低下、自覚症状がありながらも、それなりの食欲があったため、体重の変化に少なからず驚いたというのが実感でした。そのことを今なお鮮明に記憶しています。


③ 余命宣告以降、半年の間(2014年6~11月)・・・・ 43.0キロまで低下し、それが基本体重となる期間が半年続きました。この時期が、発症後、もっとも小康状態を得られた時期です。目覚めの時と食事時以外でガンを認識することは一切なく、普段どおりの生活を送ることができました。


④ 体重復調期(2014年12月~2015年4月)・・・・ それまで服用していた鎮痛剤トラムセットの効果が薄れたため、オキシコンチンを何度か増量することで対処してきました。意外だったのは、基礎代謝量が上がるはずの冬場に、逆に体重が48.5キロまで戻したことです。


 そして、深夜の呼吸困難から、入院することになりました・・・・。


⑤ 入院以降(2015年5月18日から現在)・・・・ 45.5キロ±0.4キロでずっと推移してきました。このことに変化をもたらしたのがリンパ節の腫れでした。極端な食欲不振のために43.0キロ(7月6日)、42.4キロ(7月8日)と低下を続けています。明日の計測ではさらに落ちているはずです・・・・。


 衰弱の兆候として、私がまず連想するのが体重の減少なのですが、意外にそのことに触れている人は医療関係者の間でも少ないようです。当たり前すぎるということでしょうか・・・・。私の場合、デッドラインとも言うべき40キロ割れも近いはずです・・・・。


 では、体調の記述に移ります。

52日目、7月8日(火)・・・・ このところ断続的に38度代の熱が出ますが、時間帯などに法則性はないようです。入院後続いていた「深夜、未明の異常」からは解放されています。深夜気持ちよく眠れることがあれば、逆に日中、息の荒さに戸惑うこともあるようになりました。


 本日で一番戸惑ったことは、散歩が急に難しくなったことです。1キロ、2キロの距離がはるかかなたの目的地に思えるのです。自然、回数は減り、距離も短くなってきました・・・・。


 次回の「衰弱の兆候」は、これも当たり前の「体力の低下」です。


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第9407回「中下咽頭癌 入院51日目、衰弱の兆候、その1、吸いこまれるような眠気」

 第9407回は、「中下咽頭癌 入院51日目(7月7日)、衰弱の兆候、その1、吸いこまれるような眠気」です。今回から衰弱の兆候を集中的に取り上げて行くことにします。私のやせ我慢人生も終わりに近づいているようです。


 これまで文書化した対応につきましては、

1. 延命治療の排除、日本尊厳死協会に準じた内容になっています。

2. 気道確保のための気道切開は希望しない、という文章を枕元に置いているだけでなく、主治医とも話しあっています。

3. 痰の強制吸引は希望しない、やはり前項と同じ処置をしています。


 文書化していない事項では、次のものがあります。

4. 「酸素吸入については行わない」、しかし、今日(7月9日)から病室内でのみ行うことにしました。わたしのやせ我慢も大したもんじゃない、ということを思い知らされました。


 衰弱の兆候第1回は、「眠気」です。医療用モルヒネの副作用だけでは説明のつかない眠気に襲われることが増えています。この「眠気」につきましては、通院していた時期に主治医から衰弱の主要な兆候として聞かされていました。


 この一瞬間ほどは気分のせいだけでなく、明らかに他の理由(衰弱)によるもと思われる眠気に襲われ、実際、短時間眠っていることに気づかされます・・・・。最大の理由は、何度も書いていますが、左耳下リンパ節の異常な腫れです。


 一方、終末患者の眠りについて、エリザベス・キューブラー・ロス医師はこのように語っています。何度か引用していますが、ウィキペディア子が簡潔に要約していますので、該当部分を引用することにします。


 『 ロスは死の意味をここであえて哲学的に探ろうとはしない。本書の意図ではないからであるが、一方「死ぬ人が”平和と威厳”をもって死ぬ権利がある」と主張する。この死に臨んだ静かな境地をロスは「デカセクシス(Decathexis)」と呼んだ。


 自分自身を周囲の世界とのかかわりから引き離すというような意味である。これは日本語の”解脱、涅槃の境地”、”無我の境地”などに該当する。このときに患者は頻繁に短い間隔で新生児のようにウトウトとまどろむ必要があると説く。


 この時期は、短くて数時間、通常数日、長ければ数週間続くことがあるという。その後、臨終が来る。仏教では相当な修行を積み到達する涅槃も、ロスは凡人でも周囲の人々の愛と協力があればデカセクシスに容易に到達できるとする。また、愛と協力の本質はコミュニケーションであるとした。


 本書を執筆した段階では、著者はまだ「死後の生」を語ってはいなかったが、後にロスは死後の生や輪廻転生について積極的に語るようになる。このため、一部でオカルトだとする批判を受けることとなる。 』


 衰弱している状態であれば、うとうとするってのは、人間に限らず哺乳動物全般に通じる普通に観察される現象ではないでしょうか。仏教の影響を大きく受けながらも、日本人が輪廻転生と距離を置いていることに、日本人ならではの民度の高さを感じます。


 ところで、現在の眠りは決して不愉快ではありません・・・・。それでは、いつもの日記風の記述に移ります。


51日目、7月7日(火)・・・・ 本日は「七夕」です、ホスピス棟のラウンジでも、七夕飾りが用意されていましたが、生憎終日雨模様でした。その間、眠気のために、何度となく普段着のままベッドに横たわっていたり、パソコンの前などでうつらうつらしていました。文庫本も見開きの2ページを読む間に、3度ほど本を落としています・・・・。


 症状的には、リンパ節の腫れがもたらす「悪さ」が顕著でした。リンパ節の疼き、38度代の発熱、食欲不振、さらに水とか錠剤などを含めて何もかもを、喉が異物として見做しているのでしょうか、極めて通りづらくなっています・・・・。


(追記) 決して愉快な内容ではありませんが、ブログテーマ「ガン日記」に興味がありましたらアクセスしてください。

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