9月28日(月)のセミナーの
大まかな内容や様子などはこちらの記事で紹介されています。
↓
■ちゅうつね【パートナーシップとブログを人生に活用するという事】
- Colors社長 経沢香保子「人生を味わい尽くす」blog
今日も、ちゅうつねカレッジを覗いてみて、ババババーッと浮かんできたことのつづきを書いていきます。
---
楽してお小遣いがほしかっただけだった、私とアイちゃんは、
「あなたのいいところを3つ教えます」の事業化をやめました。
・・・と、ちょうどそのあたりの時期に、
私の人生を変える出来事がありました。
ある日、平日の昼間からグダグダしていた私は、
近所に住んでいる10代の頃からのヤロー友達と、
特に用もなく電話でダベっていました。
この友達は年上で、
兄妹とか家族のような関係でした。
1年に2,3回しか連絡を取り合わず、
二人の間に男女のうるおいは1ミクロンもなく、
よく見せようとか、丁寧に接しよう、とかがないので、
若干殺伐とさえしていましたが、
なぜかウマが合い、深いところでの信頼関係はあるのでした。
「あー、なにしてんの?」
「別に。パチンコでも行こうかな」
「パチンコ行くの?じゃー私もついてく!」
「いいけど。お前、つまんないんじゃね?」
私はパチンコなど、
5歳くらいの頃に1,2度父親に連れて行かれたことと、
高校をやめて予備校時代に1度、
女友達に連れて行かれたことくらいしかなく、
経験はほとんどゼロで、興味もありませんでした。
私の家でアイちゃんと男の子たちと一緒に遊んでいて、
誰かが「パチンコ行こう」と言い出して、みんな出かけていき、
私は1人で家にいる、ということもありました。
当然、ルールも作法もわかりませんでした。
しかし、その日は、
一人で家で過ごすよりは、
パチンコでもいいから、ついていきたい気分だったので、
その友達と合流しました。
パチンコ屋に着いて、
わからないながらも、友達に教えてもらいながら
二人並んで打ち始めました。
一応、少しですが打ったことはあったので、
台についているハンドルを持つと、玉が飛ぶ、
ということくらいは、知っていました。
玉を、教えてもらった穴に狙って入れ、
そうすると、デジタルが回って、たまにリーチが来て、外れて、
ということを延々繰り返しました。
特別なことが、なにも起こらないので、
玉がなくなるたびに、
パッキーカード(玉のプリペイドカード)を買って打ち続けました。
↑
パッキーカード。上から1000円、2000円、3000円、5000円。
まず、パッキーカードを自販機で買ってから、台の横に入れて、打つための玉を出す。
(ちなみにその後、千円札を直接台の横に入れて打てるようになった)
そうしているうちに、1万円がなくなりました。
1万円といえば大金です。
1日働いて、ようやく稼げるか、稼げないか、くらいの金額です。
心に冷や汗をかいてきました。
しかし、そこで帰るとかやめるという発想はなく、
よくわからないまま打ち続けました。
店に来たとき、お財布には3万円ありましたが、
2枚目の万札を崩して使い始めたとき、
3枚あった万札が、1枚になってしまい、
「これ、大丈夫なのか?」
「このまま行ったら、どうなるんだろう・・・」
と、うっすら怖くなってきました。
それでも、お尻が椅子にくっついて離れないような、
現実感のない感覚で、ただただ、ボーッと打ち続けていました。
「まさか、3万円が全部なくなるなんてことは、ないよね・・・?」
と、チラと思いますが、
怖いことは考えないように、心を麻痺させながら打っていました。
1万5千円がなくなりました。
さらに3000円分のパッキーカードを買って、
続きを打ち始めました。
すると、何かが起こり、台がピカピカ光り始めました。
ジャンジャン玉が出てきて、そのままハンドルを握っていると、
隣の友達が
「当たり、当たり」
と言って、
玉でパンパンになった台の受け皿から、
ザラザラーッとドル箱に移してくれました。
あっという間にドル箱が玉でいっぱいになり、
すぐにまた台が光って玉がジャンジャン出てきました。
よくわからないまま、ドル箱2つがいっぱいになりました。
↑
ドル箱
友達は
「これで2万ね」
と言いました。
どうやら、私は大当たりをしたようで、
1箱が1万円なのだそうです。
(※今の多くの台は1回の大当たりで1600発くらい、
等価交換(1発4円)で約6000円ですが、
当時のこの台は2500発、しかも等価交換の店だったので、
1回の大当たり=1箱約10000円でした)
ずーーっと胃がキリキリするような苦しい気持ちで打っていましたが、
これまで使った1万8千円が、あっという間に取り返せて、
それどころかプラスになってしまいました。
すると、すぐにまた大当たりが来て、3箱目がいっぱいになりました。
友達がニヤニヤしながら
「これで3万」
と言いながら、いっぱいになったドル箱の交換などをしてくれました。
3万・・・!
