【未解決事件】西安義行さん失踪事件 | 王立 シュレヒト総合研究所

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 怖すぎワロタ。。。ワロエナイ。。。。



 wikipediaの記事が見つからなかったので、

 神戸新聞の記事より抜粋。




 足跡が消えた日 特定失踪者を追う第4部



 1987年3月15日、兵庫県市島町(現・丹波市)の自宅から、西安さんは高校時代の友人、石川靖さん(42)とドライブに出かけた。

 二人は京都・舞鶴へ向かった。石川さんは運転免許を取りたてで、西安さんが運転した。「海を見て、食事をして帰った。変わったことはありませんでした」と石川さん。

 夕方、京都府綾部市の綾部駅近くで、西安さんは「列車で帰る」と、車を降りた。

 西安さんは約一時間後「無事着いたか」と、春日町(現・丹波市)の石川さん宅に電話してきた。

 それが、西安さんの消息の最後となった。



 それから、不可解な出来事が起きるようになる。

 最初は87年5月。母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声が漏れてきた。「僕、学校の横」と聞こえた。震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。

 93年3月ごろの電話は、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。「明かりをつけましょ、ぼんぼりに…」。ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」。返事はなかった。

 98年、今度は来訪者があった。集落の区長の男性宅に、地下足袋を履いた男二人が現れ「西安義行3 件の両親の家はどこか」と尋ねた。今は亡き区長によると、二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗ったという。

 さらに昨年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。留守を告げると、電話は切れた。