池田翔太オフィシャルブログ Powered by Ameba

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サウンドプロデューサー池田翔太 [クリエイター/音楽家/作曲家] GRAN TURISMOへの楽曲提供。Winning Elevenのサウンドデザイン・レコーディングディレクション。EMOEのプロデュース・楽曲制作。他、アーティストへの楽曲提供や様々なBGM制作。

▼GRAN TURISMO
→トレーラー楽曲提供
レース中楽曲提供

▼Winning Eleven
→サウンドデザイン
 レコーディングディレクション

▼torne
→メニュー画面楽曲提供

▼JACCS Card
→WebCM楽曲提供

▼GINZA magazine
→WebCM楽曲提供

▼TVJapan
→TVCM楽曲提供

▼EMOE
→プロデュース
楽曲制作

▼アーティストへの楽曲提供
▼地上波ドラマBGM
▼地上波アニメBGM
▼外国映画BGM
▼舞台BGM
▼コンサートBGM

その他、音楽グループをゼロから作り上げ
[SUMMER SONIC][COUNTDOWN JAPAN]
に出演させる等、活動は多岐に渡ります。



今までにやらせていただいたお仕事についてはブログのトップページに書かせていただきました。スマホからご覧の方はこの画面上部の顔写真のあたりをタップすると出てきます。PCでご覧の方はこの画面上部のMESSAGE欄に記載がございます。

 

==↓==抜粋です==↓==

 

 

 

 

 

 

今取り組んでいるお仕事についてはPC版の右側に書いています。

 

なので、省略して、僕の過去の出来事や何をどう考えていたか、今は何をどう考えているかを書きます。アイデンティティーと呼ばれるものなのかも知れません。

 

両親が教えてくれたのですが、小学校に上がる前から訳のわからない自作曲を歌っていたそうです。思い出す限りのものはクリエイティビティーに溢れていて面白いものなので、落ち込んだ時に聞き返したいのですが、誰も録音してくれていませんでした。

 

小学生になるとヤマハのクラビノーバが楽しくて、たしか4トラックだったと記憶しているんですけどMTRがついていたんです。それにもまた訳のわからない自作曲を覚えさせていました。この頃の曲たちは最近全てバックアップしまして、その作業中に聞いていたんですけど、これがまた面白い。「キックとスネアとハットでリズムを組んで...」とか「ベースでルートを叩くから...」とかいう発想が一切ないんです。今の僕には怖くてできない作り方なので、昔の僕はカッコよかったのかも知れません、わかりません。

 

中学生になると鍵盤よりエレキギターが楽しくなりました。「録音よりライブだぜ」という感じになっていたのですが、なぜか運良く音楽の先生が一部屋貸してくれて、そこに友達が集まって好き勝手に演奏していました。すごく良い思い出です。

 

「音楽家たるもの、体幹ができていなければならない」という謎の考えのもと、高校ではサッカー部でひたすら走り込みをしていました。ちなみにサッカーは小学校から高校まで部活でずーっとやっていて、ヘタだけど好きです。その「好き」という気持ちを汲み取っていただきKONAMIに入社することができ、人生で1番好きなゲームであるウイイレのサウンドデザインを任せてもらえることになりました。

 

大学生の時の話が飛びましたね。将来的に音楽と経営を組み合わせた何か(その頃は音楽プロデューサーという職業についてあまり知らなかったです)をやろうと決めていて、経営学部だったんですが、勉強はそこそこ(たまに代返してもらったり、etc...)に、とにかく空き教室を探して音楽の勉強をしていました。iPodと理論書が先生で、解らないことがあっても他人には聞かずにひたすら考えて結論を出しノートにまとめていました。あ、誰かから学ぶという事には全然否定的ではなくて、小学生ではピアノ、中学と高校ではギター、大学生になってからは編曲の先生に師事し、その方々から教えていただいた基礎が無かったら大学の空き教室での自己学習では何も掴めなかったと思います。

 

就職活動の時期にはとても迷いました。有り難いことに大学生の時点で尊敬する大人の方々との出会いがあり、週3くらいで渋谷の焼き鳥屋さん(エレクトロがガンガンにかかっていてしかもスタンディング)でたくさん話をしてもらいました。この繋がりから、卒業前にも関わらず、今の自分からしてもすごいなぁと思うようなとても重要な仕事をさせていただいていましたので、就職しないでそのままフリーランサーになるか、音楽を作ることができる会社に一度入社してみるか、この2択でとても迷いました。結局の決め手になる「社会とは何か、社会人に求められる振舞いとはどういったものなのか」を知りたいという理由で、ゲーム制作会社に入れてもらいました。就職する前から、将来は今のような自由な働き方をすると決めていましたが、"あの頃の将来"になった今、入社したことは正しい選択だったと思います。今仕事をするにあたって、会社員になった経験は大いに活きています。会社では楽しいことも厳しいこともありましたが、一番知らなかった「社会で活躍することが如何に難しいか」を体感でき、これがとても大きな財産になっています。

 

数年で退社させていただいた後は作曲家事務所に入れていただき、今も籍を置かせていただいています。事務所の仕事を通して学んでいることは「自分にとってコンペは凄く難しい」ということです。今も昔も試練の日々です。事務所の社長さんと、気にかけてくれて様々なことを教えていただいている制作ディレクターさんに全然恩返しできていないので大変申し訳なく思っています。肌身で感じているのですが、コンペのデモ制作においても、他の仕事と同様に、上には上がいます。コンペは発注サイドが求めている曲のイメージが明確で、その期待に応えた人が勝ち、それ以外は参加賞です。ここまでの文章を読んでいただいている方は想像できると思いますが、僕はこのタイプの仕事がすごく苦手で、性格的にも「決まったイメージに沿って曲を作る」ことで"心底楽しい!"と思ったことがありません。得手不得手でいうと「誰かが欲しいと思っているモノを作る」ことよりも「誰かが潜在的に抱えている欲求にアプローチする」ことの方が得意です。それが結果にも表れていて、今でもコンペはとても苦手で、音楽プロデュースは上手くいっています。

 

こうして音楽プロデューサーとして仕事をしていますが、第一線の方々と比較してしまうことがたまにあります。"知識・技術・人脈"が足りないことは間違いないのですが、"気合いと根性"だけは負けていないつもりです。僕の人格の中で特徴的な部分は、多分「常に限界を超えて頑張りながら生きていくことが当たり前で、そのプロセスがとても楽しい」というところです。逆にすると「休むのが超下手くそ」で、このせいで今も昔も常に体調が悪いです。

 

と、僕はこんな感じの人間で、気に入らないと思う人も気に入ってくれる人もいるとは思いますが、当たり前なんですけど実はなるべく多くの人たちに気に入られたいです。「実は」と書いたのは、過去の自分は(誰でもそうですけど)尖っていました。随分と丸くなりました。これが成長なのか衰退なのかは分からないですし、一生分からないままかも知れません。

 

これからもどんどん先に進みながら成長か衰退を続けていきますので、何卒よろしくお願いします。