1万円以上も儲かった!!!
やったー!!!!
玉はどんどん出ました。
「ほい、これで4万ね」
と、友達はニコニコしていました。
私はホクホクしながら打ち続けました。
箱が増えるたびに、箱数×1万-1万8千を計算して、
儲かった金額を確認しました。
「4万 -1万8千 = 2万2千円 のプラスだ!」
台はジャンジャン、ジャンジャン、玉を吐き出し続けました。
ドル箱が私の椅子の横に、どんどん高く積まれました。
「1,2,3,4,5,6,7・・・、7箱だから7万!!」
5万2千円のプラス!!
数えながら、もう、顔は上気して、意識はフワフワして、
打てば打つほど、打出の小槌のように、
お金がどんどん積み上がっていきました。
「1,2,3,4,5,6,7・・・12箱。12万!!」
10万2千円のプラス!!!!
だんだん、自分がやっていることが、
お金というものが、
よくわからなくなってきました。
それからも、台が壊れたように大当たりは続き、玉は出続けました。
私の椅子の周りをグルッと囲むようにドル箱が積まれ、
塀のようになって、席を立てないくらいになりました。
↑
もっと大きなドル箱で、椅子が囲まれていた。
隣の席の友達が、打ちながら、声をひそめて、
「お前、店から、ゴトとかしてるんじゃないかって警戒されてるぞ」
と言いました。
「え?なにそれ?」
と聞くと、
「さっきから、
お前の両脇に店員がピッタリはりついて、お前のこと見張ってるだろ。
あれは、お前が何か怪しいことをしてるんじゃないかって、見てるんだよ」
と言います。
また、打っている私の後ろを通りがかるお客のおじさんたちに、
「うまいね」
と言われたり、
「すごいね。いくら入れたの?」
とか、
「何時から打ってるの?」
とか、何度も聞かれました。
私は興奮で上気しながら、
「1万8千円です」
とか
「12時くらいです」
とか答えました。
午後4時ごろ、ようやく大当たりが終わりました。
店にはおよそ4時間いて、
台は2時間以上、玉を吐き出し続けたことになります。
腰の高さにまで積まれたドル箱にグルリと囲まれ、
閉じ込められていたので、
帰るときには、
店員にドル箱タワーを少し移動して、ずらしてもらった隙間から、
体を横に、薄くして出なければなりませんでした。
友達は3万円以上の負けでしたが、
「いやー、いいもん見せてもらった」
と何度も言って、ご満悦でした。
換金所では、
「あなたが今日一番出したよ」
と言われました。
換金額は26万3千円でした。
札束を二つ折り財布に入れると、財布が曲がらなくなってしまいました。
投資額を差し引き、24万5千円の勝ちでした。
友達は
「あー腹減った。焼き肉行こーぜ。お前、おごれよな」
と言い、足元がふらつく私も、
「もちろん、おごるよ。ありがとー」
と、間の抜けた声で答えました。
そして通りがかった焼肉屋に入ると、
友達はメニューを開き、
「あのね、こっちの端からこっちの端まで、全部持ってきて」
という注文を、本当にやりやがりました。笑
ワインもボトルで注文していました。
ボーッとしていたので、会計がいくらだったかも覚えていません。
今思うと、この24万5千円は、神様からのプレゼント、
人生の転機でした。
このお金によって、私の未来は開けるのです。
しかし、悪魔からのプレゼントも抱き合わせでついてきました。
これによって私は、
底なし沼に引きずり込まれることにもなったのでした・・・。
つづきます・・・
大まかな内容や様子などはこちらの記事で紹介されています。
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■ちゅうつね【パートナーシップとブログを人生に活用するという事】
- Colors社長 経沢香保子「人生を味わい尽くす」blog
今日も、ちゅうつねカレッジを覗いてみて、ババババーッと浮かんできたことのつづきを書いていきます。
---
楽してお小遣いがほしかっただけだった、私とアイちゃんは、
「あなたのいいところを3つ教えます」の事業化をやめました。
・・・と、ちょうどそのあたりの時期に、
私の人生を変える出来事がありました。
ある日、平日の昼間からグダグダしていた私は、
近所に住んでいる10代の頃からのヤロー友達と、
