母の期待に応えること…② | 最後の。まで聴くチカラで 人生をマルにする! カウンセラー 皿井啓之

最後の。まで聴くチカラで 人生をマルにする! カウンセラー 皿井啓之

最後の「。」まで聴くチカラで 人生をマルにする!
ホントのホントの気持ちに寄り添うカウンセラー

日本のマザーテレサと呼ばれた「森のイスキア」の佐藤初女さんとの出逢いで「こころに寄り添う」ことの大切さを学ぶ。

こんにちは

人の“ホントのホントの気持ち”

に寄り添うプロフェッショナル

さらちゃんですニコニコ

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「子どもを救うのは親」



確かにそうかもしれません。

一理あります。

間違ってないと思います。




でも私は昔からこの言葉が大嫌い

でした。



何と言うか…



母の口から出た瞬間に

鳥肌が立つほど嫌でした。



なのに その言葉を聞けば聞くほど、

私は母に従わざるをえないような

感覚に陥り、実際そうでした。


常に子どもを思っている母を裏切って

はいけないと、距離を置かず、

拒否してはいけないと…



そして、私には妹や弟には

課せられない高いハードルが 

いつも目の前にありました。



辛くても 苦しくても、

やめたくてもやめられない。

「無理」が言えない。

「出来ない」が言えない。

きっと許されない…


必死でハードルを越えるうち、

いつしかそれは私の中で


「やるものだ」となり


“やって当然、出来てあたりまえ”

になっていったように思えます。


“しなくては いけないこと”

になっていったように思います。


もしかしたら、

母や妹•弟も同じように思っていた

かもしれません。





そんな私に転機が訪れたのは、

これもまた出会いによるものでした。

その人はいつも自然体で、

自分自身にも人にも正直な人でした。

私が出来ない自分を表に出した時も、

その人の反応は、ごくごく自然な

ものでした。


出来ない事実を責めるでもなく

怒るでもなく、ただ淡々とでした。


出来ない私をそのまま受け入れ、

むしろ「出来ない事の何が悪いのか?

人間できない事があってもいいじゃ

ないか。誰だってきっとそうだろう」

というスタンスで

私に接してくれました。


そして、皿井先生との会話の中で

(これ、もうすでにカウンセリングですけど…)

「NOと言うのは全然悪いことじゃ

   ないよ!伝えることは大事なこと

   だと思うよ!僕は!」


と言って頂いた時、



私の中に「NO」を伝える勇気

わいてきたのです。




「出来ない」「無理だ」「もう限界」

を口にしてもいいんだ。

表に出してもいいんだ。

受け入れてくれる人がいるんだ…

それが私の転機でした。




そして思い切って、母に対しても

出来ない事は出来ないと

無理な事は無理と口にするように

なりました。




今まで「何とかする」と口にしてきた

私にとって、これらを表に出すことは

とても勇気のいる事でした。



が、母の反応は悲しいものでした。

前はそんな子じゃなかった」

「人間が変わった」

「人に対して感謝の気持ちがない」

「前はもっと謙虚さがあった」

「薄情な娘だ。自分さえ良ければ

   いいのか」等々…

私からしたら、数十年という間

言えずにいたことを、ようやく言える

ようになっただけの事なのです。

でも、母の捉え方は違っていました。

そして、私が変わったと涙ながらに

妹に訴え、その母に妹までもが加担

する…