「新しい歴史教科書をつくる会」シンポジウム開催 | 世日クラブじょーほー局

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 去る6月14日(日)東京・市ヶ谷のホテルで、“「南京事件」が教科書から消えた!”との触れ込みで、市販本「新しい歴史教科書」(自由社刊)出版記念シンポジウムが開かれ、参加してきました。
 シンポジウムのパネリストは、杉原誠四郎氏(「つくる会」会長)、藤岡信勝氏(「つくる会」理事)、小山常実氏(「つくる会」理事)、ゲストとしてケント・ギルバート氏(弁護士)の4名。以下それぞれの発言の要約。


      (ケント・ギルバート氏)

 ケント・ギルバート氏 ≪GHQが日本に自虐史観を植え付けることに見事大成功している。中国は南京事件の死者は今では40万人とか言っている。これからどれだけ増えていくだろうか?あるいは韓国の慰安婦20万とか。何よりこれらのことをアメリカで広めていることが許せない。私は、今現在ネットでの情報発信を英語と日本語でやっている。できる限りアメリカ人にも正しい歴史を理解してもらいたいと思ってやっている。その中で沖縄米軍基地に対する文章が話題になっているようだ。琉球新報からは取材のオファーがきたが、「応じるわけない!」批判の材料与えてどうする。またFBとブログで、「愛国心」について書いた。そのタイトルは「あなたは君が代を歌えますか?」この反響が大きかったことを通じ、日本人は本当は愛国心が宿っているんだとわかった。ただ表現してはダメなんだと思った。これから愛国心を復活させなければダメだと思う。≫


        (杉原誠四郎氏)

<教科書検定制度について>杉原誠四郎氏
 ≪われわれの活動にもかかわらず、なぜ教科書はよくならないか?これまで執筆者や世論や政治家は「検定制度」の改良に重点をおいてきた。今回の検定基準の変更もその流れの中から出てきたもので、それなりに評価できる。しかし教科書をよくするためには検定制度だけで満足していてはだめ。悪い教科書がいつまでもなくならないのは、それが採択されるから。平成9年に「従軍慰安婦」が全部の教科書に記述された時、「教科書議連」が立ち上がった。その一人安倍晋三氏が、「なぜこういうことを書くのか」と問いただしたら、さる大手の教科書会社の経営者いわく「売れるから」。要するに、“嘘でもなんでも売れるものならいい”というわけだ。では教科書採択を決定しているのは誰なのか。教育委員会の委員だが、それは形式的なもので、事実上彼らは何も読まないのが普通。実態は教員関係。彼らは日教組の影響下にある。この人たちが「政治的中立性」を盾に政治や行政の介入を排除し、自分たちだけで決めてきた。悪い教科書、自虐的な教科書を優先して採択するから、それに合わせて教科書会社は教科書をつくるのだ。今回教育委員会制度が変わって、「総合教育会議」ができた。これは首長が、教育委員を集めて教科書採択の方針を言うことができるとなった。「できる」というのはしなくてもいいということ。議会はもし首長が何もしなかったら、「何をしてるのか!」と言わなければならない。首長は選挙で選ばれているのだから、住民の意思を反映している。教育委員会の委員だけが決める状況を変えることができる。たとえば歴史教科書でいえば、「南京事件」はなかったと証明されているのに「あった」という教科書を採択していいのか!と議会で質問すればいい。しかし自民党は「総合教育会議」をどう活用すればいいのか方針をまったく出していない。保守もまだ目が覚めていないといえる。≫


        (藤岡信勝氏)

<南京事件が教科書から消えた意義>藤岡信勝氏
 ≪まず検定教科書に「南京事件」が載らなかったことは一大事件。平成に入ってから、小中高すべての歴史教科書に「南京事件」が載るようになった。載るということは事件があったということだ。日本がひどいことをしたという前提で書かれている。もし10年前にこれをやっていたら、おそらく大騒ぎだっただろう。南京事件を無視して書かない教科書などとんでもないと、中国や国内の左翼勢力も大騒ぎをしてこれをつぶそうとしただろう。今回この教科書が発表されてもどこからも文句は来なかった。この10年間で大きな変化が起きた。自虐史観克服の大きな風穴があけられた。でも近隣諸国条項があって、こんな教科書が許されるのか。教科書検定のシステムはそれぞれの教科書会社が書いてきたものについて、検定をするというもの。教科書にどう書くかというのは、「学習指導要領」に定められている。ここに出てくる言葉は当然載せなければならない。たとえば、「鎌倉幕府」「摂関政治」などなど。しかし南京事件については言及がない。何を取り上げるかは著者の自由。ではなぜこれまで書いてきたか。一種の集団錯誤か、書かなければいけないもんだと思い込んでいた。「つくる会」では4年前に書こうか書くまいか悩んだ。結局書く方を選んだが、一旦書くと検定で「あった」ことを前提に書きなさいと言われる。結果、「あった」ことにされてしまった。今回は絶対に「南京事件」を書かないということにしたが、見事検定をパスした。「南京事件」は戦後ずっと書かれてきたわけではない。75年にはじめて高校の教科書にのった。その後中学校の教科書に載り、中国の教科書に同事件が載ったのが、なんと79年。82年に近隣諸国条項ができて、その後定着した。「つくる会」が発足したのが、97年。その後、教科書の自虐度が目に見えて低下した。今回のことは、事実上「近隣諸国条項」が立ち腐れした、あるいは空洞化したことを意味する。次回以降の検定ではこのような流れが大きくなっていくだろう。≫

