●2009年→7週で完全流産(その後卵巣嚢腫の手術を受ける)
●2010年長女出産→34週〜切迫早産で入院(その後37週で出産。低出生体重児)
●2012年長男出産→妊娠発覚時から切迫
●2016年次男出産→30週に臍帯静脈瘤
が見つかり入院(36週で出産。その後NICU→GCUに入院)
●2017年→10週で完全流産
●2020年→只今妊娠中
●2010年長女出産→34週〜切迫早産で入院(その後37週で出産。低出生体重児)
●2012年長男出産→妊娠発覚時から切迫
●2016年次男出産→30週に臍帯静脈瘤
が見つかり入院(36週で出産。その後NICU→GCUに入院)
●2017年→10週で完全流産
●2020年→只今妊娠中
先日、突然祖母が亡くなり、妊娠後期での参列となりました。
そこで耳にしたのが、初めて聞く風習達。
亡くなったのは、母方の祖母。
91歳の誕生日を迎えて数週間経った頃でした。
家から歩いて5分のところに住んでいた祖母は、男勝りで、お酒もタバコもバリバリ。
定年後も、ずっと経理で働いていた塗装会社に通ったり、頼まれたお店の帳簿確認をしたり、私の友人の結婚式にも招待してもらったり、自慢の祖母でした。
「ここに焼夷弾の破片が刺さってな。私はあの時ほんまは死んでたかもしれへん。」
「戦争中に、南瓜とさつま芋ばっかりやったから、私は今は嫌いやねん。」
が口癖だった祖母。
6月頃に通っていたデイサービス中に脳梗塞を起こし、そのまま入院。
コロナのせいで、面会はリモートのみ。
祖母世代にリモートはピンとこなかったのか、面会中もどこを見ているんだか…
といった感じ。
コロナを責めても仕方ありませんが、直接会えない時間が、祖母の認知を進めてしまったと言っても過言ではありません。
でも2週間前の面会では、顔色も良くて、元気だったんです。
なので、こんなに突然のお別れが来るとは思わず…。
コロナのせいで、認知が進んだ。
でも、認知のおかげで、祖母が寂しい思いをせずに亡くなっていったかも…
そう思うと、なんとも言えない複雑な気分です。
悲しみと同時に親族にやってくるのは、通夜や葬儀の慌ただしさ。
その中で、私が妊婦ということでの言い伝えがあったようで。
祖母の訃報を聞いてやってきてくれた近所のおばちゃんが、
「なんか刃物身に付けときよ。」
と。
すると母も、
「鏡は聞いたことあるけど、刃物?」
と。
ここでみんなが刃物を探し始めました。
どうやら、こんな言い伝えがあるみたいですね。
土地などによっても、いろいろ風習があるようです。
祖母は葬儀場の関係で、数日は自宅にいたので、その間も身に付けておくといいと、近所のおばちゃんが、刃物を持って来てくれたので、私は刃物流で。
火葬場にも行かない方がいいなど、いろいろあるようですが、どれも全て、妊娠中の体調を考慮しての言い伝えのようですね
自分が親族側の立場の場合、動き回らないといけない事もあるのに、自分が妊婦で動きづらく、他の人を動かしてしまうくらいなら…
という事もあるんでしょうね。
こうなってみて、初めて聞く話や、お清めの塩の正しいやり方など、沢山ありました。
自分のその時の立場や状況を見極めての出席の仕方が大切だなぁと感じた数日でした。
先に逝った祖父に会って、楽しく過ごしてくれる事を祈るばかりです。