皆さん、こんにちは。


お時間ある方、

読んでいただければと思います。




いきなりですが、


昨年の1013日。


母親が他界しました。


子宮頸癌でした。


ロミジュリ中にそれを知りました。

検査結果はステージ4bということで。



美味しいものを食べるのが好きな母親で

手料理作ってあげようと台所に立つと

「包丁気をつけてね」なんて言われたりして


母親にとって自分はいつになっても"子供"なんだと思うのと同時に


料理なんていつでも出来たはずなのに

家族のためにこんなことすらしてこなかったのか自分は


と、情けなくなった。


入院中は面会が出来ない。

病院が嫌いな人だったから採血、点滴、ましてや手術なんて不安で仕方ないはずだったのに


僕たち姉弟に心配かけないように明るく振る舞っていた。



手をたくさん握った。



いつも強く握り返してくれた。



家で過ごした時間は今までしたことのない話をたくさんした。


両親の馴れ初めなんかも初めて聞いた。

照れ臭かったけど、

初めての大人同士の会話だったから嬉しかった。


旅行に連れて行きたい。


美味しいご飯屋さんに連れて行きたい。


母親が大好きな花である桜を一緒に見に行きたい。



一つも叶いませんでした。



病気に気づくのがあまりにも遅すぎた。


しかも普通の子宮頸癌ではなく特殊な癌だった為、

治療も上手くいかない。



自宅療養に切り替えた後は、

4時に起きて実家に帰り午前10時頃まで点滴やら何やら見ながら母さんと過ごす、


それ以降は自分の家族のことを済ませた姉が来てバトンタッチ。


そんな日々が続きました。


ドラマがある時や、地方公演の時は行けなかったりした。



とにかく姉が一番よく頑張ってくれた。


男である自分には出来ないことがあるから

姉がほとんど全てのことをやってくれていた。


着替えもそうだし、

身体拭いたりね。


病院の手続きまで。



自分は仕事があって休むわけにはいかないから。



そんな姉ともずっと微妙な関係でした。


真逆な性格もあって学生時代から名前を呼んだことがありませんでした。

親と姉の話題で話す時は"あの人"

直接呼びかける時は、「あのさー」くらいのもんだった。



それが母親のことが発覚してからは

こんな姉弟関係で死んでいったら母さんが可哀想だという思いもあり

名前を呼んでみた。

20年ぶりくらいに。

照れ臭かった。

でも、そん時の姉も驚きを全力で隠しながら普通に振る舞っていた。


雪解け


とでも言うのかな。

それから、今日まで良い姉弟になってきた。



話を戻します。


そんな朝4時起きの生活にも慣れてきた頃、

どんどん母親の調子が悪くなっていきました。



ザ・ドクターの稽古中でしたが、

「母さんがヤバい」と姉から連絡が来て

早退させてもらった。


帰宅後母さんのところに駆けつけるとたしかにヤバかった。


祖父母や叔父も実家に来ていて

え、もう死んじゃうじゃん

としか思えなかった。

お医者さんも来てて、、、


母さんのところに駆け寄ると少し話ができた。


母さんから「有難うね。みんな大好きよ。」

と言われた。



手を握った。



握り返せない母。



言葉が喉までは来てるのに言えない。


後悔したくない。


でも言葉が詰まって言えない。

くそ!!


言えよ、自分。


簡単だろ。







「俺も大好き。有難う。」



出た。

初めて。

親に向かって直接

「大好き。有難う。」と言えた。


もう後悔は無い。





なんとかその晩は薬で落ち着いて、

祖父母や叔父は帰り

自分も帰った。



雨降る翌朝、

ドラマ撮影があった為

その日は実家には行けなかった。


現場へ向かう道中、姉からLINEが、

「虹を渡りました。」


不思議と涙が出なかった。


仕事を大切にしなさいという事なんだとスッと受け入れてしまった。


撮影を終え、

稽古場に向かった。



「早く実家に行きなさい。稽古場には入れない!」

と、栗山さんにおっしゃっていただいて

実家に帰った。


愛です。


共演者の皆さんには心配なんかかけたくなかったけど、

しのぶさんがどうしても言って実家に花を送ってくださったりして、、、


地元に昔からある普通のマンションの一室に

"大竹しのぶより"と入ってるお花が飾ってある。


変な光景でした。



「喪主は秋人ね」

母親からそう言われていたので

病気が発覚してまだ元気なうちから

「遺影どれがいい?」「どんな葬式がいい?」

「エンディングノート書いといてよ」なんて冗談混じりに話していた。

その会話の中で覚悟していった。


だから、他界した時も

「ここからが俺の番だ」と思って泣けなかったんだと思う。



正直

舞台に立ってる宮崎秋人を誰よりも喜んでくれたのは母親だったと思う。


自分もそんな母親の為にやっていたんだと思う。


世界で一番喜ばせたい人を亡くして目的が見つけられなかった。


ただ仕事として、舞台上に立つ


そんな感じでした。


もちろん全力だよ。


でも、

なんかぽっかり胸に穴があいた。


それから一年。



会いたいです。



寂しいです。



たくさんの後悔がありますね。



でも、

下向いても母さんには会えないけど

上を向いたら居る気がする。


だから上を向きます。



自分が死ぬまで母親と会いたくて仕方ないのは変わらない気がする。


だから、

この気持ちを死ぬまで抱えていく。


この一年でそう思えるようになった。




まだまだ書きたい事はあるけど、字数制限の為ここらへんで。



この記事で何かを伝えたいなんてことはありません。

ただ書いておきたかった。

それだけ。



11/3。

母さんの誕生日。



有難う。






最後に、


一つだけ念願叶ったこともありました。


松田凌と会わせる。




癌と告知された日が

凌に会ってもらう約束の日で母も俺も姉もどん底の気持ちだったから「凌には別日にしてもらおっか」と言ったら

「いや、むしろ今日がいいよ」

と母親が言ってその日の内に会うことになった。

真っ直ぐな目で母さんと向き合う凌。

短い時間だったけど、嬉しい時間だった。



凌と母さんで何かしらの約束をしたらしい。

凌は教えてくれないけどね。

でも、すごい強い顔であいつも覚悟していた。


母さん、嬉しそうだったな。



母親の闘病期間中、俺は凌にどれだけ支えられたか。


あいつの前では素直にいられたから。


大切な友人がいる宮崎秋人の人生は

最高です。




家族、

友人、

事務所の皆さん、

「ザ・ドクター」で関わった皆さんに感謝です。



宮崎秋人、笑えてます。




おしまい。