人の運は不思議ですね。

悪いことばかりしている人が栄えているように見えたり、良い人が貧乏だったり苦しんでいたり。

その一つの要因として、食事のとり方があるようです。

今、悪い運勢にあっても、食事によって、運を切り開くこともできますし、逆に贅沢三昧している人は、運勢が落ちてくることもあります。


苦しんでいる人には神の恩寵があると言われるように、もう生まれ変わらなくても良いように、神と融合するため、生まれ変わりたいという願望、欲望をなくすために、現世の苦しみがあったりする人もいるのかも、とも感じます。


食事によって、運命が変わった水野南北という観相家をご存知ですか?



彼は、1757年、江戸中期の頃に生まれました。幼い頃に孤児となり、10歳で飲酒を始め、けんかばかりして生傷が絶えませんでした。18歳ごろ、酒代欲しさに犯罪を犯して牢屋に入りました。牢屋に入ったことで、彼の人生は変わりました。


牢屋にいる人の相と、普通の人の人相の間に、際立った違いがあるのを発見して、観相に興味を持ったのです。

出獄後、さっそく彼は易者のところに行って自分の運命を観てもらいました。

ところが、剣難の相で、あと一年しか生きられないと言われてしまったのです。そして、難を逃れる唯一の方法は、出家であると教えられました。


命には代えられないと、南北は慈雲山瑞龍寺(鉄眼寺)を訪れ、入門させてくださいと頼みましたが、住職としては、やくざのような南北をそのまま受け入れるわけにはいかず、「一年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたら入門させる」と約束しました。追い払われたわけですが、南北は、真剣にそれを実行しました。仕方なく実行し始めると、体はどんどん丈夫になり、麦と大豆だけの粗食をしながら、港湾労働という肉体労働に従事して生活したのです。


そして一年が経ちました。剣難にもあわず、命もありました。


南北は、禅寺に行く前に、昔観てもらった易者のところに行きました。すると易者は、剣難の相が消えたと驚き、「何か大きな功徳を積んだのではないですか?」と聞きました。


南北が、大豆と麦だけの食事をしたことを話すと、それが陰徳を積んだことになって、相まで変えたのだと言うのでした。




禅寺に入る必要性もなくなった21歳の南北は、観相家を目指そうと、諸国を遍歴しました。観相を会得した真言僧・海常律師より観相を学び、人間の全身の相を研究するために銭湯で働いたり、骨格や死人の相を確かめるために火葬場で働いたりして、観相を研究しました。しかし、いくら研鑽を重ねても、百発百中とはならないのです。なぜだろうと悩み、解答を求めて伊勢神宮に参拝し、断食と水ごりの修行をしました。


そこで南北は、「人の運は食にあり」という真理を、霊感として授けられたのです。伊勢神宮の祭神は豊受大御神で、五穀をはじめとする一切の食物を司る神であるから、その神から授けられた答えだろうと言われています。


南北はこの霊感を受けてから、「我れ衆人のために食を節す」という決意をして、生涯粗食で過ごしました。彼が食べていたものは、主食は麦飯で、一日に麦を1合5勺、副食は一汁一菜でした。米は食べず、餅も食べませんでした。酒は大好きでしたが、一日に一合と決めて、それ以上は飲みませんでした。このような粗食を、盆も正月もなく、ずっと続けたのです。南北自身は貧相で、成功する相ではなく、短命の相なのですが、このように食を慎んだおかげで、78歳まで健康に長生きして、大きな財を成しました。





南北の、運がよくなる食事のとり方12か条です。(偉人天才たちの食卓より)


①運命の吉凶は、食で決まる

・食事量の多少によって、人の貧富や未来の運命を予知することができる。人間には、天より与えられた一定の食事量がある。これをみだりに貪り食うものは、天の規律を破るものである。

・食事の量が少ないものは、人相上不吉な相であっても、運勢は吉であり、それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年が吉。


②粗食のものは貧相でも幸運をつかむ

・食事の量が常に適量を超えているものは、人相学上から吉相であっても、物事が整いにくく、手がもつれたり、生涯心労が絶えなかったりして、晩年は凶。


・食事が常に適量であるものの運勢の吉凶は、相として表面に表れているとおりである。


・常に大食、暴食のものは、たとえ人相上は良くても、運勢は一定しない。もしその人が貧乏であれば、ますます困窮し、財産家であっても家を傾ける。大食、暴食して人相も凶であれば、死後入る棺もないほど落ちぶれる。


