長谷寺、秦氏が創建 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

真言宗豊山派総本山 長谷寺
奈良県桜井市初瀬
本尊 十一面観世音菩薩

{3E5E5CAD-5C9A-43C1-A35A-8AEE056DEE25:01}

長谷寺のホームページの文に『本堂も本尊も大きい。そこまでの長い登廊を行く。山を背にした谷間に広がり、西国札所でも大寺の一つ。ゆるやかな石段沿いに白壁の築地塀が延びる。ボタンの花の名所として有名だが、他にも多彩な花々が美しい寺を飾る。長谷観音と花の寺である。』とあるように、長い登廊と山を背にした谷間を特徴と説明している。

{90ADF701-8E12-45FC-A21B-DA4F9E6EC6E5:01}
長い登廊を登りきった上がオタマジャクシ(八尺瓊勾玉)の様な境内に本堂が山を背にして建っている。

長谷(ハセ)寺は長谷(ナガタニ)を信仰する寺ではあるまいか!京都の松尾大社の境内がそうであるが、エルサレムの嘆きの壁を信仰しているように思えてならない。さらに、長い参道が高千穂のクシフル峰を象徴している。これは山口県下関市の北浦海岸沿いの八幡神社と同じで、正に渡来系氏族の秦氏の寺と推測出来る。

つまり、十一面観世音菩薩を信仰することは、すなわち長谷(ナガタニ)を信仰することと同じであり、長谷(ハセ)は秦(ハタ)の転訛であった。




鎌倉の長谷寺も『当山は、観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、、』となっている。さらに長野の長谷寺も同じ様式の境内を持って建っている。

長谷寺が秦氏の寺と指摘する他の報告では、長谷寺14ヶ寺以上について指摘している。

秦氏の神社の見本とされる木嶋神社と同じ特徴である崖(ホムタ)、オタマジャクシを持っている。