某地方アナウンサーさんが、出産退職をして、今は、「子育てセミナー」を開催してるんだって。
…と聞いて
そんなセミナー、クソも聞きたくねぇ
と暴言を吐いてしまったワタクシです
その方のセミナーを聞いていないのに、すぐさま反発してしまうなんて、失礼きわまりない行為ですね
すぐさま拒絶してしまうのは、私の悪いところです。
とりあえず、一旦は受け入れて体感してみないとね?とは思っています。
なので、次どこかで誰かにその方のセミナーへの参加を誘われたなら、参加を検討はしてみようと思っています。
(そこは、「参加する!」と言い切るところちゃうんかーい。)
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何故、私は、「クソも聞きたくない」と思ったのでしょう?
たぶん、私は、自分の子育てを批判されちゃうような気がしたのでしょう。
私は、自分の子育てが「正しい」という自信がありません。
幸いなことに、今のところ、うちの子どもたちは、世間一般から見たら「素直なよいこ」たちに育ってくれているのだと思います。
けれども、これから先はわかりませんしね。
ていうか、私の子育ての仕方の結果がコレなのかもわかりませんしね。
先日、ママ友ちゃんと、
「子育ては修行だよね~」
「こんな過酷な修行をしなきゃいけないってことは、うちらは相当なカルマを残して生まれてきたんだよね~」
という話をしていたのですが。
(※これは単なる私たちの勝手な見解です。)
私の場合は、特に、「自分の思い通りにはならない」ということを、子育てという修業を通じて学ばせてもらっているのだと感じています。
私の寝たい時間に、起きる。
出掛ける直前に、ウ〇チを漏らす。
仕事の休めない日に、熱を出す。
お出掛け先で、ゲ〇を吐く。
お金のない時に、急に学校行事の集金がある。
私の望んだ「テストの成績」を持って帰ってこない。
仕事中に、担任の先生に呼び出される。
私の希望した学校へ行かない。
…書き出すと、ショボい内容ですなw
でも、どれもコレも、私にとっては、「‰∧∫⊂∇ゞ^★▽◎ーーーー(# ゜Д゜)!!(声にならない怒りの叫び)」を発したくなる出来事でした。
「予定が予定通りにいかない」
って、私にとっては、ストレスなんですよ。
そして、そのストレスのぶつけ先がないっていうことに、これまた、相当なストレスを感じるわけですよ。
子どもを怒ったところで、しゃーないですもんね?
ストレスを飲み込んで、消化しちゃうしかないんです。
こんなちっちゃなことで葛藤するくらいの私なんですもん。
こんなちっちゃなことで「子育ては修業」だとかいっちゃう私なんですもん。
自分の子育てになんて、自信なんて持てません。
それでも、なんでも、曲がりなりにも自分なりに、何とか克服してきているんです。
それなのに、そこを、「子育てセミナー」でツッコまれてダメ出しを食らうのが、私は恐ろしいのでしょう。
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今回の話題になった方の「子育てセミナー」の内容は、わかりませんが。
もしも、その方のセミナーが、「大半は、勉強して得た知識」で作られた内容なのだとしたら、私は、さらに、反発することでしょう。
もちろん、その子育て論は、教育界のお偉い方々が、統計学に基づいて、充分研究・検証した、しっかりとした裏付けのあるものなのでしょう。
けれども、その統計をとる際の、その研究や検証をする際の母体となる家庭の条件って、みんながみんな同じだったのでしょうか?
その条件は、「核家族」「シングルマザー家族」「3世帯同居家族」「年収〇〇万円の家族」「専業主婦のいる家族」だとかいうざっくりと分けられた条件だったということはないでしょうか?
同じ「核家族」のAさんとBさんとが、全くなにもかも同じ条件な訳がないじゃないですか。
母親の学歴や職業、生活歴、父親の学歴や職業、生活歴、子どもの性格や学歴、住む地域…その他諸々のどれもこれもがまったく違わずに一致する家庭なんてあるわけがないじゃないですか。
あなたの学歴や職業、生活歴、父親の学歴や職業、生活歴、子どもの性格や学歴、住む地域…にピッタリと合う「子育て論」が、AさんやBさんに合う保証なんて、あるわけがないじゃないですか。
もちろん、そういう「研究の成果」を、研究された方々自身が発表して説いていただくのであれば、私は、納得するのだと思います。
上記に書いたような私のぐちゃぐちゃとした疑問点に対しての答えをくれるだろうからです。
研究者って、自分の成果からさらに疑問を見いだして研究していく方が多いような気がします。
だから、私みたいな素人の「疑問」についても、想定済みなのだと思います。
でも。
「…という研究結果が出ています」と、教科書で学んだだけの方々は、違うと思うんです。
自分が実践したり、自分の頭で考えたことを説いているのではなく、「伝え聞いたこと」をそのまんま説いている方のセミナーには、私は心惹かれないんです。
あなたの実践は、どれほど伴っているの?
