亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ | 涙のあとに

亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~


こんばんは。


みなさんは、宜保愛子さんという霊能者を

ご存知でしょうか?

私と同じ世代の方は、知っている人も多いかと思います。

(フリー百科事典『ウィキペディア』より 宜保愛子


過去に私はその宜保愛子さんに霊視をして頂いた事が

あります。


今日は、その時の話ですので、

霊とかに興味のない方は、スルーしてください。m(u_u)m


宜保愛子さんは、胃がんにより 

2003年5月6日に死去されています。


私がお会いしたのは、子供たちが亡くなって

約3ヶ月後の2002年3月でした。


正直、私も「霊能者」という未知の人の存在は半信半疑でした。

しかし、宜保さんに言われた言葉で、

「本当に視えるんだ」と実感する事になります。



ちなみに他で聞いた話ですが、子供が幼くして亡くなった場合でも

ちゃんと会話はできるそうです。

よくTVなどで、赤ちゃんの霊視で、

「言葉の話せない赤ちゃんが何であんな大人びた事を

言うんだろう」と疑問に思った方もいらっしゃると思います。

例え赤ちゃんであっても、

未熟がゆえに言葉を話せない、うまく表現できないだけで、

生まれた時から、どんな小さな子であっても、

性格や考え、思いはあるそうです。

霊能者の方は、それを聞いて言葉にしているそうです。



これからお話するのは、全て本当の話です。


話が長くなってしまうので、端折ってお話させて頂きます。

ご了承ください。


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宜保さんと向かい合い霊視が始まりました。


始まるなり、宜保さんは

「貴女は、とても物分りのいいお子さんをお持ちでしたよね。

特に上のお子さんは貴女の事をすごく考えていた。

とにかくお母さんを大事に考えたお子さんでしたよ。

それ、貴女よくわかるでしょう?」と言いました。


そして、

「今、いらっしゃってるんですよ。娘さん、貴女の右側に…。」と。

まぁ は、私の側にいました。


(側にいてくれた事が嬉しくて嬉しくて涙が溢れました)


最期の時の事ですが、

宜保さんは「最期の瞬間、お子さんはママ~ママ~って

貴女の事を想って亡くなってますよ。」と…。


そして、まぁ は、私の体を心配しているようで、

「ママは胃と腸が悪いから、胃が悪くなるとここが痛くなるんだよ。」

と、私の右側の背中を一生懸命さすっていたそうです。


確かに昔から右側の背中が、苦しいぐらいに

痛くなる事がありましたが、ダンナにも話した事はないし、

ただ、凝りで痛いものだと思っていました。


それを、まぁ が心配していると…。


そして まぁ は、こう言いました。

「今度痛くなったら私の名前を声に出して呼んで。

そしたら私が助けてあげるから。」と。



それから、お菓子の催促もありました。

宜保さんは、そのお菓子自体を知らなかったようで

なんだかわかるまでに、だいぶ時間がかかりました。

宜保さんは、「貴方、あげたことなぁい?

ママが買ってくれたって言ってるわよ?」と言われ

結果、まぁ が欲しがったのは

「ヤンヤンつけぼー」というお菓子。

(棒状のビスケットにチョコやスプレーをつけて食べるお菓子)

それを、たまに仏壇に供えて欲しいという事でした。



あと、私が「この人、本物だ。本当に視えてるんだ。」と

思った事です。


まぁ は「悔しい。」と言っていたそうです。

何が悔しいかと言うと、

もちろん短い寿命で死んでしまった事も悔しいんですが、

「何より、ママにおうちを買ってあげられなかった事が悔しい。」

と、言ったそうです。

その時点では、「へぇ~。」と言う感じだったんですが、


宜保さんがゆっくり話しました。


「今、私に言うんですよ。

ママにね、おうちを買ってあげようと思ったって。

“ママ、小さいおうちでも私が一生懸命働いておうちを買ってあげるよ”

ママにそう言った事があるって。

そうですよね?

こんなに小さいのにねぇ…

そこまで考えてさぁ、

それでみんなで一緒に暮らそうよってね

そう言うふうに思ったんですよ。…」

と言われ…。

…思い出したんです。


そう、そうだ…。言ってた…。

「まぁ が大きくなったら、ママにおうちを買ってあげるっ。」

って、言われた事…あった・・・・・・。


過去に何気ない会話の中で、確かに まぁ が私に言った言葉。

でも、家を建てるなんて親の仕事だし、

そんなに真剣に覚えてなかった…。

それを、まぁ はそこまで真剣に…。


涙が止まらなかった。


「ママにおうちを買ってあげれなかった事がすごく悔しい。」って…。

「みんなで一緒に暮らしたかった。」って…。


私が忘れてしまってた事を、まぁ はこんなにも願っていたなんて…。


胸がつぶれるくらい苦しかった。

私はもう、ただうなずく事しかできなかった。


宜保さんは、私すら忘れてしまっていた事を、

覚えていなきゃいけない大事な事を、思い出させてくれました。



そして、最後に まぁ は、

「今は落ち着いてないけど、七回忌ぐらいになったら

まぁ がママの守護霊になるよ。」と言ってくれました。


そして約束の七回忌を去年の12月に済ませ

今、考えてみると…。


きっと、まぁ は連夢の守護霊になったのだと思います。


そう思う理由は、なかなか出来なかった赤ちゃんが

7回忌を済ませた途端できたと言う事と、

あの死と隣り合わせの出産で命を救われた事を考えたら

そうとしか思えません。

(詳しくは、9月6日の記事 『亡き姉兄から弟への愛』 → コチラ



それから、一緒にお墓に行ったのですが、

(お会いした時、まだ私が建てたお墓が完成していなかったので

元ダンナの実家のお墓に行きました。)

墓地を歩いて行くと、宜保さんが立ち止まり

「下の子が、すごく呼んでる。

ママ~僕、こっちにいるよ~って呼んでる。」

「あ~、迎えに来てくれた。」と

正面の方から、走って迎えにきてくれたそうです。

もちろん私には見えませんでしたけど…。

会いに来た事をすごく喜んでくれました。



霊視を終えたあと、宜保さんに

私の体験した不思議な出来事

(交通事故を間逃れた事が何度かあったり、

子供達の後を追おうとした時、不思議な出来事がありました)

を話すと、

「それは、まぁちゃんが守ってくれたのよ。」と

おっしゃっていました。


まぁ は、しばらくの間、私の側にいて

守ってくれてたんです。


死してなお、親孝行な娘の話でした。




*おまけのお話*


私の体調を心配したまぁが

「今度痛くなったら私の名前を声に出して呼んで。

そしたら私が助けてあげるから。」と言った話を姉にしたんですが…。

お墓が完成し、子供たちの納骨式の日、

姉は朝から激しい頭痛に襲われ、「死んでしまうかも」と思うぐらい

ひどくなった時、この話を思い出し

(まぁ は姉の事をネネと呼んでいました)

「まぁ、ネネ、頭痛くて死んじゃうかもしんない。助けて。」と

声に出して言ったそうです。

ですが、特に痛みが和らぐ事はなく、悲しくなった姉は、

「なんだよ。まぁ はママだけかよっ!」と言ったら

激しかった頭痛が、フッと消えたそうです。

嘘のようなホントの話です。



記事が書け次第、次は

生まれ変わり 』というお話をさせて頂きます。

今日の記事に多少関わってきますので

今日のお話を覚えていて頂けたら幸いです。



■追記■

2010.02.21に続編をUPしました。

『白いミニーマウス~宜保愛子さんの霊視②~』URL2コチラ