・常に身の程以上の美食をしているものは、たとえ人相が吉であっても運勢は凶である。美食を慎まなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして、貧乏人で美食するものは、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。


・常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしているものは、人相が貧相であっても、いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は楽になる。


③粗食でも、大食すれば大凶

・粗食で小食を守っているものは、たとえ極悪貧窮の相であっても財をなし、出世する。子孫にも財を残す。しかし、粗食にしているとはいっても、大食で量が一定していないものは大凶である。


・小食で、量も厳重に決めているものは、相が悪くても福に恵まれ、万事思うようになる。こういう人は、外見が弱弱しく見えても、病気になることはない。


④食事時間が不規則なものは、吉相でも凶

・食事の時間が不規則なものは、吉相であっても、運勢は凶である。何事も、成就しそうで成就せず、生涯生活が不安定である。貧しい人の場合は思うようにことが運ばず、8,9分までできていても、完成間際で崩壊する。


・大食で、しかも食事時間が不規則なものは論外で、慎まなければ、ついには家を潰し、病気で倒れる。もし凶相であれば、死に場所さえ定かでない境遇に陥る。


⑤小食のものには、死病の苦しみや長患いがない

・常に大食のものは、病みつきから食欲をなくしてあまり食べない。が、小食のものは、病気になることは少ないが、仮に病気になっても食べないということはない。大食のものは、天与の食が尽きても、まだ生命があるために、食べられない状態で長く苦しんだ後に死ぬ。

少食のものは、天与の食がまだ尽きていないために、生命が終わっても、食が終わっていない状態。食があるところには生命があるので、その食が尽きるときに生命も自然に亡くなる。だから、小食のものには、死病の苦しみや長患いはない。食を慎み、欠乏に耐えるものは、晩年の凶運を免れる。


⑥大いに成功、発展する相があっても、その相通りにいかないことがある。

・怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しないものには成功はない。成功、発展しようと思うならば、自分の望むところの一つを決めて、毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変える時には自然に成功する。食を楽しむというような根性では、成功は望めない。食は成功の基礎であり、その基礎をみだりに食いつぶすものは、その基礎を失うものである。食は恐ろしいまでに大切な事柄なのである。


⑦美食を続けると、消化器系の病気になる

・無病の相であっても、若いころから美味しいものを好み、毎日のように美食するものは、老いては消化器系の病気にかかり、食べたくても食べられない病気になる。貧しいにも関わらず、3年間美食を続けると、生命まで失う。


・食というのは、「気」に準ずる。食が定まらないから、気も定まらない。食が定まらなければ、万事定まらず、損失や災いをなす。食が定まると、気もおのずから鎮静し、心が治まる。心が不動であれば、災いを生じることがない。


・収入が定まっているものは、三度の食事も定まる。収入が定まらないものは、食も定まらない。ゆえに、収入を定めようとするなら、まず、三度の食を定めるべきである。しかも、高い収入を得ようとするならば、少食に定めるべきである。たとえ、衣食住の定まらない相であっても、3年間食を慎み、人徳を積むなら、仕事は自然に授かるものである。


⑧肉体労働者は大食しても良い

・肉体労働者は、一見、自分のために働いているようであるが、実はそうではなく、世のため、人のために、菩薩の働きを働いているのである。ゆえに、自分の分以上に大食しなければ、その働きをすることができない。だから、その働きの強弱にしたがって、食の大小を定めるべきである。そのように食をつつしむ肉体労働者は、やがて立身出世する。


⑨乱心(精神病)の相があっても、常に食を正しく定めていれば、乱心は起こらない。

しかし、乱心の相があるうえに、食を定めなくみだりに食べるものは、必ず乱心を生じ、低次元の霊がつきやすくなる。そういう場合は、日に3度の食事以外は何も与えず、これを100日続ければ憑きは落ちる。数年間にわたってそういう状態のものは、3年間このような食事法を続ければ自然と治る。これは、食事を厳格に定めることで、精神が正しくなり、肝気が治まるために治るのである。


⑩人格は、飲食のつつしみによって決まる

人が貴く上品になるのも、人格が卑しくなるのも、皆、飲食のつつしみによる。名僧と言われる人が貴いのも、つつしみ深く小食にして、食べたいだけ食べるということをしないからである。たとえ、博学の出家僧といっても、食を慎まずに食べたい放題だと、この人を尊敬しようという気にはならない。


