春と『桜』のJポップ~願わくば花のもとにて春死なん | NUAGE (ニュアージュ) 東京日記

春と『桜』のJポップ~願わくば花のもとにて春死なん

春は、出逢いと別れの季節、トキメキと切なさが交錯しますね。

いろんな方の日記を見てたら、Jポップで春の切ない歌を取り上げてる方がいらっしゃって、僕もいろいろ聴きたくなって、youtubeで、春の歌を検索して聴いてみました。
僕は、音楽は、何でも聴く人なので、Jポップもよく聴きます。
今まで、ジャズやクラシックやロックは少しだけ取り上げてきましたが、今日はJポップで。桜と春を題材にしたJポップ特集(笑)。
曲をたくさん取り上げたし、ウンチクをいろいろ書いてしまって、いつも以上に長く、文章も多くなってますが、暇な方は読んでもらえると嬉しいです。

桜というタイトルの入った曲は、すごく多いですよね。そのどれもが、良い曲です。甲乙つけがたい。
コブクロも、ケツメイシも、河口恭悟も、森山直太郎も、FUNKY MONKEY BABYSも、そのものずばりの『桜』、あるいはひらがなの『さくら』って歌歌ってるけど、どれも良い。
宇多田ヒカルの『SAKURAドロップス』も、福山雅治の『桜坂』も、エレファントカシマシ『桜の花、舞い上がる道を』も、aiko『桜の時』も、中島美嘉の『桜色舞うころ 』『SAKURA~花霞~』、嵐『サクラ咲ケ』アンジェラ・アキ『サクラ色』とか、キリないくらい多いし、それぞれ良い曲ですよね。

春は卒業の季節でもありますね。で、桜と卒業を組み合わせた、いきものがかりの『SAKURA』を聴いてください。
僕の子供みたいになついてくれてる可愛い可愛い姪っ子が、いきものがかりを好きで、僕もその影響でたまに聴きます。十代だった頃を思い出させてくれる歌が多いですね。
この曲は、とても好きな曲です。
小田急線が出てくるけど、沿線に住んでたこともあります。この曲を聴くと、学生だった昔を思い出しますね。あの頃の恋とかもね(笑)。



学生時代は、ロクに大学に行かず、キャンパスに行っても好きな授業だけ出て、あとは喫茶店で本を読んだりウォークマンを聴いてるダメ学生だったんですけどね。

春は、出会いと別れがあり、生命が誕生する季節でもありますが、冬に古い生命が死んでしまったあとの季節でもあります。つまり、出逢いと別れがあるのと同じように、死と生が入れ替わる季節でもある。

ダメ学生だった僕ですが、一応、英文科でした。
春が、死と生の入れ替わる季節である、という意識は、洋の東西を問わずあるようで、20世紀イギリスの大詩人のT・S・エリオットの有名な詩の『荒地』に、「春は残酷な季節で」とあります。死と生が入れ替わるから残酷だというのですね。

出逢いがあり別れがあり、死と生が入れ替わる季節。
長い冬から抜け出して、オシャレして街に出たくなるし自然を見にも行きたくなる、ウキウキしたりトキメキも感じますが、なんとなく切なくなるのも当然かもしれません。
そして、部屋にじっとしていられないようなざわめく心持にもなる季節。
逢いたい誰かがいる人は、ムショウに逢いたくなるかもしれない。
僕には、そういう誰かはいませんが(涙&苦笑)。

「いますぐ君に逢いたい」と歌う高野健一の『さくら』です。



もう一曲、新曲で、ゆずの『逢いたい』。この曲は、曲中に桜の花の咲く季節というシチュエーションが出てます。



桜の花は、見事に綺麗に咲くけど、すぐに散ってしまう。そこが、出逢いと別れがあり、死と生の入れ替わる季節でもある春を象徴してもいるし、日本人の美意識にも合ってるのでしょうね。

桜の美と、死を重ね合わせたものとして、梶井基次郎の散文詩のような短編『桜の木の下には』を思い出します。桜の美しさを正視できない主人公は桜の木の下には、死体が埋められているんだと妄想する。
埋められた死体の上に立つ桜が、満開の花を咲かす。なんとも凄惨な美です。

桜は、このように死をも強く意識させる花であるというのは、日本の美意識の伝統でもあるようで、この梶井基次郎の短編のもとは、世阿弥の能の『西行桜』というのがあるそうです。この舞台は見たことないし、詳しくはないので、知ったかぶりで語るしかないのですが。
・・・西行法師の庵の庭に綺麗な桜が毎年咲きます。それを見に、多くの人が訪れる。しかし、ある年、西行は、美しさゆえに人を惹きつけるのが桜の罪だと思い、人々が桜を見に来るのを禁止します。そして一人で桜を眺めていると老桜の精が現れ、桜に罪などあるはずがない、桜はただ咲くだけのものだ、と諭します。桜に罪があるのなどと思うのも人の心だ、と老桜の精は言い、舞をまう。そうしてるうちに西行は、夢から醒めます。そうすると、老桜の精は、消えており、ただ老桜が立っているだけでした。・・・
この話に死体は出てきませんが、死をイメージするものはたくさん出てくるんだそうです。

西行法師には、有名な歌があります。
短歌は全く詳しくないですが、これは大好きな歌です。

願わくば花のもとにて春死なん あの如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃 (西行)

