明けましておめでとうございます。
今年一発目のブログということで、きっと多くの人が気になっている引退後の生活と
なぜ復帰に至ったかを簡単に話していきたいと思います。
まず話す前に辞める理由を説明する必要があると思うのでします。
一度負けたら辞めるの理由ですが僕はそれはプライドとかそういうのではなく現実的にプロを続けれるのが難しいと思ってたからです。
自分がプロボクサーである理由は世界チャンピオンになる為(稼げるから)で負けたらそこでかなり後退してしまう。年齢も考えたら一敗する事で可能性はほぼ無くなってしまうと思ってたから辞めるに至りました。
でも、近畿大学の先輩の近藤太郎さんのおかげでボクシングを続ける理由をきっかけを作って頂き、そこからの行動で今回のアメリカ戦に繋がりました。
きっと近藤さんはあまりこういうのは望んでないと思いますが今回のアメリカ戦に至るまでに助けて頂いた方達の名前がメディア映えする人達ばっかりなので僕がいくら言っても載らないのでここで書くことをお許しください。笑
ここから引退後の生活になります。
このブログのメインはもう伝えたのでめっちゃ簡単にいきますね笑
辞めてからずっと夢だったボディビルダーみたいな体になりたかったから弟と一緒に筋トレしまくる。
でも、体を作るってめっちゃ大変で体を追い込むのと同じかそれ以上に食事が大切でとにかく食べる必要があり僕にはそれが厳しくて1ヶ月くらいで断念。
それからバイトしないといけないと思って掃除の仕事を。
けど、めっちゃキツくて3回行ったら辞めました。
ここで分かった人も多いと思いますが僕ってホンマに我慢するのが苦手で根気というのが無い人間なんです。
でも、それがボクシングなら何故かしんどくても頑張れたし途中で捨てる様な事はしなかって、
この時にボクシングやから続けてこれたんかって思ったんですよね。
でも、ボクシングをする価値を感じれなかったから選ばず何もしない日がこっからずっと続きます。毎日ゲームですね。
この時に近藤さんが誘ってくれちょくちょくご飯とかに誘って貰ったりして、大学の先輩の石田順裕さんとの食事で大きく変わり出しました。
この話はきっとこれから色々な所で取り上げられると思うから割愛します。
そこから村田さんと連絡を取り移籍したい旨を伝えて練習をこっちで一度してみようかとなり移籍の話の相談もさせて貰ったわけです。
ここまで話が進んでるのにいい加減な僕はやると言ってしまったけど、
やる事や頭を使う事が多過ぎる現実にやっぱり移籍はアカンって言われてこの話が無かった事にならへんかなーとか考えてました。
でも、ここまで多くの人を巻き込んで自分からやっぱり無しで!なんて言われへんから全力でやるべき事はしてた。頭の片隅では無かった事を望む自分もいたけど。
そして試合が決まり、移籍が決まり。
アメリカの試合に勝つ事が出来たんです。
よく人の為に〜、なんてあるけど、
今回の自分に関しては紹介出来てない人もいっぱいいるけど本当に多くの人の助けられて逃げないというより逃げれない状況になりそれが僕の力になり勝利に繋がりました。
きっと一人では成し遂げれていなかったと思います。
本当にありがとうございました。
最後に、諦めない気持ちや強い精神力を付けるにはどうしたらいいですか?とよく今回の試合後から聞かれる事が増えたので答えます。
それは自分一人の力でなんでもやろうとしない事。
元々人は、一人では生きていけないし一人で生きてる様でも多くの人の支えがあって実は生きてる。
だから、周りの人に相談したり助けたりして貰ったりして巻き込んで行動していけば
逃げるに逃げれなくなり最後まで全力で行動出来るようになると思います。
今回、自分がそうであったように。
それが責任感に繋がるのかなと思いました。