と、思ってしまうのです。
「いや、私が子育てで得たことを踏まえながら、私は伝えている!」
という場合であったとしても。
いったい、あなたのお子さんは、何人?
いったい、あなたのお子さんは、何歳?
いったい、これまで、どれだけの子育てに関わってきたの?
いったい、これまで、何人のお子さんとお母さんに実際に関わってきたの?
と、思ってしまうのです。
まあ、もちろん、子育ては、人数さえ稼げばいいってもんではないですけれどね
でも、むしろ、私は、それくらいなら、
「ビッ〇ダディの子育て論~三度目の再婚の何が悪い!?」
というセミナーを受けたいです。
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子どもが死ぬまで結果なんて出ない
のが、「子育て」だとも、思うんですよね、私は。
親が死んだあとも、子どもの中には親の影響が残るんです。
それなのに、「自分の子育ては正しかった」という結論を先走って出して、偉そうに自論の「子育て論」を語るお方って、何様なんざんしょ?
と、思ってしまうのです。
子どもの人生の一部分だけを見て、自分の子育てが「成功だった」だなんて、言い切れちゃう根拠は、なんでしょう。
「あなたの子育て」が、他の人の子育ての参考になるという自信の根拠は、なんでしょう?
絵の教室じゃないんです。
企業セミナーじゃないんです。
動物の飼い方教室じゃないんです。
「こうすればこうなる」という確固たるマニュアルが簡単に作成できるもんじゃないと思うんです、子育てに関しては。
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中学生くらいの頃は、「子どもは親を選べない」という言葉にうなずいていた人たちが、子どもを産み親になると、「子どもは親を選んで生まれてくる」という言葉を免罪符のように掲げるようになります。
私自身も、子でもあり親ともなってみて、後者の意見を取り入れるようになった一人です。
どんな親であっても、私が選んだんだ。
そう腑に落とせるようになって、両親へ素直に感謝できるようになりました。
「親の被害者」である私を卒業することが出来たんですよね
「今の私」を形成するためには、ほんと、うってつけの、この上ない両親でした。
「マニュアル外」な両親ですが。
この人たちじゃなきゃ、私のような「マニュアル外」の子どもは育てられなかったとも思います。
ちなみに、基本的な性質は「マニュアル外」ではあるものの、うちの母親については、児童心理学を学んでいたこともあって、一生懸命、「育児書」どおりの子育てをしようとしてましたね。
それに、私は、反発していました。
「ぶっ飛んだ非常識人のお母さん」の言葉が聞きたいときに、いつも、教科書どおりの嘘くさい「模範解答」を返して、嘘くさい「笑顔」をくれる母親に、苛立っていました。
そんな教科書どおりの回答をして、私をどうコントロールしたいわけ!?
と、母親のうしろに見える「親がこうすれば子どもはこう育つ!!」理論にも反発していました。
…と、まあ、そんなわけもあって、私は「子育てセミナー」というものに拒否反応があるんでしょうけどね?
んでも、そんな母親だったからこそ、そんな母親を私が選んで生まれてきたからこそ、今のこの私なんだな、と。
感謝していますね
「お母さんは、自分の意見に自信がないんだもん。」
私が大人になってから、母親が発した台詞です。
「自信持てばいいのに?私は、そんなヘンテコなお母さんだから、それを見込んで生まれてきたんやよ。」
私が答えた台詞です。
「娘に【嫌われる】役を買って生まれてきたお母さんって、偉大やわ。
どんだけメンタル強いん?」
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子どもは親を選んで生まれてくる
のであるならば。
親は、とことん、子どもの期待する「キャラ」を演じなければいけないのかもしれません。
「子どもに憎まれる」役を引き受けたのならば、それをとことん。
「子どもを縛り付ける」役を引き受けたのならば、それをとことん。
世間一般の親のふりなどせず、「自分らしく」、迷い悩み葛藤しながら子どもを育てること…
それが、子どもたちの立てた「人生計画」の親の役割なのではないでしょうか。
「自分らしく」子どもを育てる…
これを、親のエゴだと言って眉をひそめるのならば、
「子どもに好かれるため」「子どもを自分の理想像に近づけるため」「育てやすい子どもにするため」「子育てのストレスを軽減するため」に、子育てセミナーへ行くことは、親のエゴではないのでしょうか?
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いや、まあ、こんなこと言ってても、子育てセミナーに誘われたなら行ってみますけどねw
マニュアルや基礎も大事です、何事も。
画像は、今年の長男からの「母の日のプレゼント」。