SASAの~おしゃべりな左手

SASAの~おしゃべりな左手

会話が苦手で…
日々重ねるささやかな事をせめて日記では饒舌に書き留めておこう!


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少年野球つながりのある方から、息子が以前、対戦した投手との動画を送ってくれた。

もう、五年以上も前の試合。あどけない少年の日のこと。

現在その投手は、プロも注目する選手らしいのだが、彼から息子はピッチャーライナーを打っていた。

そんな昔の動画を、いまこの時期に見つけて送ってくださったことが、驚き。



ドラマなら、映画なら、ここは激情的な音楽が流れて、人生の岐路となるシーンなのでしょう。起承転結でいうところの、「転」。


現実は、何の波風も立たず、凪の状態。本人は大きなパスを投げてもらっているのに、気が付いていないまま。
映画のようにわかりやすく音楽は流れない。




どこをどう描くかで、ストーリーは脚色されていく。


きっと誰にでも、「転」となる瞬間はある。
疎遠になっていたからの再会は、ストーリーとしては、大きく動く瞬間でもある。

自分が主人公になった気持ちで、日常の「転」を見極めることが重要だ。


きっかけの瞬間になった時には、案外それにまつわる何らかのつながりがあるものだ。例えばそれに関する会話を別の誰かとしたとか、掃除をしていたら出てきたとか。

ぜひ、つながっていくストーリーを見つけてほしい。



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わが子から決意表明を受けた。

今後、ある道を目指したいから応援してほしい旨を、はじめは辿々しい口調だったのに、どんどん目に力が入っていき、話しながら本人が進む道を明確にしていった。


こんなふうに目標を語るのは自分には、そして自分の時代にはなかった。
今の世もそれほど無いのかもしれない。


自信なく人の影に隠れておどおどしていた子が、何者かになりたいと、心を込めて重いドアを開けたようだ。


そんな目標を語ってもらえる親になれてよかったと思うし、夢を抱ける若者に成長してくれていることに胸をなでおろす。


それにしても不思議だ。

自宅で私は、

仕事は暇潰し、家事は65点合格、土日はゆっくりさせてくれと、後ろ向きな発言しかしていないのに、どうしてこんなに夢を抱けるのだろうか。

夫の影響なのか?

いや夫も結婚当初目指す先は

定年退職

だった。


誰の背中をみて、こういう生き方がしたいと思うようになったのだろうか。。




その夢が叶おうが夢で終わるかは問題ではない。

人生の中で明確な目標を立てて進むことその過程が、

何をおいても美しい。

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タモリさんは、

視聴者全員に伝わらなくても良いと思って番組をこなしていたのだそうですね。

わかる人に伝わればそれでいい。

視聴者をバカにしてはいけないと。




この心理。朝のニュース番組の方々にもどうぞ理解してもらいたいですね。


朝から殺人とか、脅迫とか、あまりにもありふれていない事件の紹介する必要あるのかな❓


朝から気分悪いのは、ニュースにも寄るんじゃないのかい❓

現代社会や世界情勢は、そりゃ仕事をする上で知っておいても良いとは思うけど、隣人トラブルとかDVとか、知る権利を謳うならば、聞かない権利っつうもんだって、あるよなー。


ネガティヴなニュースしか大衆は反応しないとかって、こちら側をバカにしてるよ。

9時台の話をしてるんじゃない。

早朝の、慌ただしいひと時のニュースの話なんだ。


テーマ:
子どもたちは、せっせと感情の話をする。


どう思った、どう思われてるか、こう考えている、こんなふうに日常を悔やむ…


ダンスの動画や書き綴った小説、模写した絵などの作品群も見せてくれる。


そして、

好きそうかなと思って〜

と、マンガを貸してくれた。

それがまさにツボ。きっかけつてこういうことなのかもしれない。



娘の一言一言に、同じように考えるんだ、血は争えない…「大した問題じゃないよ」と助言した自分が一番励まされ、息子が貸してくれたマンガに感情移入して、号泣してしまう。


手に取るもの、目に触れるものも、必要な時に必要な情報が巡ってくる


それを実感するこの頃。


あらゆるシチュエーションが、


「絶を越えよ」


と、勇気づけしてくれている。



ピンチはチャンスだと言うが、いつも同じ問題にぶつかり、心を砕き、手を離す。
何度同じピンチを迎えるのだろうか。

誰でもない、自分で越えなくてはいけないものは、誰がどう評価しようが、自分にしか解決できないのだ。


いざ行かん
朝が来た

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ちょっとした心のほころびをみつけると、見なくていいことまでどっと溢れてしまうことがある。


きっかけは些細なことなのに、ずっと蓋をしていた気持ちが、自己嫌悪、自己否定という甘い罠のとりことなって、深みに落ちていく。



人はなぜ生きるのか。

目指すものの先に何があるのか。

そもそもなぜそれを目指すのか。



何年人間をやっていても、自分探し的な乙女な想いに駆られる。生き続けている間はそんなコタエなんて出ないことはもうとっくに分かっているのに。


隣で働く人の姿を見ては、この人は自分を持って生きているのに、なぜ自分はそれができないのか…

なんて思う。




人の暮らしが青く見えているから、自分が見えなくなる。
他者の目でしか自分を見ていない。

他者を羨ましがると同時に、他者と比較して自分の幸せを数える。

負けず嫌いはかなり心を痛めつける。



心を閉ざしていては、コタエなんて出ない。

中断、断念、断絶、絶望、拒絶…

そんな言葉と行動は簡単だ。

が、結局「絶」だから、新たに始める先でも「絶」の続きから始まる。その繰り返し。

「絶」を越えるには、歩みを進めるしかないのだ。迷いながらも続けるしかない。