うちの長男の受験の時に。
ママ友さんと話していて、つい、私、そのママ友さんに、
「…それって、ママの希望を子どもに押し付けてるだけやよね?
洗脳やよね?」
という余計な一言を言っちゃったことがあります。
でも、そのママ友さんは、
「おお、洗脳や!!それの何が悪い!?」
と答えるような方でしたので、良かったです
私に言われたことを気に病んだり、キレたりする方でなくて、良かったです、ほんと
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そんな余計な一言を言ってしまった私は、つまり、
私自身も、子どもを自分の都合の良いように洗脳しちゃうタイプ
だから、つい、人のそういった言動が気になっちゃったのでしょう。
長男については、確かに、たぶん、うまーい具合に、「私の思い通りにカスタマイズ」して、育ててきましたね
ただ、幸いなことに、長男は、
私よりさらに一枚上手(うわて)なので
私の手のひらの上で転がされているように見せかけて、実は、私を、手のひらの上で転がして遊んでいますね
(※そして、私は、その状態を楽しんでいるという…)
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子どもは、母親に「褒めてもらいたい」「認めてもらいたい」「役に立つと思われたい」と、思うものなのでしょう。
子どもの、【母親の感情や思考を先読みする能力】というのは、もう、超能力レベルです。
母親の望む自分を演出するのは、お手のものです。
母親の望むことを察知して、やっちゃいます。
「これをすれば、ママは喜ぶかな?」
「これをすれば、ママの機嫌は良くなるかな?」
「これをすれば、ママは褒めてくれるかな?」
「これをすれば、ママは、僕を好きになってくれるかな?」
子どもは、いつもいつもいつも、こんなことを考えて、母親の望むことを先読みして、行動します。
時にはうまくいかず、失敗して怒られちゃいますが。
時にはうまくいかず、ママの機嫌が悪くなっちゃいますが。
時にはうまくいかず、ママは褒めてくれませんが。
時にはうまくいかず、ママに嫌われたように感じちゃいますが。
その、「うまくいかなかったこと」をバネにして、「次こそは、失敗しないぞ!」と、頑張り続けます。
そして、母親は、
知らず知らずのうちに、自分の言動が子どもたちに、こうやってプレッシャーを与え、洗脳していることに気づかずにいることが多かったりします。
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ママが、「好きなこと」を、子どもたちは、真似ます。
だって、それをしたら、ママは喜んでくれるんだもん。
ママが「褒めてくれること」を、子どもたちは、頑張ります。
だって、それをしたら、ママは、自分を好きでいてくれるんだもん。
母親は、そんな我が子を、誇りに思います。
Facebookやブログで、「うちの子、天使♡♡♡」と、自慢します。
自分の子育ては素晴らしいのだと、勘違いもします。
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先日、幼馴染みのお友だちが、うちの次男坊のことを、
「ゆーりちゃんの子っていうより、神の子だよね」
と表現しました。
…そう。
私も、薄々感じていました。
この子は、私好みにカスタマイズしちゃいけないんだろうな?
と。
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長男の場合は、私好みにカスタマイズしようと思っても、それに負けない子なんだと思います。
でも、次男坊の場合は、私の子育て方法によっては、自分を抑え込み過ぎちゃう可能性があるように感じています。
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うちの両親は、はっきり言って、私を抑圧する育て方をしてはいましたが、
基本的な考え方は、
「子どもは、天からの預かりもの」
という考えを持っていました。
子どもは、自分達の所有物ではない。
大人になったら、天へ返す。
と、常々、言っておりました。
…まあ、にしては、束縛は激しかったですけれど(笑)
でも、20歳を過ぎてからは、確かに、私を束縛したり抑圧したりすることは無くなりましたね。
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私は、両親の子育て方法に、堂々と「イエス」とは言えませんが。
けれども、この、基本的な考え方については、賛同します。
「子どもは、天からの預かりもの」
…確かに、そう思います。
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子どもは、両親を選んで生まれてきます
だから、その両親がどのような考え方で、どのような子育てをするのかも知っています。
両親の束縛を受けることや、両親の価値観に洗脳されることも前提で、生まれて来てもいるのでしょう。
そう考えれば、本人も了承の上のことなのだから、両親は、自分の考え方での子育てを貫けば良いのだと思います。
ですが。
もしも。
もしかすると、この子には、自分の考えや価値観を押し付けて洗脳してはいけないのではないか?
と、感じた場合には。
ちょっと、立ち止まって、
これは、自分のエゴを子どもに押し付けているだけではないのか?
これは、自分の都合の良いように子どもをカスタマイズしようとしているだけではないのか?
と、考えてみてもいいのかなぁ…?とも思います。
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私は、宗教に嵌まった母親を持つので、余計にそう感じるのかもしれませんが。
自分の宗教観(スピリチュアル観)を、子どもに押し付けることに、異常なくらい嫌悪感を感じています。
押し付けているつもりはなくても、子どもは敏感なので、母親が「好きなこと」を真似して褒められようとします。
母親が、天使だのガーディアンだのという話をすれば、自分もそのような話をすれば、母親に褒めてもらえると思ってしまうのが、子どもなのだとも、思っています。
なので。
そんな子どもの気持ちを利用しているにもかかわらず、「うちの子もスピリチュアルに目覚めている」と思ってしまったり、それを自慢気に人に語ることは、出来れば避けたいと思ってしまうんですよね。
うちの子たちが、そんな「頭のおかしなこと」を言うと、「…はぁ(# ゜Д゜)?寝言は寝てから言え!!」と言う私。
んでも、そんな私に反発して、怒りながら、
「はぁ!?だって、オーラ、見えるしっ(#`皿´)!!」
と言い張る時には、仕方がないので、受け止めては、あげます。
「バッカじゃねぇのー?」と言いながら
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当然、私は、母親なので。
アドバイスもするし、協力もするし、経済的にも精神的にも援助するし支えるし、どんなことがあってもどんなときも彼らの味方であって擁護し続けるし、
子どもたちを守るためなら、私の身を犠牲にも出来るし。
けれども、
「私は私、子どもは子ども」なんですよね。
子どもたちには、私のやってることを、わざわざ真似ては欲しくないと思ってしまうのです。
私のやってることを、わざわざ無理して理解して貰おうとも思わないのです。
ただ、
子どもたちが、自分で考えて、私と同じような道に興味を持った場合には…
仕方がないので、認めようかな?とは、思っています。
だって、私とおんなじような価値観やスピリチュアル観を持ってくれたなら、もちろん、それはそれで、とっても嬉しいんですもん
子どもと価値観が共有できるなんて、幸せじゃないですか!!
でも、あくまでも、その価値観やスピリチュアル観に至った動機やきっかけは、「私」主体ではなく、「自分」主体であってほしいなぁ…と、私は願うのです。
せっかく、現代の日本を選んで生まれたのだから、
精神の自由、思想の自由、信教の自由、学問の自由、職業選択の自由(あははん♪)etc.
を、彼らには、謳歌してほしいなぁ…と思うんですよね。
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彼らの人生設計において、私は、どのような役割を担っているのでしょうか…?
切に、彼らの人生の邪魔にはなりたくないと願ってしまう、今日この頃。
…母親が、子どもたちの人生に介入出来るのは、いったい、どこまでなんでしょうね??