2013年が、


どんな年だったか


どんな風に過ごした時だったか


忘れないうちに


記録しておこうと思います。





2013年は


生まれて、はじめて


あからさまに前進できた年だった。


今までも、ずっと同じくらい頑張ってきたけど


ちょっとしたことで、無かったことなってしまうような結果しか出せなかった


たとえば誰かの気分で


簡単に振り出しに戻ってしまう程度にしか、進めなかった


マリオ的に言うと


1面から先に行けなかった。


1-4まで頑張って進んでも


1面に居るうちは


ちょっとしたことで、あっさりと1-1に戻ってしまう


2面に行けば


何かミスがあっても、また2-1から始まる



1面には戻らない


クリアした1-1・1-2・1-3・1‐4は


もう二度と、なかったことに、ならない。


けど一面にいるうちは


簡単に、全部なかったことになってしまう


それはとても虚しいことで


私の23年間は、そんなことの繰り返しだった。




2013年


私は、はじめて


次の面に行くことが出来た。



そのことが


とても嬉しかったし、ホッとした





2013年は


とことん、やりちぎったし


沢山、ぶちかました。




11月8日の記者会見以降は


本当に


ただただ夢を叶え続けるだけの生活になって


毎日色んな気持ちになったけど


常に思うのは


こわい


だった。



下田美咲(というプロジェクト)に関することは


すべて私が


提案・判断をする係となっている


私以外に


ああだこうだ言う人は存在しなくて


私の「こうしたい」「それはヤダ」だけが絶対のものになっている


全てのスタッフは


私の出した結論に対して動く、加勢する、と言うスタンスで存在している



それは私が


聞く耳を持たない性格だから、とかそういうことではなく

(そういう性格では無い)


今の状況を作り上げたのが


私ひとりのアイディアとやり方だから


途中から、誰もそこには入れないのだと思う


YouTubeは何から何まで私が作っているもので


それがテレビ出演の流れを作ったし


宣伝カーもそう、カーニバルというイベントもそう


0から100まで私が考えてやり始めたことで


スタッフと会議して、意見出し合って、やったことではないから


そしてその結果として


今の状況があるから



下田美咲、というのは


今や個人名というより


プロジェクト名だと、私は思うことの方が多いけれど


その下田美咲がどうあればいいか、どんな選択をすることが正解かを考えられる係の人は


私しか、いない




これで合っているのだろうか


これで大丈夫なのだろうか


わからなくなってることはないだろうか


見失ってることは、ないだろうか


大切なものを、私はちゃんと大切に出来ているのだろうか




誰にも審査されない立場は


とても自由で


すごくコワイと、知った






私の2013年は


空中でクラッカーを撃ってる瞬間から始まった


(タカピーとスナと、その仲間たちに


1月1日になる数秒前から胴上げしてもらって


0時になった瞬間にクラッカーパンして


あけおめー!だった)