        (小山常実氏)

<歴史教科書の流れ>小山常実氏
 ≪昭和22年から二つの国定教科書で、日本軍が南京で行った「残虐行為」の記述。しかし「南京事件」との記述はない。その後、検定教科書になって「南京事件」記述消える。「南京事件」が全くの嘘だということは、当時共産党系の知識人を含め常識だった。その後ずっとこの状態が続く。昭和50年突然、「日本書籍」と「教育出版」が「4万2千人殺害」との記述。その中で、「日本書籍」は、「中国人には平服で発砲する人たちがいたので」と理由がちゃんとつけられている。悪いのは中国サイドだとも受け取れる内容だ。昭和59年には全社で記述。だが、「大虐殺」ではない。ほとんどが「多数殺害」の記述。
 昭和57年の「教科書誤報事件」の影響により、昭和62年以降は全部「南京大虐殺」、あるいは「20万人殺害」と記述。これ以降「南京事件」を書かないのは考えられない状況になっていく。なおかつ「南京事件」を書く方が採択が取れる。日教組は教科書評価の判断材料として、「南京事件」がトップにくる。ひどく書けば書くほど採択取りやすい。よってこぞって書くようになった。「つくる会」の発足以降「南京事件」の記述がだんだんマイルドになっていった。今回「満州事変」について「侵略」と書いたのは、「東京書籍」「清水書院」「学び舎」の3社だけ。「侵略」記述が減少する動きと、「南京事件」がマイルドになってくる動きが並行してきている。≫

<公民教科書の流れ>小山常実氏
 ≪前回から公民については、怒鳴りたくなる状況。今回も同様だ。2006年に教育基本法が改正。その中の教育の目標として「公共の精神」「国を愛する心、郷土を愛する心」が謳われている。よって、教科書には全部記述されるものと思っていた。ところが、ずべてきちんと書いたのは「自由社」1社だけ。育鵬社は「愛国心」に関しては、完全に逃げた。今回は育鵬社は「愛国心」「公共の精神」も最低限のことは書いている。あとの教科書は一切なし。安倍政権はものすごくバカにされているということ。政府なんかへっちゃらだ。政府がどういう方針であれ、「愛国心」など潰してみせるという強固な意志が教育界には働いている。昭和23~29年には「愛国心」の記述なし。それは占領政策のため。WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)の一環としてナショナリズム、愛国心を徹底的につぶした。その方針に忠実に書けなかったのだ。「国家」という言葉もでてこない。言葉狩りの対象だった。昭和30~36年には半数の教科書で愛国心の記述。昭和37年からは逆に消えていく。「愛国心」を書くと「右翼」のようにいわれる状況になってゆく。昭和41~61年には完全消滅。だが、それ以外の年度では1社くらいは書いていて、けっこう「日本書籍」(共産党系)が書いていた。愛国心を記述する前提として「国家」とは何かという問題になる。よって「国家論」も前回から出てくると思ったが、自由社だけ。今回も同じような状況。育鵬社は前回よりさらに後退した。私が一番危惧しているのは「家族論」だ。昭和53~55年の公民教科書は、「家族論」に21ページ割いていた。平成18~23年には3ページ弱となった。「家族」を潰していこうというコンセンサスが法学者を中心としてある。さらに前回の公民教科書から「家族論」の単元がない教科書が3社。単元はあっても1ページも書かず実質家族論になっていないものが1社。ひっくるめると計4社。あるのは「自由社」「育鵬社」「帝国書院」だけ。あとの4社は「家族」を潰すべき対象とみている。これは恐ろしいこと。エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」は、かつて日本の左翼運動のバイブルだった。この中で、私有財産を潰そうという動きはなくなってきた。しかし「家族」「国家」はいまだに潰すべき対象なのだ。≫