特に用もなく電話でダベっていました。
この友達は年上で、
兄妹とか家族のような関係でした。
1年に2,3回しか連絡を取り合わず、
二人の間に男女のうるおいは1ミクロンもなく、
よく見せようとか、丁寧に接しよう、とかがないので、
若干殺伐とさえしていましたが、
なぜかウマが合い、深いところでの信頼関係はあるのでした。
「あー、なにしてんの?」
「別に。パチンコでも行こうかな」
「パチンコ行くの?じゃー私もついてく!」
「いいけど。お前、つまんないんじゃね?」
私はパチンコなど、
5歳くらいの頃に1,2度父親に連れて行かれたことと、
高校をやめて予備校時代に1度、
女友達に連れて行かれたことくらいしかなく、
経験はほとんどゼロで、興味もありませんでした。
私の家でアイちゃんと男の子たちと一緒に遊んでいて、
誰かが「パチンコ行こう」と言い出して、みんな出かけていき、
私は1人で家にいる、ということもありました。
当然、ルールも作法もわかりませんでした。
しかし、その日は、
一人で家で過ごすよりは、
パチンコでもいいから、ついていきたい気分だったので、
その友達と合流しました。
パチンコ屋に着いて、
わからないながらも、友達に教えてもらいながら
二人並んで打ち始めました。
一応、少しですが打ったことはあったので、
台についているハンドルを持つと、玉が飛ぶ、
ということくらいは、知っていました。
玉を、教えてもらった穴に狙って入れ、
そうすると、デジタルが回って、たまにリーチが来て、外れて、
ということを延々繰り返しました。
特別なことが、なにも起こらないので、
玉がなくなるたびに、
パッキーカード(玉のプリペイドカード)を買って打ち続けました。
↑
パッキーカード。上から1000円、2000円、3000円、5000円。
まず、パッキーカードを自販機で買ってから、台の横に入れて、打つための玉を出す。
(ちなみにその後、千円札を直接台の横に入れて打てるようになった)
そうしているうちに、1万円がなくなりました。
1万円といえば大金です。
1日働いて、ようやく稼げるか、稼げないか、くらいの金額です。
心に冷や汗をかいてきました。
しかし、そこで帰るとかやめるという発想はなく、
よくわからないまま打ち続けました。
店に来たとき、お財布には3万円ありましたが、
2枚目の万札を崩して使い始めたとき、
3枚あった万札が、1枚になってしまい、
「これ、大丈夫なのか?」
「このまま行ったら、どうなるんだろう・・・」
と、うっすら怖くなってきました。
それでも、お尻が椅子にくっついて離れないような、
現実感のない感覚で、ただただ、ボーッと打ち続けていました。
「まさか、3万円が全部なくなるなんてことは、ないよね・・・?」
と、チラと思いますが、
怖いことは考えないように、心を麻痺させながら打っていました。
1万5千円がなくなりました。
さらに3000円分のパッキーカードを買って、
続きを打ち始めました。
すると、何かが起こり、台がピカピカ光り始めました。
ジャンジャン玉が出てきて、そのままハンドルを握っていると、
隣の友達が
「当たり、当たり」
と言って、
玉でパンパンになった台の受け皿から、
ザラザラーッとドル箱に移してくれました。
あっという間にドル箱が玉でいっぱいになり、
すぐにまた台が光って玉がジャンジャン出てきました。
よくわからないまま、ドル箱2つがいっぱいになりました。
↑
ドル箱
友達は
「これで2万ね」
と言いました。
どうやら、私は大当たりをしたようで、
1箱が1万円なのだそうです。
(※今の多くの台は1回の大当たりで1600発くらい、
等価交換(1発4円)で約6000円ですが、
当時のこの台は2500発、しかも等価交換の店だったので、
1回の大当たり=1箱約10000円でした)
ずーーっと胃がキリキリするような苦しい気持ちで打っていましたが、
これまで使った1万8千円が、あっという間に取り返せて、
それどころかプラスになってしまいました。
すると、すぐにまた大当たりが来て、3箱目がいっぱいになりました。
友達がニヤニヤしながら
「これで3万」
と言いながら、いっぱいになったドル箱の交換などをしてくれました。
3万・・・!