3月に


YouTubeでの活動が口コミで広がった結果として


「今夜くらべてみました」の出演があり


そこから、流れが変わり始めた





4月から7月にかけて


親友のクーナーが


ピースボートで世界一周の旅に出て


三ヶ月で、人は世界を一周することが出来るんだなぁ


と思った。


世界を一周する中で


感じることは、沢山あるだろうし


感じた分だけ、変化するだろうから


クーナーは、ここからの三ヶ月


毎日毎日どんどん更新されていくのだろう


時間に比例してバージョンアップしていくのだろう



私は、日々を、そんな風に過ごせているのだろうか


ここからの三ヶ月で、どのくらい変化するのだろう


船で世界一周している人と同じくらいのスピードで、人生を動かしていきたいなぁ


毎日、着実に


昨日までとは違う景色へ、見たことのない場所まで


行けるようにしたいな


と思った



それで4月から三ヶ月間


月の終わりに


【今月の進捗】を全部かき出して


数えてみることにした


仕事のことでも、プライベートのことでも


何か新しい出来事があったら


どんな番組に出た、とか、オファーがあったとか


車を改造したとか、こんな遊びをした、誰に何を伝えた、誰との関係がどなった、とか


それによって自分がアップデートされたような出来事が


一カ月にどのくらいあったのか。


4月はそれが19個


5月は60個


6月は59個あった。



三ヶ月で世界一周するくらいのスピード感で


変化できてる、と思った





下田美咲宣伝カーを自作し、


日々それで移動していたことで、


たまたま道路で居合わせた(らしい)ロンドンハーツのスタッフ様の目にとまり


「下田美咲って何だ?」となり


ロンドンハーツの出演が決まった。



ロンドンハーツに出演したことで


2万人のシモリアンに出会うことが出来て


私の夢は


俄然、叶いやすくなった



下田美咲、ってだけで


色んなことが出来るようになった


あれもこれも、作れるようになった




車を作らなかったら


今頃、どんな日々を過ごしていたのだろう


全然違っただろうと思う




ロンドンハーツのスタッフ様から


「とりあえず会ってみたい」とご連絡を頂き


会ってお話をした時


「君は、どうしてテレビに出るの?どうして出たいの?」


と訊かれた



私は


「シモリアンに出会いたいからです」


「今はまだシモリアンでない、潜在シモリアンが、私は沢山いると思ってる


その人たちに出会いきりたい


だから


多くの人に目の触れる場所に登場して


私はここに居るよ!ってやりたい。


テレビ出演は、そういうことだと考えてる。


そうして全てのシモリアンを発掘できたら


もっと大がかりに、面白いことが出来るし


もっと普通に楽しい国を作れると思ってる」


と答えた




3月の「今夜くらべてみました」から


今日まで


私がメディアに参上する理由は


常に、それで


(あ、でもアウトデラックスは違う


あれはゴールデンボンバーさん宛のビデオレター)



