Say OSS!プロジェクト関係者のみなさまへ

 一般社団法人プロジェクトNextの打越岳(うちこし・がく)と申します。岩手県遠野市を拠点として、本業の歯科医院を営みながら、東日本大震災の津波で被災された方々に対する支援活動を続けています。

 土佐樹誉彦さんとのご縁を通じて、Say Oss!プロジェクトさんからは大きなご支援をいただいています。みなさまからの温かいご厚意のお陰で、被災した多くの方々や被災地で暮らす子どもたちに、大きな笑顔をもたらすことができています。被災地である岩手県に住むひとりとして、Say OSS!プロジェクト関係者のみなさまに、あらためて心から御礼申し上げます。

 東日本大震災による津波被害は甚大なものでしたが、3年以上が経過し、被災地の復興には大きな差が生じています。被災地の報道が激減した現在、多くの方々にとって現場の状況を知ることは難しくなりました。今回は、わたしがこの支援活動を通じて知り得た現状をお知らせしたいと思います。

東日本大震災による主な被災県は、岩手県・宮城県・福島県の3つですが、それぞれの事情が大きく異なります。以下の地図で、あらためて位置関係や地形などをご確認ください。

Google Maps
https://goo.gl/maps/uXkP4

 福島県は、津波被害よりも福島第一原子力発電所の事故による放射性物質汚染の問題が大きく、立ち入り禁止区域に指定された周辺の街は、津波被災した当時のまま放置されています。そこに住んでいた全員が避難しているので仕方がありません。そのため、岩手県・宮城県の津波被害とは別次元で考える必要があります。また、福島県はわたしの活動拠点である岩手県から離れすぎているため、ここでは詳細に触れないことにします。

 岩手県と宮城県は同じ津波被害でも、街の復興に大きな差があります。一言で言えば、宮城県の方が早く復興が進んでいるところが多いです。宮城県には仙台市という大きな地方都市があり、岩手県にくらべて、もともと物流などの点で恵まれているのが理由です。

 宮城県の県庁所在地である仙台市中心部から沿岸被災地までは車で数十分で移動出来るのに対し、岩手県の県庁所在地である盛岡市から沿岸被災地までは車で3時間近くかかります。しかも、岩手県はとても山が多い地形なので、街と街を結ぶ道路の多くが道幅の狭い峠道になっており、移動に困難を伴います。

 宮城県は仙台平野という広大で平坦な土地柄のため、土地価格高騰などの問題はあるものの、経済的な問題さえクリアできれば、移転先が無くて困ることはほとんどありません。しかし、岩手県の場合(岩手県寄りの宮城県の被災地、南三陸町や気仙沼市なども岩手県と同様です)、その沿岸部はリアス式海岸という特殊な地形のため、まったく事情が異なります。岩手県の沿岸部は、山だらけの土地に限られた狭い平野があり、そこに街が形成されていました。そのため、津波被害では丸ごと流された街が多いのです。
 
 以下のアルバムには、わたしが撮影した震災直後の岩手県の被災地の様子が記録されています。悲惨な写真が多いですが、現実を理解いただきたいので、よろしれけば一度ご覧ください。

支援活動2011年3月中旬
http://on.fb.me/1p3gKDU

支援活動2011年3月下旬
http://on.fb.me/1kgsDWX


 防波堤が破壊され大地震による地盤沈下を起こした街の跡地は、新たに建物を建設することはまだ許可されていません。そのため、新たに建物を建設しようにもまったく手が出せない状況です。ようやく街の復興計画が決まり始めましたが、被災地の多くは、街の跡地をすべて数メートルかさ上げ工事をしてから利用することになり、住民が新たに建物を建設できるのはまだまだ何年も先のことになるようです。つまり、街の復興はまだ何も進んでいません。

 宮城県と比較した岩手県の被災地の困難の一部を記しましたが、決して、宮城県で被災した方々が恵まれているという意味ではありません。それぞれの県で、街の復興までに要する時間が大きく異なるだろうということです。どちらの県でも仮設住宅で避難生活を続ける方々には、現在も様々な不自由が存在しています。そして、その先が見えない不安を抱えたままの方々が多く存在します。

 日本の法律では、仮設住宅の使用期限は2年間と定められていますが、政府は特例で使用期限の延長を繰り返し、5年間まで延長されることが決まったばかりです。しかし、前述の状況から考えると、5年つまり、あと2年ですべての住居者が仮設住宅を出ることはどう考えても不可能です。2年間の使用を想定して施工された仮設住宅ですから、至る所に老朽化の問題が出ています。たとえば、ほとんどの仮設住宅では、床の畳を裏返すと一面カビだらけになっています。本来、日本では当たり前に飲料水として利用出来る水道水が、見た目にわかるほど濁っています。幼い子どもを抱える世帯では、仕方なく飲料水を購入しなければなりません。津波で全てを失った方々にとって、飲料水の購入だけでも経済的負担は小さくありません。震災から3年5ヶ月が経過しようとしている現在でも、生きていくために最低限必要な飲料水にすら困っている方々が存在する、これが事実です。

 もともと土地が狭い日本。その上、山々に囲まれた岩手県沿岸部に住む方々にとって、宅地や商業などに利用出来るわずかな平地はたいへん貴重なものです。日本には古来から、自分たちの土地を代々引き継いで守っていくという慣習がありますが、平地がわずかな面積しかない岩手県沿岸部ではとくにその傾向は強く、津波被災したからといって代々引き継いできた大切な土地を、自分の代で手放すのは先祖に申し訳が立たないと考える方が多いのです。

 わたしが行なっている支援活動は、津波被災のため今もなお困難を抱える方々を励まし続けることが目的です。また、被災地の保育園・幼稚園・小中学校への支援も行なっていますが、これは将来の被災地復興を担う子どもたちとその家族を支援することが目的です。

この子どもたちが将来、自分たちが受けた支援への恩を、他の困っている方々へ受け渡してくれたら、「恩送り(Pay it forward.)」という支援の輪は、これからもずっとつながっていくことでしょう。それがわたしの願いです。

 長文を最後までお読みくださり、たいへんありがとうございます。今後とも被災地の方々をお見守りくださいますようお願いします。





打越岳 拝

「顔が見える支援」
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