封印した記憶-赤子編・ムウ | 魂職支援の自然美容専門家|神智美和

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さて、覚醒から共鳴へ・・・という事で「魂が共鳴する庭」という名付けを頂き、自分の役割がより明確になってきました。

これからはさらに、無理に誰かに理解してもらおうとする必要はなくなるのだそうです。
理解出来ない人は離れ、必要な人だけが来る、そうなってくるから。

そんなわけで、このブログも一体どんな内容になっていくのか予測がつきません。
きっと訳が分からない人から見たらトンデモかも知れませんが、最近、錬金術師みたいな人たちには合うわ、ちょっと従来の物質界の常識を越えた人たちと沢山会うrので、そういう方向になっていくのでしょう。

ところで、ラ・ムーに意識を振り向けられていると以前書きましたが、過去に封印した記憶を開放する時が来たようなので、書きマース!

必要ない人は飛ばして下さいね~♪

----はじまり

今生の自分として生まれた時、私は怒りから始まった。

最初の記憶は、全く体の自由が利かず、首すら自由に動かない状態の自分。

ただ周りを感じそのうちウトウトしてきたら眠り・・・お尻が気持ち悪くなったり、なんだか分からないけど不機嫌になったら、ワンワン泣けば、母が やってきて世話をしてくれる、何かをゴクゴクのんだら、不思議とほっとして安らかな気持ちになれたりした。おなかがすくとむかつくんだ(笑)、 へぇ~・・。そんな事を感じている記憶だった。

首が自由に動かないから、窓の模様を見つめていた。
針金が中で交差しているような、今ならこんな言葉で表現できる「典型的昭和レトロ」な窓だった。

今思えば、この状況はゼロ歳児の、しかも生後2ヶ月以内の記憶だろうと推測できる。

不快なら泣きさえすれば母が何でもやってくれ、なんてラクチンな生活なんだろうと思う地球人の赤ん坊としての人生を感じる反面、どうしようもない怒りの感情を全て発散していたから、私は「夜泣きのひどい子」というレッテルを貼られることとなった(笑)

地球人的な解釈をすれば、その怒りは嫁姑問題の感情の確執のせいだと解釈していた。
感情は波動となって家に充満する。
母は必死で祖母の粗い感情から守ってくれたが、やはり隠しても隠し通せるものではないのだ。
ただ、そんな波動なんて表現を理解出来る人は、当時は皆無だった。

敢えて誤解のないように言っておくなら、私にとって祖母は優しくて和菓子を良くくれる有難い祖母だった。
子供はいつでも食べ物に弱いのかも知れない(笑)

話は戻って、特に赤ん坊は、全身で全てを受け取っている。

このことを赤ん坊の頃に苦しみとして実感していた私の子育てはラクだった。

シュタイナー教育などでは全身の毛穴から全てを受け取っているから、赤ちゃんがいる環境には細心の注意を払うように書かれている。
これは事実である事を体感しているからだ。

赤子は、お風呂から上がってバスタオルにくるまれる瞬間も、お湯の中で巻かれるガーゼの感触も、全てを全身で受け取っているのだ。

だから、赤ちゃんには「木のおもちゃ」がいいというのは理にかなっている。
木を手に取ったときの波動は、ほっとして落ち着くが、プラスチックは異物。
全然違うのである。

とはいいながら、この世界に慣れた(つまり宇宙意識から麻痺した)感覚が長かったために、一人目の子育てはプラスチック製品が汚れなくていいとか、効率を優先させていたのであるけれど・・・。

赤ん坊を沐浴させる時に首を持つけれど、あの指の圧力と(時に、あまり心地よいものではなかった、少し痛い感じ)後頭部が湯につかる感覚と、体にガーゼがまとわりつく暖かさを、今でも良く覚えている。

母は「あなたの子だから育てにくいわよ」といっていたが、子供達にも自分が赤子の頃に得た沐浴の気持ちよさの感覚をフル稼働して沐浴したから、やたらに泣いて育てにくい子は、3人育てたけど一人もいなかった。