いくらテレビに出られても、


そのことで、シモリアンに出会えなきゃ意味が無いから


それを軸に


すること、しないことの、判断をしてきた。





2013年は


「私は、ここにいるよ!」を


沢山出来たおかげで


沢山のシモリアンに出会えた



そのおかげで


イベントが出来るようになって


直接、会うことも出来た。






夢は


それを「叶えてあげたい」と思われた時に


叶うものなのだと知った




今年、私は


本当に沢山の夢が叶ったけれど


どの夢にも、叶えてくれた人が存在している




一番載りたかった雑誌であるメンズナックル


渋谷系のメンズ誌で


普通に考えたら


女だし渋谷系でもない私とは


全然縁の無い媒体なのに


出ることができて、まさかの連載まで出来ることになったのは


直孝さんが、倉科さんが


出す、ことにしてくれたからだし


連載する、ことにしてくれたからで。



バースデーソングが作れたことも


ウエディングソングが作れたことも、そう


ミサキ式スタッフのYさんが


そして宮下さんが


私の語った夢を


叶えようとしてくれたから、叶った。



どの出演に関しても、そう


どの商品に関しても、そう



どの打ち合わせでも、


私が話したことは、私の夢についてで


こう生きていきたい


こんな状態を作りたい


だから、こういう風にやりたいし、こういう風にしか、やりたくない




それをヨシとしてくれた人のおかげで


それを叶えようとしてくれた人のおかげで


私の夢は、叶った





2013年


夢は


叶えてもらうものなのだと


知った




どんなに頑張っても、行動を起こしても


叶えようとしてくれる人に出会えなきゃ叶わない



だから


夢は、


人から好かれた分だけ、愛された分だけ、叶う


と思うし




2013年


私の夢を叶えてくれた皆


本当にありがとう。


これを読んでくれてる人(シモリアン)は、もれなくそこに含まれるよ。



皆の、ひとりひとりのそのアクセスが


下田美咲が持つ数字となり


それが需要と評価され


私の夢は、断然叶いやすくなった。






2013年は


本当に、良い年だった



たとえば今、一年前にワープしちゃって


「今回と同じ2013年を過ごしたいなら、1000万(とか一億)になります。」


とか売りつけられたとしたら


迷わず借金して買う


そのくらい、絶対にコレが良い、コレじゃなきゃ嫌な


かけがえのない一年だった




何もかも


今年もそばに居てくれた人たちと


今年に出会えた人たちのおかげ、すぎて


私は、いくら払ってでも


どうしても、あなたたちとの2013年を過ごしたい






「今夜くらべてみました」に出演したことで


「ライ縦ライ横ライ下田美咲」のフレーズが生まれ


合コンアワード2013で


飲みのコール賞を受賞したことで


コール日本一の人となり


「コールの人」と言われるようになった



どれも始まりは、


このブログに載せた私のアドレスに届く一通のメールだった


そして


ズームインサタデーに出演し


アウトデッラクスに出演して炎上し


ロンドンハーツに出演してプチブレイクし


ワケありレッドゾーンに出演したことが来年の美咲本二冊出版のキッカケとなり


AKB小兎道場に出演したことで、コールコンシェルジュとして開眼し


NexTに出演したことで、かけがえのないチーム下田美咲に出会い


サンジャポで、下田美咲という存在が、まさかの今週1位のニュースになったこと、

スッキリ!で、自分にとって当然のこと(ただの生きざま)がクイズになったことで、

自分を見直し


ゴッドタンに出演したことで「きっと私は生きるドキュメンタリー」という自覚を持ち


ポニーキャニオンからメジャーデビューし


よしもとからのDVD発売が決定した





六年半続いたニート生活に終止符を打ち


「株式会社ミサキ式」の会長兼社長に就任した




春に車を作り


夏に車にのぼり


秋に車を壊した

(下田美咲宣伝カーとしては破壊しただけで車自体は壊して無いよ!元の普通の車に戻したよ)




せあらーずを脱退し、NoRAを結成した





どうなりたいのか


何を目指しているのか


最終目標は?


よく訊かれる




生まれてきて良かった


と思ってみたい



生まれてきて良かったー!!!!


と叫びたくなるほど思って


うんでくれて、ありがとう!


って親に言いたい




私にとって


夢の大元は、それで


今年もそれは叶わなかったけど


後もう少しで言えそうな気がする



はじめて思った年だった




自分が、どんな商品なのか


解ったような気がした年だった


テレビ業界の人の目に、私が、どんな存在として映っているのか



シモリアンにとって


私が、どんな存在なのか


皆が、声に出したり文字にしてくれた言葉によって知れて


ますますそこに特化した存在になりたいと思った


嫌われても、そのことは別に今後に反映させないが


好かれたところは強化していきたい。とことん。




スゴイと思う大人たちが


続々とシモリアンになってくれて


そのことが私の勇気となった


こんなカッコイイ仕事をする人たちに


支持されるのが私なら、好かれるのが私なら


もっと自分のことを信じよう、と思えた




私は今の自分を


スターマリオ状態だなぁ、と思ってる


無敵で進めるチャンスタイム


始まった瞬間から


あの焦らす音楽が聴こえてるし、終わりも見えてる


星の力が効いているうちに


2面をクリアして、3面に行かなくちゃ、やばい


と思ってる




2013年も、沢山の思い出を作れた


遊んだ。


超ー遊んだ!!


本気の手作りバレンタイン


タケノコ掘り


シイタケ狩り


船お見送り


七夕祭り、皆で短冊


流しそうめん


船お迎え


魚掴み取り


ガチ仮装ハロウィン


クリスマスでプレゼント交換ぐるぐる


ハンバーガー作りもしたし、ピクニックもしたし


初体験たくさんした!




ほしい!


