松島剛蔵 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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長崎伝習生の一人。後、航海術を修め三田尻にあった長州藩海軍総督、丙辰丸艦長、庚申丸艦長を務める。元治元年(1864)禁門の変後 藩政権を手中にした俗論派により同年12月19日、萩野山獄に斬られた。亦介・剛蔵を含む7名の政務員助命嘆願に奇兵隊総管であった赤根武人は必死の折衝を行っていた。甲子殉難十一烈士の一人として萩、黄檗宗東光寺に祀らられている。

高杉晋作による功山寺決起により処刑された。攘夷派で下関海峡の外国艦船を砲撃した。享年40才。墓、萩市東光寺。楫取素彦の兄

下関、長府の功山寺で決起した高杉晋作は、ここ三田尻の海軍局から同志の乗組員と軍艦3隻を萩に向かわせ、俗論派を威嚇した。俗論派の軍勢の引き留めと松島らの処刑阻止が目的であったであろうことは容易に理解できる。

参考

三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地で、藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われた。