⑪酒肉を多く食べて太っているものは、生涯出世栄達なし

・酒肉をたくさん食べるものは、太っているようにみえるけれども、実はそうではなく、酒肉のために血の量が増し、心気がゆるんでいるために太っているように見えるだけである。心気がゆるんでいるもので、出世栄達したものはいない。


・大食した後は、気が重くなって眠くなる。目覚めた時も体がだるく、頭が重い。これらはみな、心気が緩んで全身の肉が締まらなくなるからである。よって、身のほど以上の大食をするものは、生涯良い仕事はできない。


⑫高齢者の肉食は害が少ない

・かなりの高齢になれば、体力が衰えるので肉食でそれを補っても害はないが、節度をもつことが大事である。


・都会では美食や肉食が多く、動物を殺してその肉を食べる。そのため、意識が高慢になり、悪心が生じる。常に粗食に耐えるものは、万事控えめで、悪心が生じることがない。


・鳥や魚も食物であるが、命を奪って食べるのだから、その報いを受けて、長命を短命に変える。




「神への祈りをかなえる法」として水野南北が教えている方法があります。


真心を込めて祈らなければ、神は感知してくれない。真心をもって祈るとは、自分の命を神に献じることである。そして、食は、自分の命を養う基本である。これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。


どうするかというと、いつもご飯を三膳食べる人なら、2膳だけにしておいて、1膳を神に献じる。といっても、本当に1膳分を神棚にお供えする必要はなく、心の中で念じれば良い。自分が祈りをささげたい神仏を思い浮かべて、『三膳のうち、一膳を捧げ奉ります』という。そして、自分で2膳食べると、その一膳は神が受け取ってくれる。


それを、自分の十分に食べて、そのうえで神仏に上等な食を献じても、神仏は喜ばれない。自分が我慢して献じる。その真心を受けてくれるからである。


菓子でもおかずでもなんでも、3つ食べたいときは2つにしておいて、我慢した一つを神に捧げる。食べるときいつでもそうするのである。


そうすれば、どんな願い事でもかなえられる。小さな願い事なら一年で、普通の願い事なら3年、大望は、10年で、叶うのである」


「自分の食分をけずって、生あるものに施すことは、大きな陰徳で心がこもっている。別のものを用意して施したのでは罪になってしまう。自分の食分を施すことが、本当の陰徳である。そういう人は、自分で特に祈らなくても、神が守ってくれる。また、そうやって食を慎むことで、おなかの中は楽であるし、気持ちもすっきりしている。病気にかかる心配はないし、災難に遭うこともない。


そんなふうにして、3度の食事を慎むならば、1日に米一合分の陰徳を積んだことになり、1年経てば3斗6升、10年で3石6斗になる。それだけ自分の天の扶持をのばしているわけで、それを足代として立身出世ができる。ひたすら自分から徳をのばさないと、天から福徳がまわってくることはない」


これを実行していたのが徳川家康です。




家康は、毎日麦飯ばかり食べていました。ある時、家臣の一人が、喜んでもらえるかと思って、下に白米を入れ、上に麦飯をほんの少しばかりかぶせて差し出しました。ところが大違いで、家康は一目で見破ると、不機嫌になり、自分の心が分かっていないと嘆きました。


「わしが単なる倹約で麦飯を食べていると思うのか。今は毎月のように戦がある。戦場に行っている者たちは、安心して寝食すらできないというのに、、どうしてわしだけ贅沢できよう。わしが先頭に立って倹約すれば、いささかなりと戦費の役に立つと同時に、下々のものをいたわることになるのだ」


徳川吉宗の父、紀州大納言光貞は、常に吉宗にこう言い聞かせていたそうです。

「自分が御馳走を腹いっぱい食べて、ぬくぬくとした上等のあたたかい衣装にくるまっているようではダメだ。まず自分から節約して、一飯でも多く家来に分けてやる。着物も一枚でも多く着せてやる、というようにしなければならない。自分が腹いっぱいに食べたいと願うのならば、家来のもの全員にまず施し、それから国に、それから天下に施すように考えよ」


吉宗は、食に限らず、着るものも質素にしていました。衣服の色は黒、裏は茶と決めており、冬の寒い日でも襦袢は着ず、下重ねは2枚にしていたそうです。

吉宗の時代に、幕府の財政は奇跡的に持ち直し、彼が将軍職を引退する前年には、幕府の総石高と収納高が江戸時代を通じて一位になるという快挙を成し遂げました。


今の政治家は、どういう食事をなさっているのでしょうね?

読んでいただいてありがとうございました♡