お話①無期懲役

私は切ったり縫ったりする医療に限界を感じることがあります

眠ってしまった神経の成長は未知の世界、

全く繋がらない可能性から、1ヶ月に0コンマの世界で成長することもある

無期懲役の世界

私は医療ミスにより障害者認定を受けることになってしまいました

ぺらんぺらんになった足はみるみる間に痩せて、筋肉はなく、ぼよぼよになりました

すでに歩き方も足の動かし方もわかりませんでした

フワフワなスカートにピンヒールを履いて、髪の毛をくるくるに巻いて、ふつうの女の子だった

大好きな彼もいたし、お友だちだっていっぱいいた

けれども私は全てを自分から突き放し

親をいっぱい泣かせてしまいました

両親を泣かせてしまったことは一番の親不孝です

父は私に事故に遭ったのは私なのに
涙をうかべ何度も何度もごめんねと謝りました

恥ずかしい最低のことをしてしまいました

お友達も自分から切ってしまったし、一人でいいやってひきこもっていました

なのに、みんなが沢山のメールやお手紙をくれたました

家族がお見舞いにきて毎日足をさすってくれました

そして、結局最後も…私を救ってくれたのはお友だちの言葉でした

仲間の強いマインドがわたしにズルをゆるさなかった

本当に感謝しています

「本気をみせろ」

「本気をみせなさい、ただ足を着きたいんじゃない、歩きたいんじゃない」

「走って、○○○○○○ができるようになりたいんだって伝えなさい、それを聞いてくれる先生を探しなさい」

(○は私の場合、スポーツが趣味でお友だちは90%それだったから、好きなものと、友達を両方失った気持ちになってたんだよね)

言ってくれたのは知り合いのプロのスポーツ選手の方だったんだけど

当時の私にはその人のことばが凄く響きました

そうだ!私、だだ歩きたいんじゃないんだ

それまで治るよってどんなに言われても、どこかで皆にとっては「他人事じゃんっ」て、だだ、ひねくれていました

そのとおりでした

これは私の問題でした

皆の願いではなくて、私がどうなりたいか

私の身体は私にしか治せないんだ

その事をあらためて突き付けられた

じゃぁどうするの?

しかし私には知識も情報もない、助けが必要ならより私に近いスケットを見方につけなくてはいけない

そして私は口に出して言いました

「先生、私、治りますよ

それから私のリハビリが本格的に動きました先生の対応もかわりました

先生の足の専門医の研究チームのサンプルとしていろんな検査をしたり

普段から通えるリハビリも研究チームの先生がみつけてくれました

ふわふわのスカートにヒールも捨てるのをやめた

その間、リハビリは辛かったし

気持ちが頑張りすぎてリハビリをやり過ぎて座骨神経や腰をいためてしまったり

空回り上手くいかないことも沢山あった

でも私は自分のために歩く

信じてくれる両親、仲間のために歩くと決めた

5ヶ月後には杖をついて仕事にいくことができました

先生も驚いた、奇跡的な回復力だった

奇跡は偶然しゃない

自分でつくるものにかわっていった


つづく