今の私なら家に充満する波動やエネルギーの質が大切で、夜泣きのDNAが遺伝するのではないよ、といえるのだが、当時は不快な感情だけが胸にやってきて焼け付くような痛みを置いていくものだから、ただひたすら泣くしかなかったのだ。
赤ん坊だから泣くしか表現出来ないだけだったんだけど。

気に入らない感情が湧いてくるととにかく泣いていたから(泣くしか出来なかったから)、母は大変だっただろう。

けれども、この母は末っ子で、自分はあまり親にかまってもらえなかった思いを持っていた為、とても良く私の面倒を見てくれた。私が彼女を母に選んだ理由は多分これもあったのだろう。

地球人的な怒りの原因ともう一つあった怒りの根本原因は、ラ・ムーに会いたいのにもう会えない怒りだった。

結局、あの時に何がどうなったのか、私は全くわかっていなかったのだ。
分かっていない中で生命を終えた(多分)
直接聞いて納得したい、そんな気持ちだった。
(何があったというのだろう?)

けれども、私が会いたいその人どころか、その大陸がどこにあるのか本当に存在していたのかすら、この世界では*ここに生きている人は誰も*知らない*という事だけが明白だった。

とにかく、この世界に、知りたい事の全てが、全てが無くなってしまっていることだけがはっきりしていた。
何よりも悲しかったのは、叡智が全てなくなっていたことだ。
その悲しみといったらどう表現したら伝わるのだろうか。
その絶望といったら。

この世界での生き方を全く知らない赤ん坊という不案内な存在だから、地中に沈んでいるかも知れない大陸の叡智を掘り出すにも、この世界のルールではどうしたらいいのかさっぱり分からない。誰に訊けばいいのかすら分からないのだから。

そして私は、その「わたし」を封印して、地球人として、ただ物質的な喜びと目の前の事に忙殺される「日常」という地球人的な人生を生きる事に決めた。
とにかく、時間を過ごすしかなかった。
いつか、全てを解決できる日が来る事をその時は分かっていなかった(今も全ては分かっていない)

自分がなぜそんなことに惹かれるのかも理解出来なかったし、ただ、ラ・ムーへの強い、何かを訊きたいという思いが、そこにあるだけ。

今思えば、その依存体質からの脱皮も今生の目的だったのかもしれない。



そして、次が3歳頃の記憶。

父が私を楽しませようとコインを入れると動く、よくデパートやらゲーセンにあるような遊具に乗せてくれた。

けれども私は悲しくて仕方がなく、乗せられるなり不機嫌になり、最後は泣いた気がする。

「こんなものが楽しいはずがない・・・!!」

なぜなら、この世界の全てがフェイク(偽物)だったからだ。
ここは全てがフェイク。
本物など一つもない。

ここの人たちは一番大切なものに目を向けず、こんな乗り物を作ってゆらゆらゆれるだけの代物。
これに乗って、わー楽しいねぇーとか、目先の時間を潰している。

全てが時間の浪費でしかない。

生きるとは何かを知らないまま、どんなことで時間を潰したって、それはつかの間の満足に過ぎないではないか。

つまらない娯楽のドラマ、そんなもので、時間を潰していることが信じられなかった。

この人たちはなぜ平気で「*実質は何一つ生きていない*時間つぶしのこの世界を、平然と生きていけるのだろうか?」

それがただ一つの疑問であり、彼らへの怒りだった。
*実質は何一つ生きていない*ことの意味すら、誰も分かる人はいなかった。

成長するにつれ、それは世界への怒りと変わっていった。


大切な事とは、命をきちんと使い切って生きること。

かつての人生では誰もが当たり前にしていたことが、ここにはないのだった。

それを物心付くかつかないかの時に知ってしまった絶望を引きずり、10代の頃には自分を殺してしまおうかと何度も思ったけれど、体だけ殺しても何も意味がない事を、誰よりも自分が良く分かっていた。

どんなことがあっても自殺では何からも逃れることが出来ないと、心の深いところで知っていたのだった。

結果的に、この狭い世界(地球物質界)で学ぶべき事が沢山あった。
今はなぜこの人生を通り、学んで来たのかが分かる。

生かされて来たことに壮大な愛を思う。


<つづく>


かも(笑)?