陸前高田の方が書かれた、現状…シェアさせて頂きます。
とても強い憤りを感じます。
同時にだからこそ、我々はできることをやり続ける と、気持ちを新たにしました。


【書いた方の友達のコメント】
岩手放送のアナウンサーが、本気で怒ってた。隙間だらけだったり、カビだらけの仮設住宅を施工した業者に対して、おまえら仕事に対してプライドは無いのかと。
この時期になってまだ苦々しい思いをさせられなきゃ行けないんでしょうか?


【コピペでシェア】

すぐにアツくならないと自戒したばかりなのに、無力感で涙が出る。


すごく長いです。ごめんなさい。


今日、私の故郷、陸前高田の土地処理を担当しているという某測地コンサルタントと名乗る業者から電話があった。私の両親は陸前高田に家とわずかな土地を持っていて、家が流れた後、土地をどうするかで、去年説明会があった。

簡単に言うと、選択肢は市に買い上げてもらうか、代わりの土地をもらうか。

代わりの土地をもらうには、2年以内に家を建てるめどを立てなければならない。当時まだ2人が学生だったウチでは、2年以内に家なんてまず無理。買い取ってもらう以外に道はない。

「買い取りでは、最大で査定価格から40%引かれます。」

なぜですか?

「区画整理とか土地計画で費用が派生するでしょ」と、大阪の測地コンサルタントは簡単に言った。

「その費用にはあなたたちの委託業務代も入ってるんでしょ?高田のお年寄り達が一生かけて買った土地なの。大事に使ってください!」

と言い捨てて、私は会場を出た。


今日、県外の別のコンサルタントから連絡があった。どうやら、私が出した売却意思の確認書類に不備があったらしい。

不備を正した後、業者は言った。

「では、買い取れるかどうか、決まったら連絡しますね~」


 は?


「買い取らない場合もあるんですか?」

「ありますよ~」

「なぜですか?」

「予算がありますからね~。優先順位の高いものから買い取って、予算がいっぱいになったら終わりですから。」

「その場合、どうなるんですか?」

「かさ上げ地に別の土地を提供しますから~」

「ちょっと待って。うちはまだ学生もいて、将来高田に戻るかどうかもまだ決めていないんです。家だってわからないし」

「そんなこと言われましても。」

「じゃあ、仮に、将来高田に住まなくても、家を建てずに災害住宅に入っても、代替え地をそのまま持っていろってことですか」

「そうなりますね~」

「売ることもできない、家を建てることもない土地をそのまま?税金だけ払って?」

「そうなりますね~。説明しましたよね。」

確かに説明会に行った。説明も受けた。

でも、コンサルタントの話す専門用語ばかりの説明で、私はそこまで理解していなかった。

私の年代ですらそうなのだから、会場にいた多くのお年寄りだって、理解していない可能性はあるはずだ。

予算が限られているのはその通りだと思う。陸前高田は小さな市だ。市の職員だって、被災者の思いを背負って一所懸命頑張ってる。

だれも責めることなんてできない。

だけど、どうしてこんなことが起こるの?

私たちの両親世代にとって、家や土地は希望だった。爪に火を灯すようにして、土地を買い、家を建てた。自分たちの財産として。子や孫に伝える、自分たちの人生の証として。

その大切な土地が、半値を超えたくらいの金額で売られ、予算が尽きたら、かさ上げ地に面積を縮小した土地をあげますから、後はどこに住もうとご自由に。

予算がないなら、それは仕方のないことだ。
だけど、真っ先に切られるのが被災者が喪失したもので、その作業で大阪だの仙台だのからやってくる業者の皆さんは、被災者と同じギリギリの痛みを抱えてこの仕事を請け負ってる?


潤沢だと言われている復興予算はどこに消えているの。本当にこれが復興予算でまかなうべきなのかどうか、疑問にしか思えないような使途は、なぜ簡単に認められているの。

家や土地を失った人たちに、できるところまででいいから、失ったものを取り戻せるよう中央政府が本気になったら、もっともっと厳しく優先順位を精査していたら、もっと言えば、復興に名を借りたバラマキをやめたら、
仮設で泣いてる人はいなくなるんじゃないの。

私たちの世代はまだいい。一生かけて大切にしてきた土地を売ることも、家を建てることもできなくて、今でも仮設で暮らしているお年寄りはどうするの。

中央省庁が偉そうに国家予算と称して使っているものは、みんなこの人たちが日々の暮らしから一生払い続けてきた税金なんだよ。

悔しいのは、土地が売れないかもしれないとか、かさ上げ地がいやだとか、そういうことじゃない。私たちは被災したんだから、少々の我慢はしなければならない。
わがままは言えない。

大震災の被災者にだけ国家予算を使えないこともわかってるし、震災でなくてもどうにもならない不動産を田舎に抱えている人が大勢いることも知っている。

そうじゃなくて、本当に悔しいのは、苦しんでいる人の影で、被災地じゃないどこかの何かが潤ってる気がすることだよ。


商業主義とか官僚主義が、一所懸命に働いてこの国に税金を収めてきた、ひとりひとりの幸せよりも優先されているように思えるのはどうしてなの。
ごめんなさい。

委託を受けている業者の人も、生活をかけて精一杯頑張っているんだと思う。
誰の悪口を言う気もない。
だけど私、忘れない。

全体と個人を天秤にかけるとき、全体という皿には始めから大きな重りがのっかっている。この国では。
負けないなんて始めから無理だけど、悔しい。戦う力がほしい。

しばらくはこうして、騒ぎ続けていこうと思う。