皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
※当記事のみ一部編集あり
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

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平成十五年九月号
 
 
 
心を開く
 
☆「地球は 小さな細胞体なることを知るべし」(先月よりつづき)
 今日は雨が降っていますから、いくらお日様がみたいと思っても雲で見えません。 しかし、雲の上へジェット機で上がりますと、お日様はカンカンと照っておられます。 下の雲を見ると、眩しいようですが、下界からは雲に遮られてお日様は見えません。 この雲こそ、五官からでた欲望であり煩悩です。それは自分の心から出した雲であって、この雲によって神の光が遮られるのです。
 今日は北海道からお見えになっていますが、二日前の金曜日から来ておられます。 この方はある信仰を持っておられて、「その信仰は正しくありません」と、説明させて頂いたのです。
最初は、本当にショックを受けて御られたそうです。その信仰で何かを見て頂こうと思うと、二十万円のお金がいるのですね。しかも予約の人が一杯で、何年も先でないと見てもらえないと言うのです。それだけ苦しい方がこの世の中 には多いと言うことです。藁にもすがりたい、何とか助かりたいと思うのですね。見て下さる方というのは、あたかも自分が光の天使であるかのように、たくさんの本も出しておられます。しかし、欲望が雲であれば、神理から見ますと、一人ひとりから二十万円も巻き上げて、一体何に使うというのですか。或いは大神殿を建てる為といっても、その大神殿は又金を巻き上げる人のよる場所で、だだ欲望以外の何者でもありません。
 この欲望は自らの心からでている、また行いからでている雲であり、スモッグです。今日のお天気のように雲の上ではお日様がさんさんと輝いておられますが、雲やスモッグによってお日様の光を仰ぐことは出来ないのです。どれほど良いことを言いましても、どれほどたくさんの立派な本を出しましても、行いが欲望の雲を出しておりましたら、神の光は届きません。届くはずがないのですね。その欲望を捨てたとき、「そんなに苦しい病気なら、お金は良いですよ。困っておられるのならば無償でよろしい。神様は私たちを生きさせて下さるのだから、お金など持ってくる必要はありません」と、言えるはずです。
 私はそのようにさせて頂いております。「あの方は生活が苦しいのです」と、前もって電話を頂きましたら、「ああ結構です」と言って来て頂いております。人は恵まれないときがあって当たり前です。その恵まれないときに助け合いをしてこそ、神の子としての兄弟同士、どなたこなたの関係はありません。「別にお金を持ってきて頂く必要はありません。ただ治って頂いたらそれでいいのです。」と、そのようにお話をして治療に来て頂いております。
 それに引き比べ何十万というお金を取って、聞くところのよりますと、それでも治らないそうです。「治らないからお金を返せ」と言われたときに困るので、前もって「一切苦情は言わない、お金の返却を要求しない」という趣旨のものに印鑑を押すようになっているそうです。こういう信仰もあるのです。
 本当の神様の信仰とは遠く離れていると私は思います。私はそのようなことはしません。先日も、おばあちゃんが一生懸命内職をなさって、お金が貯まったらまた私の所に連れてきて貰うと言いますから、「おばあちゃん、そんなに内職しなくても結構です。今度の治療費はこれを使って下さい」と、内緒で渡して使ってもらいました。 本当に困っておられる方であれば、自分に余裕があるなら差し上げて使って貰ったらいいのです。
 これが神の子としての生き方です。差別をしない、まして人に罰を当てないことです。「あんな悪い奴」と心に思うのも罰ですね。思うだけならまだいいけれど、心の中で行動を起こす人がいます。心の中で「あんな悪い奴はしんでしまったらいい」 と、自分にとって都合が悪いと、人に罰を当てようとしますが、これはとんでもないことです。
私たちはすべてのかたを許させて貰わなくてはいけません。人を責めることは、許していない証拠ですね。「許しとは愛である」と説かれますが、「許し」とは、自分自身が許されることを知らねばなりません。しかも憎さの大きい人、許せない気持ちが強い人を許すほど、怒り、憎しみの苦しみから自分の心が許される度合いが大きいも のです。
 神様は私たちに「忘却」という愛をお与えになっています。忘れ去っていきます。
過ぎ去った過去の出来事は時間と共に薄らぎます。しかし、何かの縁に触れますと、その時の苦しみがそのまま再現してきます。自分にとって憎い人や、辛い目に遭わされた人を思い出したり、また、その人のことを話に聞いたり、その人の姿を見たりすると、 そのままかつての苦しみが心の中に再現してくるのですね。
 完全に許していれば、そういう人と出会っても、もう自分の心は苦しみませんが、 許さない限り、自分の心が苦しみから許されないのです。人を憎んで腹を立てている自分の姿は哀れです。そして、自分の心が苦しんでおります。この苦しみから救われ るために、許させて頂くことを実践することです。いつまでも憎んでいたら、あなた自身の心が苦しいです。その苦しみは神が嘆かれます。
 「ああ、私のいとし子よ、そなたはなぜ自らを苦しめるのか、幸せになれ」
と言われます。自らを苦しめてはいけません。どのようなことがあっても自らを苦しめないように努力をすべきですね。
 そのためには、許させて頂くことです。そうすれば必ず幸せになれます。そして極楽に帰れます。
 このように、大いなる神の慈愛の中に私たちは生きさせて頂いていることを自覚することが第一で、そして次に、自分が行うことです。
 
 「当体の細胞なるがゆえに 細胞に意識有り」  この世の中の一番小さな単位であるミクロの世界、原子の世界に入っても、ちゃんと大宇宙の循環とまったく同じ循環が行われています。これが、当体の細胞なるが故に細胞に意識があるということですね
 
 「かくのごとく 万物すべて生命にして エネルギーの塊なることを悟るべし」
 万世万物すべては、原子の世界に入っても活動しているということです。その活動こそが生命、いのちです。大宇宙は大生命であり、ミクロの世界の原子の世界もまた生命によって動いています。エネルギーによって動いています。この私たちも同じことで、この肉体から生命が消えたときは、もう一個の腐りゆく物質でしかありません。 何日かの間には腐ってきます。大宇宙を動かしいる命も、私たちを動かしているこの命も、まったく同じ命が宿っているのです。このことが、神と私たちが同質同根だと いうことなのであり、しかも、これはすべてエネルギーです。高橋信次先生はこの様に話されました。
 「マッチ棒一本ほどの水素を完全にエネルギーに換えると、それは巨大な電気が何百年も働くほどのエネルギーに相当する」と。すべてはエネルギー、命であることを知って下さい。
                  長尾 弘先生著「心行の解説」講演集上より
       
 

☆ 法句経(ダンマパダ)
 
○ 「つとめはげむのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境地である。
   つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」
 
○ 「愚かな者は、生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。
   匙(さじ)が汁の味を知ることが出来ないように」
 
○ 「その報いは、私には来ないであろうと思って善を軽んずるな。
   水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされる。
   気をつけているひとは、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて幸福に満たされる」
 
○ 「人はみずから深く思い、量を知って食(じき)をとるべし、
   さすれば苦しみ少なく老いゆることおそく、いのちながからん」
 
○ 「他人(ひと)の邪曲(よこしま)を観るなかれ、他人のこれを作(な)し、
   かれの何を作さざるを観るなかれただおのれの何を作し、何を作さざりしを想うべし」
 
○ 「言葉のいかりをまもりて、ことばをつつむべし、言うべかざるを棄てて、言うべきをいうべし」
 


引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



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