なぜ占い師ではなく、占導師を選んだのか?
子供のころから見えないものが見えた。
第六感といえば聞こえが良いが、普通は霊感があるというのだろう。
生まれた時から見えていたら、周りの皆も見えているものだと思っていた。だから、普通に見えない人のことも話題にしてた。
そして気持ち悪いとイジメられた。その時に初めて、自分だけが見えているのだと知った。
だから見えることは言わないようにしていた。
中学の頃から、友人から相談を受けた時、何気なく答えた言葉が友人の胸に残り、感謝される事が増えだした。
でも言った私はほとんど覚えていない。
感謝されたから良いけど、逆に不安を煽ったり悪い印象を与えたりしていたらと考えたら怖くなった。
そこで私は日本語には言霊があると知り、その言霊の扱い方を勉強すること決めたんだけど、
「いったい誰に教えて貰ったらいいのだ?」と当たり前の事につまずいた。
私の心にあったのは「占い師ではないだろう。神主さんとかお坊さんとかかな?本物はどこに?」
本物を知っている。それはこの世で唯一つの存在。
神様!!
私は中学のころから神社参拝の度に
「本物に出会わせてください」とお願いしていたのだ。
長い年月を経て、今の師匠に出逢ったのだ。
今までにも出逢っていてもおかしくはなかった。
でもお互いに教えて貰う準備ができた。
教える準備ができた。
その状態が整ったタイミングで出逢ったのだろう。
普通占導師の修行に入るには、
セミナーに何度か参加して師匠に自己申告するのだ。
でも私は友人に紹介され、出逢ったその場で師匠から
「弟子の勉強をしませんか?」と声を掛けて貰ったのだ。
だから私にとって「師匠と弟子」というのは
呼びかけ方以上に深い意味がある。
その辺の想いや考えは次の記事に続く☆