スガシカオ牛丼伝説
牛丼が飽きるくらい食べたくて食べたくて、学生時代に24時間の牛丼チェーン店でアルバイトをした。
深夜のバイトはきつかったが時給もよく、勤務中に2杯の牛丼を食べてもよかった。
金のないおれは、夜23時~翌朝8時のシフトで週3以上は働いた。
そして、週に6~7杯の牛丼を食べた。
1年くらいしてノーマルの牛丼に飽きると、すき焼き丼やおしんこ丼、納豆牛丼、味噌汁かけ牛丼など、勝手に独自の料理を次々と試したりもした。
それほどまで、牛丼が好きだったのだ。
おれは店で出す牛丼の作り方にも徹底的にこだわった。
より沢山の人に、最高の牛丼を食べてほしかったからだ。
飯を炊くときはもちろん日本酒を足した。
米の状態を見て、水の量やとぎ方もその都度変えた。
調理用鍋の温度も厳重に管理し、温度計を使って95度前後での煮肉調理を徹底した。
肉を投入した時に温度が90度を下回ると、肉汁が流出しタレが濁って脂分の分離が悪くなる。
タレの量・濃さ・辛さ・甘さ、玉ねぎを入れるタイミング(玉ねぎに脂分を吸い込ませないための工夫)、アク抜き・・・自慢ではないが、マニュアルを超えるこだわりで牛丼を作った。
そんなある夏の日、いつにも増して忙しかった日があった。
肉を鍋に入れても入れても、すぐになくなる程の忙しさだった。
通常400食の煮肉を超えると鍋のなかにカス(肉や玉ねぎの不純物)が発生し、ナイロン製の布でそのカスをろ過し、鍋内のタレの濁りをとる必要があった。
しかしその日は、あまりにも客足が絶えず、鍋の火を止めることが一向にできない。
おれはタレの濁りが気になり、イライラして仕事が雑になっていた。
そうこうするうちに、今度は白飯がなくなってきた。
時間的には、事前に炊き上げて蒸らしているはずの飯炊き釜に、ホクホクの白飯が出来上がっているはずだった。
おれはこだわりを持って飯を炊いていたので、出来上がりには絶対の自信があった。
誤解を恐れずに言ってしまえば、店長よりもおれの飯と煮肉の方が断然にうまいと言えるほどだった。
客足が一瞬途切れたのを見計らって、おれは飯炊き釜のエリアに、飯をかき混ぜる専用の大しゃもじを持って走り、釜の蓋をがばっとあけた。
そこには・・・・・
水にひたひたと沈んだ
炊けていない米が
静かに眠っていた。
おれは
火を
つけ忘れたのだ。
おれがどんなに有能な牛丼作りの匠であっても、火をつけずに米は炊けない。
完全に、おれのミスである。
忙しさにイラついて仕事が雑になってしまい、火がついているかの確認を怠ったのだろう。
すぐに応急処置で、新米バイトがコンビニに白飯を買いに走ったが、焼け石に水だった。
ほどなく、白飯は底を尽いてしまった。
来る客、来る客に
「ただ今、ご飯を切らせております」と謝った。
ブチ切れして、カウンターを蹴り倒していく客が続出した。
おれは、とんでもないことをしてしまった。
少しでも客をガッカリさせないように、おれは店の看板の照明を全て消灯した。
それでも、次の飯が炊きあがるまでの小1時間に、多くの客が訪れ、そして激怒して去っていった。
おれは結局そのことを悔い、長く務め店長代理にまでなったキャリアを捨て、店を辞めることにした。
店を辞める日、おれはその日に着用した店のロゴ入りT-シャツを、カバンの中にそっとくすねて家に帰った。
もちろん犯罪行為である。
軽い窃盗だ。
でも、おれには、2年間死ぬ気でやってきた牛丼づくりの、形ある思い出がどうしても欲しかったのだ。
タイムカードや給料明細ではない、おれの汗と血と店の独特の匂いがしみ込んだ勲章が、どうしても欲しかった、
あの日、店に不利益を与えたばかりか、最後は窃盗行為までしたおれを許してもらえるなら、どうか許してほしい。
おれにはこんなことを言う資格もないが、おれは今もあの時以上に牛丼を愛している。
そう・・・だから、おれは牛丼Masterとして、この先も一生、牛丼を食べ続けるだろう。
あの日、おれが客に出せなかった牛丼を、一生追いかけ続けるように・・・・。