心を喜ばせることを、「喜ぶ」とするならば、人を喜ばせるとは、人の頭ではなく、人の心を喜ばせることだ。


人の頭を喜ばせたといっても、損得で一瞬喜ばせただけなのだ。


そうではなく、人の心を喜ばせることができたのであれば、その喜びは一瞬で消え去ることはなく、心に刻まれる。


もしかすると、祖の喜びは永遠に消え去ることはなく、その人の心に刻まれる。


ここが大切なところで、頭を喜ばせても一瞬で消え去り、忘れてしまうか、次なる喜びが起こった時に、前の喜びは上書きされてしまうのに対して、心を喜ばせると心に刻まれ、消し去られることがないばかりか、自分の頭にその喜びに対する行動をするように働きかける。


つまりは、その喜びにたいして、何かを返さねばならない感覚になる。


それも心に深く喜びが刻まれれば刻まれるほど、その感覚は強くなる。


本当に人の心を喜ばせ続けている人には、何かを返さねばという波が押し寄せる循環が起こる。