と思っていた思い出を


とことん作れたので大満足




お仕事でも


仙台、大阪、福岡、大阪、名古屋、茨城


豪邸、廃墟、滝行、樹海


色々行けたし




下田美咲プロジェクトでは


色々なものを制作した


SMDP100万回突破記念では


自宅に金の屏風を特設したり


特大くす玉つくって、めで鯛を5000匹つめたり


下田家唯一の車を改造して下田美咲宣伝カーも作ったし


記者会見ではウエディングケーキも自作したし


全身ケーキの制作も楽しかったし


うん、大満足(^-^)





上半期と下半期では


まったく生活が変わったけど


どっちも、スーパー楽しかったなぁ




女体も、別に持ち腐れ無かったと思います。





嫌なことは一つもしなかったし


会いたい人にだけ会って


好きな人たちと、好きなことだけしてるうちに


一年が過ぎたよ。




振り返ってみると


今年、私が大切にしていたことは


そのことで私が笑えるか、ということと


私の企画に参加してくれた人たちが楽しそうか、ということ


それだけでした。


それだけは絶対だった


私が笑えないことは、する意義が無いと思ったし


下田美咲プロジェクトの現場で


私が見ていたこと、気にしていたこと、


下田美咲現場は絶対こうじゃなきゃダメなんだ、と


自分に対して課していた唯一の縛りは


スタッフさんが楽しそうか、出演者さんが楽しそうか


その日、その場に居る人が、みんな笑ってるか


そこのみでした。




動画撮影も


テレビの収録も


レコーディングも


DVDの撮影も編集も


本の執筆も


雑誌の撮影も


インタビューも


ミーティングも


下田美咲タイトルの、全ては


参加者全員にとって


楽しいものであってほしい


笑える時間であってほしい


そうじゃないと、下田美咲プロジェクトは続かないように思う




褒め言葉では


可愛い、が一番嬉しいし


感想では


楽しい、が一番嬉しい




自分と過ごした相手が


その時間のことを


楽しいと感じてくれたことほど


安心する事実は無い、と思う


楽しい、と言われると、ホッとする


良かった、と思う



(狙って楽しませられるものでもないから


相性だと考えてるし、偶然の産物だと思うし


楽しんでもらえたことに関しては


運が良かった的なことだと思ってる)





うーん。




書けば書くほど


2013年を


記録するのは


難しいことだなぁと思う


色々ありすぎたから、途方もない作業だ......(^-^)


出来事の量も感じたことの量も、ありすぎる。






いつまで、こんな生活が続くんだろう


って


途方に暮れたことは


これまで数え切れないほど、あったけど




ずっと、こんな日々が続いてほしい


って


はじめて思った




そのために、今、何を、どうしたらいい?


って考える毎日だった





準備をやりちぎって


本番をぶちかます




ウォルト・ディズニーのような


徹底的な仕事をして


マイケル・ジャクソンのような


制限のない存在になる




ずっと


下田美咲プロジェクトが続くように


2013年


私が、私を含むチーム下田美咲に課したこと。





2013年は


日本に、下田美咲を参上させた年だった。



2014年は


下田美咲で、日本を震撼させたい


と思っています。




今までは


失うものがないから


こわくなかったし、行動出来ていた部分が


かなりある



2013年、


手に入れた分だけ


失う可能性のあるものを抱えてる状態となったけど


今の私には


私のことを好きな皆がくれた勇気があるから


自信なんか、少しも無いけど


ここからも美咲イズムを貫けそうです。





これだけ書いても


全然2013年について記録できた気がしない.....


無理だ。。。。笑






みんな。


2013年は、どんな年だった?


楽しかった?


私に出会えて、よかった?(^-^)←




会いに来てくれて、ありがとう


そばに居てくれて、ありがとう


美咲のためなら、って思ってくれて、ありがとう





2013年は


24年間生きてきて


嬉しくて流した涙の量が


一番多かった年でした


私のことを、喜ばそうとしてくれて、ありがとう





ということで


これを読んでいる皆に共通して言えること




みんな。


2013年


生き抜いたね!!


おつかれさまんぼー!!!




年越し、楽しむように。