もう一つの高天原、北九州市八幡 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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響灘の南海岸、若松半島に隠された洞海湾の南岸、皿倉山、帆柱山の麓に秦氏由来の神社群がある。朝鮮半島、対馬、沖の島を渡って来た秦氏は、一方は下関の北浦海岸沿いの鬼ケ城山、もう一方は北九州の洞海湾内の皿倉山、帆柱山を目指した。


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北九州市の八幡(やはた)を中心に、鷹羽を神紋とする「鷹見神社群」が在る。八幡西区、穴生の鷹見神社、八幡南域、権現山の西麓、市瀬の鷹見神社。折尾、南鷹見町の鷹見神社、則松の高見神社、永犬丸の鷹見神社、そして水巻町、猪熊の鷹見神社、八幡東区高見の高見神社などがある。祭神は異なっても、皆、山に食い込む本殿を持ち、秦氏系の神社であること物語っている。


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背後に皿倉山、帆柱山がある麓のこの辺りがやはり高天原の一つであろう。


あるブログによると『「鷹羽」の神紋を掲げる神社群が、この域に密集し、鷹の巣や鷹取、鷹栖、鷹居など多くの鷹地名を散在させ、「鷹」の神祇が九州北半域を縦断する。その「鷹」地名が秦氏の住地であり、秦氏が拘わる鉱山や精錬に纏わるものとも。また、鷹見神社群の南域は、畑(はた)地名である。』と言われている。南東、周防灘沿いの豊前国の秦氏の地域につながる。


洞海湾南岸のこの辺りを含め響灘は、神功皇后、仲哀天皇を案内した岡の県主の祖・熊鰐の縄張りであった。熊鰐自身が秦氏系の海人、安曇氏であり、響灘の北浦海岸を神功皇后に譲り住吉海人族、宗像海人族に再分配し、三韓征伐を勝利に導いて秦氏の渡来を実現していく。響灘の西方の玄海灘との境が宗像氏の根拠地である。当時、住吉氏、宗像氏と仲良く漁業権や境界の争いは無かったのは、同族の秦氏の渡来の為に安曇氏が我慢したのであろう。

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赤マルは高天原(右上、梅ケ峠、左下、北九州市八幡)の場所を示す。アララト山に相当する鬼ケ城山は梅ケ峠の東、皿倉山と帆柱山は北九州市八幡の南である。

隋書東夷伝で言う秦王国は竹斯国の東にあるとは、北九州市八幡の方は若松半島に遮られ見えないが、正に進行方向にある二つを一括りに説明したと考えても差し支えない。

現在、八幡地域の熊鰐にゆかりの神社のほかに、戸畑、小倉でも秦氏に所縁があると云われる京都の八坂神社の祇園祭りを取り入れたお祭りを行っている。


参考


1 高天原の一つである下関、梅ケ峠


2 鷹見神社


福岡県北九州市八幡西区穴生2丁目13-6


穴生鷹見本宮由緒

【祭神】
主神 伊弉冉大神(熊野那智宮)、素戔鳴大神(熊野本宮)、早玉之男大神(熊野新宮) 、熊野三座十二社十四神

末社
貴船神社、五社神社、赤池神社、菅原神社、恵美須神社、御年神社、諏訪神社、生目八幡神社 

【創立年代】
仲哀天皇八年


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【由来】

神功皇后征西の折帆柱山にて戦勝を祈り、山上九合目に熊野神を祀り高見ノ宮と稱せられる。文武天皇慶雲二年役行者小角五穀成就を祈り祭祀を再興、高見大権現と稱す 。建久年中宇都宮氏(改麻生)花ノ尾山に城を築き高見宮を遠賀郡四十三ヶ村の総氏神となし近官波多野家倶を遠賀郡総大宮司職、高見大権現社職惣司となす。麻生氏在城の間歴代祭祀を重んず天文二十年大内義隆深く当社を尊び秘蔵の宝玉「夜光の玉」を寄進す。帆柱山より穴生諏訪山に移転鎮座ありし高見宮を黒田長政古屋敷に再建、元禄十三年黒田綱政穴生汐干潟開墾にあたり土工安全祈願成就し新田五反を寄進、宝永五年綱政の命に依り当地に遷宮鎮座す。往古春秋の大祭には郡中社家社僧奉仕し神楽・流鏑馬・大相撲を興行し神輿を一ノ宮勧請宮(現在の市ノ瀬鷹見神社)より出し遠賀郡村々の参拝者列をなし百二十膳の饗膳ありて翌日まで行われる郡中第一の盛大な神事あり。分社を創立したもの十余社、当社を本宮と稱す。寛文年中より鷹見と改められる。穴生鷹見神社奉賛會


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本殿背後が山に食い込む、秦氏系神社


3 神武天皇の伝説

八幡には神功皇后伝説と同時に神武天皇に関る神社があり、一宮神社がそうであるが創建は秦氏と思われる。

一宮神社、北九州市八幡西区山寺町
神武天皇の磐境神籬が現存していた岡田の宮跡
祭神:天忍穂耳命、神武天皇、大歳神、事代主命、建御名方神、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇

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本殿が山に食い込む形式で、秦氏が創建したと思われる。

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岡田の宮の跡、神武天皇を祀る磐境、神籬


4 初代天皇伝説

ここ北九州市八幡地域は初代天皇である神武天皇の岡田の宮の逗留伝説があるのに対し、吉母、梅ケ峠地域には実質初代天皇の応神天皇の誕生伝説がある。二つの高天原を象徴する伝説であろう。


5 響灘の藍島

渡海途中に亡くなった人を葬ったと思われる古墳群がある。