1万円以上も儲かった!!!
やったー!!!!
玉はどんどん出ました。
「ほい、これで4万ね」
と、友達はニコニコしていました。
私はホクホクしながら打ち続けました。
箱が増えるたびに、箱数×1万-1万8千を計算して、
儲かった金額を確認しました。
「4万 -1万8千 = 2万2千円 のプラスだ!」
台はジャンジャン、ジャンジャン、玉を吐き出し続けました。
ドル箱が私の椅子の横に、どんどん高く積まれました。
「1,2,3,4,5,6,7・・・、7箱だから7万!!」
5万2千円のプラス!!
数えながら、もう、顔は上気して、意識はフワフワして、
打てば打つほど、打出の小槌のように、
お金がどんどん積み上がっていきました。
「1,2,3,4,5,6,7・・・12箱。12万!!」
10万2千円のプラス!!!!
だんだん、自分がやっていることが、
お金というものが、
よくわからなくなってきました。
それからも、台が壊れたように大当たりは続き、玉は出続けました。
私の椅子の周りをグルッと囲むようにドル箱が積まれ、
塀のようになって、席を立てないくらいになりました。
↑
もっと大きなドル箱で、椅子が囲まれていた。
隣の席の友達が、打ちながら、声をひそめて、
「お前、店から、ゴトとかしてるんじゃないかって警戒されてるぞ」
と言いました。
「え?なにそれ?」
と聞くと、
「さっきから、
お前の両脇に店員がピッタリはりついて、お前のこと見張ってるだろ。
あれは、お前が何か怪しいことをしてるんじゃないかって、見てるんだよ」
と言います。
また、打っている私の後ろを通りがかるお客のおじさんたちに、
「うまいね」
と言われたり、
「すごいね。いくら入れたの?」
とか、
「何時から打ってるの?」
とか、何度も聞かれました。
私は興奮で上気しながら、
「1万8千円です」
とか
「12時くらいです」
とか答えました。
午後4時ごろ、ようやく大当たりが終わりました。
店にはおよそ4時間いて、
台は2時間以上、玉を吐き出し続けたことになります。
腰の高さにまで積まれたドル箱にグルリと囲まれ、
閉じ込められていたので、
帰るときには、
店員にドル箱タワーを少し移動して、ずらしてもらった隙間から、
体を横に、薄くして出なければなりませんでした。
友達は3万円以上の負けでしたが、
「いやー、いいもん見せてもらった」
と何度も言って、ご満悦でした。
換金所では、
「あなたが今日一番出したよ」
と言われました。
換金額は26万3千円でした。
札束を二つ折り財布に入れると、財布が曲がらなくなってしまいました。
投資額を差し引き、24万5千円の勝ちでした。
友達は
「あー腹減った。焼き肉行こーぜ。お前、おごれよな」
と言い、足元がふらつく私も、
「もちろん、おごるよ。ありがとー」
と、間の抜けた声で答えました。
そして通りがかった焼肉屋に入ると、
友達はメニューを開き、
「あのね、こっちの端からこっちの端まで、全部持ってきて」
という注文を、本当にやりやがりました。笑
ワインもボトルで注文していました。
ボーッとしていたので、会計がいくらだったかも覚えていません。
今思うと、この24万5千円は、神様からのプレゼント、
人生の転機でした。
このお金によって、私の未来は開けるのです。
しかし、悪魔からのプレゼントも抱き合わせでついてきました。
これによって私は、
底なし沼に引きずり込まれることにもなったのでした・・・。
つづきます・・・