花は、言うまでもなく桜です。こういう短歌などで花というと桜を指します。如月は二月、望月は十五日です。
二月十五日は、お釈迦様が亡くなった日です。
無宗教な僕は、お釈迦様は関係ないけど、死のイメージとして、これはすごく好きです。死にたくはないし、死ぬつもりももちろんないけど、いつか死ぬときは、こんなふうな美学で死にたい。

西行には、もう一つ、とても好きな桜の歌があります。

春風の花を散らすと見る夢は、さめても胸のさわぐなりけり(西行)

春風が桜を散らす夢を見て、その夢からさめても、胸がさわいでいる。
わかりますね、そういう心。
仏教者であった西行ですから、調べてみると、この歌には深い意味があります。
風が花を散らすのではなく、風がなくても花は自然に散るものなんだと悟っても、それでも、散るのを見ると、やはり胸騒ぎはおさまらない、という意味が、ここにはあるのだそうです。
つまり、人はやがては絶対に死ぬんだと知って悟ったような顔をして、人や動植物の死に対してなんとも思わないのは偽りだ、桜が散るのを見て何とも思わない心はダメだ、と西行は言ってるそうなんですね。
悟りに達したら、何事にも動じない心を持つと思いがちですが、それではダメなんだと西行は言ってくれてるということらしいです。身近な人が死ねば悲しいのは当然だ、桜の美しさを知り、桜の散るのを見て胸がざわめくのは当然だと。そういういわば人間らしく、弱いようにも思える心はいけないと思うほうが、人間の愚かな計らいであると。さっきの世阿弥の能も同じことを言ってますね。美は悪ではなく、人間の自然な感情は悪ではないと。
桜の美を愛で、出逢いにトキメキ、別れと死に涙するのは、当然のことであり、良いことなのだと思います。

桜は、英語ではCherry blossomですね。
チェリーという言葉のほうを使った曲もたくさんありますね。
少し古いけど、松田聖子に、そのもずばりの『チェリー・ブロッサム』もあるし、YUIにも『CHE..R.RY』がありますね。
ここでは、懐かしい名曲を聴いてもらいますね。昔、カラオケでよく歌ったなあ。下手ですけど。

スピッツ『チェリー』



久しぶりに聴いたけど、いい曲ですね。
「"愛してる"の響きだけで 強くなれる気がしたよ」
って、わかるなぁ(笑)
「気がした」と過去形なんですよね。
「いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい」と歌われてる。
失った過去の恋なわけですね。
愛してるの響きだけで、強くなれる気は、今の僕はしないです(笑)。
愛してるは、辛かったり、嘘っぽかったり、いろんな響きがある(笑)。
このスピッツの歌は、若い恋を回想した歌なんでしょう。

チェリーという言葉には、処女性の意味が含まれてますからね。
ちょっと話が、下半身のほうに行って恐縮ですが、英語のチェリーっていうと、チェリーボーイなんて使い方で、いわゆる童貞の意味で出てくるほうが今は知ってる人が多いかもしれません。
でも、英語の俗語でcherryは、処女や処女膜を意味します。
なんでだか不思議だったんですが、処女を失った時に出る血の色がさくらんぼの色に似てるからそういうふうになったんだろうという説が語源的に有力なんだそうです。
で、そこから派生して、童貞の意味にも使われるようになったそうです。
ちなみに、あまり深入りすると下ネタ方面になってしまうのでやめますが、ホモとかも、チェリーって使われるそうですね。
だから、古い日本の歌謡曲でも、『黄色いサクランボ』ってのがあるし、大塚愛の『チューリップ』でも、若い恋を歌って、「私サクランボ」って歌われてるし。

スピッツの歌でも、「きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる」と夢想してるところも若いし。
でも、精一杯ポジティブになろうとしてるところがいいですね。

春と桜でセンチになってばかりでなく、桜を見て、感動して、ポジティブに生きたい。

こないだ、やはりマイミクさんとのやりとりの影響で、前に見た映画の『さくらん』を見ました。
映画は、そんなにたくさん見てるわけではないけど、いろんな映画を見ます。
『さくらん』は、桜が大きな意味を持つ映画。
土屋アンナさんの主演で、蜷川実花さんが監督した映画。蜷川実花さんらしく極彩色の映像が素晴らしい。女郎の、きよ葉という女性が主人公です。きよ葉は、不幸だけど、とても強い女性。僕は、とてもポジティブなメッセージを持った良い映画だと思いますが、吉原が舞台ですから、セックスシーンも出てきますし、観た人によって好き嫌いはある映画だろうと思います。
この映画では、桜は、死のイメージではなく、生のイメージで描かれる。
別れではなく出逢いのほう、出発であり再生である象徴。生命力の象徴。
咲かない桜はないんだ、すぐに散っても、毎年毎年、何度も何度も花を咲かせるのが桜。
そんな強い桜のイメージには、僕も憧れます。

そんな桜を歌った歌。やなわらばー、の、『さくら』を聴いてください。



君に出逢えたから、大切なものがわかった、やさしくなれた、桜は散っても何度でも咲いていく、つまづいても何度でも、桜色の道を歩んで行く、この道をいつまでも歩んで行くよ、と、歌ってますね。このようにポジティブでありたいものです。

そのような桜は美しい。

最後に、最初に聴いてもらった、いきものがかりからもう一曲。

いきものがかり『花は桜 君は美し』



長々失礼しました。こういうのちょっと書きたくなったもので(汗)。ここまで読んでくださった方、どうもありがとう。
ではまた。